悠久休暇


本編



「この店に入るには、僕を認識する事が出来なければいけない。」

小鳥遊はにこやかな笑みを浮かべながら、男に詰め寄る。
血のように赤い瞳は、見ようによってはまるでルビーの宝石のようにキラキラと輝いていて、艶やかな黒髪は長い故に陰鬱な雰囲気を漂わせているが、それなりに整えればきっと爽やかな好青年に様変わりするのだろう。
年より幼めに見えるのは、享年十六歳という早すぎる死故だろうか。少なくとも彼の内面は、死んだ時から止まっているに違いない。

「方法は二つ。一つは、強い霊感を持っていること。もう一つは。」

ふと、赤い瞳と目が合った。彼は穏やかな微笑みを浮かべているというのに、その瞳に恐怖し、足が竦んでしまう。その瞳はまるで蛇のようで、自分はそれに睨まれた蛙といったところだろう。

「自殺したい…つまり、死んでしまいたいという確固たる意志を持っていることだよ。」

もう逃げられない。今わかっていることは、それだけだった。

「死んでしまいたい…なんて、私は、死にたいと思った事など…」
「なら、何で今君は、此処にいるんだい?霊感が特別強い、という訳でもないでしょう?」

小鳥遊の言っている事は正しかった。この客人には霊感というものは備わっていないし、幽霊の類にも、今まで一度も出会ったことはない。もし目の前にいる彼が幽霊として分類出来るのであれば、彼との対面が初めてということになる。
しかし、別に死にたいと思った事はない。否、ない訳ではないのだろう。だからといって、彼に救いを求めてまで死んでしまいたいと願ったことは、断じてない。そう言い切ることが出来る。

「ではどうして、君は今まで僕の事を忘れてしまっていたんだい?」
「そ、それは…」
「忘れなければ、罪の意識に苛まれてしまうから、そうでしょ?」
「ち、違う…」
「違わない。君は怖かったんだ。僕を見殺しにした事を思い出すのが。それを抱えて生きていくのが。そして君は思い出してしまった。」
「だからといって、それとこれとは…」
「では、それを抱えて君は、のうのうと幸せに生きる事が出来る?好きな奴とセックスして子供産んで家庭を築いて生きて行ける?それを誰にも言わず、胸の内にだけ留めて、生き続けることが出来るっていうの?」

問い詰めるような、責めるような、赤い瞳。
否、自分にとってはそう見えるだけで、その瞳には何の感情も宿ってはいないのだろう。
しかし彼の問いかけにもしも自分が答えるとすれば、その答えは、ノーだ。彼を突き落としたのは、彼を死に追いやったのは、他でもない自分だ。あの時、彼を突き落とした感触も、絶望した彼の表情も、今でははっきりと思い出せる。思い出せてしまう。殺すつもりは当然なかったのだ。ただ、ちょっと突き飛ばしただけ。たまたまフェンスが錆びていたから、壊れてしまっていたから堕ちて逝っただけで、もしあそこでフェンスが古びていなかったら、彼は死ななかったかもしれない。そう、過失はなかった。過失はなかったのだ。

「過失致死罪の時効は三年。」

その言葉にドクンと心臓が呼応する。クスクスクスと、声を立てて嗤うその姿はあまりにも不気味だった。

「もう、あれから十年は経っている。もう時効だ。法律で君を罰することは出来ない。つまり君は永遠に罪を償う時を喪ってしまったんだ。」
「しかし、殺人罪であれば、まだ…」
「そんな重罪背負って、君は生きて行けるというの?」
「っ!」

そう。故意に彼を突き落として殺したと。殺人であったとすれば、まだ殺人罪で捕えられ法律的に罰せられることは出来るだろう。そうすれば、罪を償ったと。堂々と言えることが出来るかもしれない。
しかしその罪を背負ってしまえば、全てを喪うことになる。
今手に入れた財産。財産といっても、決してお金だけではない。仕事や友人関係、今まで築いてきたもの全てが自分にとっての財産と言えよう。その全てを喪ってまで罪を償う覚悟は、当然ながら自分にはない。あったのであれば、とっくに償っている。

「殺人罪って確か、今は時効がないんだよね。死ぬまで永遠に、それを抱え込める?」

彼はそう言って、目の前にあるものを突き出した。
ちゃぷん、と小さな水音を立てたそれはティーカップ。その中には琥珀色の液体が満たされていた。

「君には今、三つの選択肢がある。一つは、永遠に死ぬまで罪を抱え込み、逃げ続けること。一つは、自首をして法律的に全てを償い、そして、全てを喪うこと。」

琥珀色の液体からは甘い香りが漂っている。その甘い香りは砂糖とミルクの香りか。それとも死という甘美な果実の香りか。
或いはその両方か。

「もう一つは、これを飲んで、全てから解放されること。どれを選ぶも、君の自由だ。」

手がカタカタと震えていて、気付けば無意識に、その手はティーカップを受け取っていた。
選択肢は設けられている。
再び全てを忘れ、口を噤み生きていれば、誰もこの事実に気付くことはないだろう。あれはもう既に事故として片付けられているし、今更、あれは殺人だったと言う人間は存在しない。だからといって、忘れるのは簡単ではない。現実的に、この記憶を思い出したまま、引きずっていくことになってしまうだろう。今となっては、彼を止めるべく、悠久休暇を調べ、全てを思い出そうとした、過去の自分を恨んだ。
しかし、当時の目撃者が死んでいても、当時のクラスメイトはまだ当然生きているのだから、元クラスメイトが当時のことを少しでも語れば、罪には問われることがなくても、社会的に生きていくことは難しくなるかもしれない。どちらにしても、もう、後がないのだ。

「さぁ、全てを飲み干し、楽になろう。」

彼は優しく微笑んでいる。
嗚呼、きっと、この店に足を踏み入れた時点で、自分にはコレしか選択がなかったのだろう。全てを悟り、ティーカップの中に満たされた液体を、ぐっと全て、飲み干した。


最終話 永遠の暇

「これは、お前の復讐か?」
「復讐なんて、とんでもない。復讐だったら、他の客人達まで導く必要はないのだから。」

カーテンの向こうの更に奥。小鳥遊と雅楽が居たのは、左側の部屋だった。左側の部屋には人一人が入れるくらいのビニールハウスが設置されていて、その中には満面の白百合が咲き誇っていた。その百合の中で、かの男は静かに眠っている。否、もう既にこの男に呼吸の気配はないのだから、死んでいるのだろう。まるで眠っているようだった。この白百合は、雅楽が小鳥遊に云われて買って来た球根だ。小鳥遊はその球根を受け取ると、数十分後にはもう満面の百合を咲かせていた。そして、その百合は未だ咲き続けている。
雅楽の脳裏には、ロザリオを駆使し、数多の植物を操っていた男の顔が浮かんでいた。薄い緑色の髪をした男。その孫が今、此処にいる。
百合を咲かせたのは間違いなくロザリオの力だ。喉に突き刺さったことがきっかけで、無意識に『神器』の力を駆使するようになったのだろう。
『神器』とは、数十年前まで世間に出回っていた、神々の心臓が宿った物質だ。あるものはロザリオ。あるものは本。あるものはナイフ。あるものは銃。そして時には、人体にまで。神器は様々な形をしていた。そして、神々の心臓が宿っているそれを遣えば、人為らざる、異能の力を駆使することが出来たのだ。それを巡り、争われたのが小鳥遊の祖父の時代。そして、これ以上神器が悪用されるのを防ぐ為、神々の心臓を一つに戻す為、神器を一つに封印したのが、小鳥遊の祖父、アルバ=クロスだった。
『神器』が封印されてからもう数十年経つ。それでも尚、小鳥遊に神器の力が宿ったのは、血筋故なのか、神器と距離が近付き過ぎた故なのか。それとも封印そのものが、もう既に弱まってしまっているからなのか。恐らく両方なのだろう。それ故でなければ、既に一か所へと封印され、効力を失くしたロザリオが事の発端になることはない。
そして、あくまで封印が完全には解けきっていないからこそ、彼の蘇生は「完全なる生者には認識されない」という不完全さを残してしまったのだ。
彼が不完全な蘇生をした原因は、ロザリオに呼応した別の、言うなれば『一か所に封印された神器たち』なのだろうが、それが一体何を示すのか…もう語るまでもないだろう。

「じゃあ、これからも続ける訳か。この仕事を。」
「まぁ、そうだね。そういう事になる、かな。いいじゃない、無職は嫌でしょう?」
「無職言うな。ま、確かにお前とつるんでるのは悪くねぇけど、さ。」

はいはい、と小鳥遊はくすくす笑っている。その笑みは年相応の十六歳の少年を連想させたし、笑い方も、仕草も、当時のアルバとよく似ていた。
似ていた、とはいっても直接見たことがある訳ではない。過去の、云うなれば前世の自分が、アルバのことを見ていた、ただそれだけなのだ。前世というにはあまりに記憶が鮮明過ぎるという不可解さはあるのだが。

「なぁ、小鳥遊。」
「何だい。」
「…お前は、神器を知っているか?」
「神器?…お祖父さまの日記に書いてあったもののことかい?」
「…知ってたのか。」
「まぁ、色々不信に思うことはあったし。流石に自分が化け物になったのかなぁって不安になったりもしたし、さ。君もお祖父さまのこと、やけに気にしてたし、もしかして…って。家中探してたら、日記があったから読んでみた。」
「…意外と勉強熱心なんだな。」

勉強熱心であるということにも驚きだが、そもそも今までの出来事を丁寧に日記で記していたアルバにも驚きだった。変に細かい性格ではあったが、まさか日記に記していたとは。というか、当時の機密事項を日記に残すなと、既に故人ではあるものの、訴えたくて仕方ない。

「意外とって言わないでくれる?でも、神器って封印されてたんでしょ?何で僕が使える訳?」
「神器が使えるのはお前が適合者だからだろう。適合者の血筋が適合者になるのは、よくあることだ。それに…封印が弱まっているのも事実だろう。」
「成程ねぇ。やっぱり詳しいね、雅楽。…否、ユーリ=フェイトって云うべき、かな?それとも、他にも名前ある?」

小鳥遊の言葉に、思わず目を見開く。まさかそこまで知っているとは…否、そこまで推理出来るとは、予想外だった。この事実は、腐れ縁の薬利にしか話したことはないというのに。

「今は、雅楽だ。ユーリは死んだ。間違いなく。俺は、記憶を継承して、だらだらと生きてるだけだよ。」
「ふぅん。…じゃ、雅楽って呼んでおくね。改めて聞くけど、雅楽は今後も、僕の仕事に付き合ってくれる…ってことで、いいのかな?」
「そういうことだな。寺で悠悠自適に暮らすのも、悪かねぇし、お前のヒモになってるのもなかなか快適だし、お前が満足するまで、俺は付き合うつもりだぜ。」
「いや仕事見つけろよこのクズ。」

そう言って、小鳥遊は少し嬉しそうに笑った。
彼が満足するまでは。彼が納得して、この世から消滅するまでは、彼の身体は時を刻み続けるのだろう。でも、それも悪くないのかもしれない。

「そういえば、薬利が今日、薬の追加分と…後、紅茶を持ってきてくれるってよ。いい茶葉が手に入ったからって。」
「本当?そしたら、みんなでお茶するのも悪くないかもね。」
「俺は紅茶よりも酒の方がいいんだけど、な。」
「…この飲んだくれめ。」

二人が言い合いをしていると、カランカランと扉の開く音が奥から聞こえた。どうやら、次の客人が現れたらしい。

「小鳥遊。客人だぞ。」
「わかってる。雅楽、次のお客さん、此処に招くから、中の人死んでるか確認出来たら、右の霊安室にでも寝かせておいて。」
「わぁったよ。」

さぁ、今日も死にたがりを導こう。
小鳥遊はそっと、店へと静かに向かった。
ちくたくちくたくと時を刻み続ける、振り子時計の音を背に。




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