悠久休暇


本編



バン、と勢いよく扉が開いた。
おやおや、今日の客はせっかちだなと扉の前へ行けば、そこには見慣れた客人の姿があった。そう、以前無理矢理追い払った客人だ。こちらの姿を捕えると、客人は目を見開いて驚愕と怯えとが混ざり合った複雑な瞳で見つめて来る。その瞳は、客人が全てを思い出したのだと悟るには十分だった。
しかし、客人が次にこちらを訪れる時は、全てを思い出した時だろうとは思っていたが、まさかこんなにも早く来店して来るとは、小鳥遊も予想外だった。
まるで他人事のように心の中でうんうんとうなずいていると、客人は早歩きでこちらへと詰め寄る。

「どういうことだ。おい、どういうことだ小鳥遊!お前は!お前はあの時!私たちが!」
「突き落として、殺したはず?」

くすりと口元に笑みを浮かべながら問いかけると、客人の顔色はさっと青くなる。どうやら過去に自分が何をやらかしてしまったのか、自覚もあるらしい。
まぁ、全てを思い出しておいて罪の意識を感じないのであればそれは尊敬に値するけれど。

「お前は本当に、あの、小鳥遊浮なのか?」

唇が、声が、震えている。それはそうだろう。これが、俗に言う幽霊というものをみた人間の正常な反応だろう。
否、寧ろこの客人だって冷静な方かもしれない。

「そうだよ。君たちが殺した、あの、小鳥遊浮だよ。」

そう言って、くすりと笑ってやる。客人の顔色は未だ悪いままだが、そんなこと知ったことではない。全てはこの人達の自業自得なのだから。

第十話 悠久休暇の開店

薬利から、薬をもらったのをきっかけによく「売人」と「客人」という関係のもと、売買を行うようになった。
種類は一般的な睡眠薬から合法なハーブ、違法なドラッグと様々で、厭なことがあれば麻薬を煙草のように煙管でふかす日もあった。最近のお気に入りは、ミルクティーの中に睡眠薬を混ぜてぐっすり眠ることだ。この量をもっと増やしたら今度こそ死ねるのではないかとも思ったがリスクが高過ぎたため、試せなかった。やはり自分は臆病らしい。
しかしこのハーブや麻薬は、厭なことを忘れられる故に気に入っている。
屋敷の中をハーブの甘い匂いで満たし過ぎて、雅楽に怒られた時もあったが。
ちなみに、雅楽は薬利の金魚のフンとして訪れる時もあれば、ただ単純に屋敷の地下にあるワインセラーへ入り浸たいだけだったりもした。大抵の場合は後者だったのだけれど。

「なぁ小鳥遊、もっといい酒はないのか。」
「飲むのもいいけど、たまには働いたりしないのかい。タダ飲みなんて感心しないなぁ。」
「やかましい。今は絶賛休養中なんだよ。」

その休養期間も大分長いこと続いているけれどね。と、口に出してしまっては負けのような気がして小鳥遊は言葉を続けるのを諦める。
ワインだってタダではないし、ただずっと飲み続けていればそれはなくなる一方だ。

(それでも当分なくなることはないんだろうけど、ね。買うお金もあるし。本人に買わせればいいし。)

しかし物質にしか干渉出来ず、ただただ惰性で生の延長戦に挑むのは酷く退屈だ。
これであればいっそ成仏して消えてしまった方が楽なんだろうと度々思う。
空腹感はそれなりにあるし、時が流れるにつれ何故か身体も自然と成長していった。すると身長も伸びてきて、学生服が少しずつ小さくなって行ってしまった為、唯一遺された祖父の形見である祭服で誤魔化している。こちらはややサイズが大きいような気がするが、小さくて苦しいよりかはマシだった。
いくら享年十六歳とはいえ、何年も経てば学生服のままでいるのも気が引ける。
生きていれば、高校を卒業して、大学生にでもなっているであろう頃、相変わらず、死ぬでもなく、生きるでもなく、ただただそこに居るだけの日々を過ごしていた。屋敷から出るのも億劫になり始めた頃、いつものように香を楽しんでいる時、ガチャリ、と扉が開けられた。
玄関には鍵をかけていたし、雅楽も薬利も、入って来るのであればノックをしたりインターホンを鳴らすという最低限の礼儀はきちんと持っている。しかしこの音は玄関の扉を開けたものではなく、すぐ近くから。つまり、小鳥遊が今いる部屋の扉を開ける音だった。
何かと思い顔を上げると、目の前には一人の男。一瞬だけ見えた扉の向こうは、外のように見受けられたが、すぐに扉は閉ざされたのでこれ以上の確認は出来なかった。男はこちらに気付くと、奥歯をカチカチと鳴らし膝をガクガクと震わせる。ひどく怯えているようだ。
その顔には見覚えがあった。顔こそは少し大人びたものの、間違いなく彼は自分を突き落とした三人の内の一人だった。

「小鳥遊…お前、小鳥遊なのか…嗚呼、なんてことだ…」
「…………とりあえず、座りなよ。」

普段は雅楽が暇つぶしに来た時に用いている客人用の椅子へと座るよう促した。男はビクリと身体を震わせながらも、言われた通りおずおずと椅子に腰かける。此処まで怯えられてしまうと、彼に対する恐怖心は一切ない。恨みも妬みもない。強いて言うなら、こんな不便な身体にしてくれたことに不満があるだけだ。
そしてもう一つ、不思議なことがあった。何故彼には自分が見えているのだろう。

「どうしてお前が、生きてる…」
「死んでるよ。間違いなく、ね。おかげ様で散々だよ。嗚呼、でも、死体は消えたんだっけ?」
「そうだよ。あの後お前が堕ちて、校庭で真っ赤な血を流してるお前を見て怖くなって、すぐ職員室に向かって教師を呼んだ。で、そこで死んだのを確認して、救急車を呼んだんだよ。でも、お前の喉に刺さってた、あの変なロザリオから植物がどんどん生えて来て、そのままお前の死体は、植物に飲み込まれて消えちまったんだよ…」
「よくそれがニュースにならなかったね。」
「誰も信じねぇし、お前、親とか身内いねぇから、他のやつらには誤魔化して…空の棺で葬式したんだよ。あれからは次第に他の二人ともつるまなくなって、高校を卒業して…でも消えねぇんだよ。あん時のお前が、血まみれのお前が、頭から離れなくて、忘れる所か年々鮮明になってって、これをこれ以上抱えるんだったら、いっそ、いっそ死んだら楽になれんじゃねぇかて、そう思ってたら…気付いたら…此処にいたんだ…」

男は一通り語り終えると、頭を抱えて項垂れる。その肩はまだ尚震えていて、今にも潰れそうだった。

「なぁ、これは何かの夢なのか、小鳥遊。それとも、お前が俺を殺しに来たのか。」

まるで突拍子もない事であるが、今の彼がそういう思考に陥ってしまうのは普通なのだろう。しかし、殺しに来たとは侵害だ。正直、そちらが勝手に来たのだろうと言ってやりたいが、それを言ってしまうのは少し可哀想なように思えた。
罪を犯したが故に「死」という救いを求めた男は、縋るようにこちらを見つめる。

「………僕が死んだ後、君はとても苦労したみたいだね。」

小鳥遊はぽつりと呟く。
今の彼は、自分を殺した憎き敵でも元同級生でもない。ただ、自分と同じく自殺という人生のピリオドを求め続ける、ただの「自殺志願者」、つまりは同志だ。
同志の願いは叶えない訳にはいかない。

「少し、待っててね?」

優しく微笑みながら声をかけると、小鳥遊は席を立ち紅茶を淹れる。
自分がいつも愛用しているミルクティーだ。たっぷりの砂糖と、たっぷりのミルク。そして、たっぷりと注がれた、睡眠薬。全てが溶け込んだ甘い甘いミルクティーを、そっと男へと渡す。男はまだ温かいティーカップを受け取ると、琥珀色の液体を覗き込んでいた。

「君はもう、十分苦しんだ。もう、いいんじゃないかな。楽になっても。」
「…え…?」

小鳥遊の言葉が意外だったのか、男は目を丸める。
しかしそれを尚気にせず、小鳥遊はにこりと微笑みながら男を見つめた。赤い瞳に、虚ろな目をした男の顔が映り込む。

「もう楽になりなよ。もう、いい。いいんだよ。ずっと罪を抱えて来て、疲れただろう?僕は君を恨んでいる訳じゃない。寧ろ、死を願う君に、救いを与えてあげたいとすら覚えているんだから。」
「…小鳥遊…」
「さぁ、それを飲んで。楽になれる。君という同志を、僕は救ってあげるよ。」

小鳥遊が何を言っているのか、きっと男にはわからなかっただろう。しかし、男は言われるがままに、カップの中に満たされた琥珀色の液体を飲み干した。
程良い温かさ。そして脳が麻痺するかのような甘ったるさ。その全てに誘われるように、男はそっと、目を閉じた。

「ねぇ、雅楽。いつまでもタダ飲みというのも何だろうし、永遠に休養中な訳にもいかないだろうから、僕は仕事を提供することにするよ。」

電話越しから、なんだよそれ、という不満の声が聞こえたような気がしたが、どうでもいい。
部屋のベッドの上に横たわる、今はただ眠っているだけの男を横目でちらりと見つめた。

「良いから、働かざる者なんとやら、と言うじゃないか。ひとまずね、空いている部屋を一室、百合でいっぱいにしたいんだ。その手伝いをしてもらいたい。後はね。」

確か何処かで密室で百合の花に囲まれたまま一晩過ごすと、そのまま眠るように死ねるという話を聞いたことがあった。これであれば、外傷もなく、綺麗なまま、尚且つ睡眠薬が効いている間は何も感じずに眠っているのだから安らかに死ぬ事が出来るだろう。
一体何を考えているんだという雅楽の言葉を受話器で音楽代わりとして再生しながら、聞く耳持たずで話を続ける。

「死体を運ぶ手伝いをして欲しい。店をね、開こうと思うんだ。僕と同じ、自殺志願者を助ける店だ。」

素敵だと思わないかい?そう言って一人、小鳥遊はくすくすと嗤っていた。
それ以来、自殺志願者を支援する店、「悠久休暇」が開かれるようになり、それが都市伝説として広がったのだ。

 


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