悠久休暇


本編



ぼーん、ぼーん、という鐘の音が煩わしくて、ゆっくりと目を開ける。気付けば小鳥遊は、館にある一人掛けの椅子にもたれかかって眠っていたらしい。鐘の音は、目の前の振子時計のものだった。今まで、此処で寝泊りするようになって、振子時計が鳴ることなんてあっただろうか。不思議に思いつつ、小鳥遊は目を擦って起き上がる。

(いつの間にか、寝てたのか。)

しかし、何故眠っていたのか、それまで何をしていたのか、イマイチ思い出すことが出来ない。とりあえずテレビでも見ようと、手元にあるリモコンでテレビをつける。
すると、どういうことだろうか。テレビでは、自分が死んだということが、ニュースとなって報道されていた。
その時、思い出したのだ。自分は死んだのだと。三人の生徒に勢いよく突き飛ばされ、フェンスが壊れて、そのまま屋上から堕ちて。

(それから…?それから、どうした…?)

何故自分は生きている。何故自分は、此処にいる。小鳥遊は急いで屋敷を飛び出した。屋敷の外は人混みの群れで、どこもかしこも人人人。何も変わらない日常がそこにあって、どうやら此処は死の世界という訳でもないらしい。自分は死んだはずだ。では、何故生きているのか。それを知るには、誰かと接触するのが早い。そう思い、小鳥遊は自ら人に声をかけてみることにした。

「あ、あの、」

しかし通行人は、小鳥遊を気にすることもなく通り過ぎる。しかしそれは学校内でもよくあることだったので、無視をされることに今更心は痛まない。ではもう一度、今度は直接手でも掴んで、強引に語り掛ければいい。不審者と思われても、学生だから、大人よりは怪しくないだろう。

「あの!」

しかし、相手の手を強引に掴もうとした小鳥遊の身体は、するりとすり抜けてしまった。そこで、理解してしまった。この日を境に、自分の存在は消えてなくなったのだと。誰にも認識されない存在となってしまったのだと。生きているのに、死んでいるのと同等の存在と化してしまったのだと、自覚してしまったのだ。

第九話 消えた存在

(どうして、こんな中途半端な状態に……?)

テレビから得た情報によると遺体はみるも無残な姿だったらしい。つまり、小鳥遊が死亡したということは紛れもない事実だった。しかし奇妙なことに、テレビのリモコンとか、本とか、食器とか、そういったものには触れることが出来る。それなりに空腹にもなるし、飲食も可能であることがわかった。
つまり、人にだけ触れられないし、気付かれないし、認識されないのだ。
死ねば楽になれると思っていたし、全てが無になるのだと思っていた。全てを忘れて、安らかに、永遠に眠れるのだと、そう信じていた。だから、まさか予想外の死だったとはいえ、こんな結末になってしまうとは思わなかった。
誰にも見てもらえない。触れられない。こんな、死んでいるけれど生きているという曖昧な状態で、これであればまだ生きている時の方がマシといえるものだった。いくら虐めが辛いというものがあっても、いないものとして無視されるとしても、実際にそこから消えている訳ではないのだから。クラスの人間に無視をされても、コンビニの店員に無視されることは流石にない。
存在が消えてしまうことほど、独りぼっちになってしまうことほど、辛いものはない。

(どうせ存在出来ないのなら、いっそ。今度こそ。)

ごうんごうんと、低く唸るような音と共に、鉄の蛇が目の前を往来する。
もしかしたらもう一度死ねば何か変わるかもしれない。そう思った小鳥遊は、気付けば駅のホームへと立っていた。やはり定番な自殺の方法としては人身事故、轢死だろう。
あの巨大な鉄の塊によって、身体のパーツというパーツを、自身が抱えている憂鬱と共に飛び散らせたら、今度こそこの存在をこの世から消せるかもしれないと、そう思って小鳥遊はこの場にやって来たのだ。
テレビといった物質には触れられたから、肉体があった時と同じように肉体が弾け散るかもしれないし、物質に触れるだけで実は霊体だから、身体が霧散して消えるだけかもしれない。どちらにしても、死ぬのにうってつけだと思ったのだ。

(痛かったら、どうしよう。)

しかし、結局のところ、第三者の手によってでしか死ぬことの出来なかった小鳥遊は、この方法を試すことは出来なかった。目の前を横切る電車を、光のない目で見つめる。
風が吹きあがり髪が乱れるが、元々手入れも満足にしていないのだから、今更気にも留めない。
気付けば唇からは笑い声が漏れていた。否、もはや笑うしかないじゃないか。
死んで尚、未だに死というものに恐怖を持っている等と、何故こういうところばかり人間味が残っているのだろう。
どうせ死んでいるのだ。これで本当に消えられるのかどうかわからなくても、やる価値はあるじゃないか。怖がる必要は一切ない。それでも、身体は膝から崩れ落ち、がくがくと肩が震えていた。怖い怖い怖いと身体が訴えていて、未練と恐怖が入り混じる。
怖い?死ぬことが?何が怖いというのだ。怖いのは、誰にも認知されない、ひとりぼっちの今じゃないか。

「おい。坊主。」

瞳から零れる涙は止まらない。ぽろぽろと両目から零れ出て、涙は地面へと落ちるがそれはコンクリートを濡らすことなく消えていく。
誰かが呼んでいるような声も聞こえるが、それも耳に届くことは…呼んでいる?

「お前だよ、お前。そこの真っ黒坊主。」

真っ黒坊主とは、自分のことだろうか。顔をあげると、二人の男がそこに立っていた。
一人は金色の髪を後ろでポニーテールにして束ねており、丸眼鏡の奥には赤色の細く鋭い瞳がこちらをじぃっと見つめている。もう一人はこちらをにこにこと笑みを浮かべながら眺めていて、同じく髪を束ねているが、こちらは銀色の髪を上で団子のようにまとめていて、それでも余った髪は尻尾のように垂れている。

「………ぼく?」
「そうだ。お前だ。見たところ死人だろ、何故成仏していない。…つか、お前あれだろ、小鳥遊だろ。小鳥遊浮。」
「見える、の?それに、僕の名前…」
「ワタシも彼も、霊感というのだろうかね。そういったものが強いから、よく見えるよ。」

金髪の男はぶっきらぼうに答え、銀髪の男はにこにこと笑みを浮かべながら答えている。
これはなにかのドッキリだろうか。周囲が見えてないフリをしていて、彼ら二人だけが見えるというフリをしているのだろうか。そうでもなければ、いきなり望んでいたタイミングで自分が見えるという人間が現れるはずがない。
瞳を丸めてみつめていると、金髪の男ははぁ、と溜息をつきながら髪を掻く。

「別に、怪しい奴じゃねぇよ。まぁ怪しいか。とりあえず、此処いたら俺達が変人扱いされるから、場所移さねぇ?」

金髪の男は雅楽、銀髪の男は薬利と名乗った。二人は腐れ縁で、昔から霊感はそれなりに強かったのだそうだ。
雅楽は古びた寺で寝泊まりをしていて、正直収入源がなんなのか全くよくわからない。時折薬利が寺に訪れているという話を聞くからに、きっと彼は俗に言うヒモというやつなのだろう。
何故小鳥遊のことを知っているのか不思議に思っていたが、どうやら雅楽の祖父が小鳥遊の未成年後見人をしていて、小鳥遊の事を知っていたらしい。そういえば、通りで都合のいい時に定期的にお金が振り込まれたりしていたな、と思い出す。
まだ十二歳という幼い年齢で、一人あの屋敷に居られたのもその人の計らいだったのだろう。
小鳥遊の死を受け、遺体の引き受けをしようとしたところ、奇妙なことが起こったらしい。

「お前、もしかして知らないのか?」
「し、知らないって…?」

場所は移り変わり、小鳥遊は自身の屋敷へと招き入れた。雅楽も薬利もそれぞれ、小鳥遊が淹れた紅茶に口を付けている。人とまともに話すのが数年ぶりの小鳥遊は、少し怯えながらも、二人と会話をするということを選択した。
少しでも何か、自分について知ることが出来ればと、そう思ったからだ。

「お前の死体、消えたんだってよ。」
「は、え、ぼ、僕の死体が?え、何で、というか怖っ」
「そりゃぁ……死体が此処にあるからじゃないの?」
「こ、此処、って、」
「そりゃぁ、此処。」

そう言って雅楽が指を指したのは、紛れもなく小鳥遊だった。つまり。小鳥遊の身体は間違いなく生身のそれだと、そう語る。

「え、え、だって…僕、人に触れない、し、」
「きっと一度死んだことによる影響じゃないかナ?君は間違いなく一回死んでるし、それ故にこの世と断絶されたのは間違いないし。何等かの原因で身体や魂は蘇生されたけど、一度この世と断絶されてしまったから、物質には干渉出来ても、生きている人間には干渉出来ないとか。」
「…うわ、なんか、説明としては納得するけど、でも、納得できない…だって、そんな、非現実的過ぎるし…」

小鳥遊はそう言って、ごにょごにょと言葉を濁す。それはそうだ。通常であれば人間死んでしまえばそれで終わりだし、なんらかの影響で一度蘇生をするなんて、人間の力では通常ありえない。
魔法とか、何かそういう異質な力でも働かない限り、それはあり得ないのだ。

「お前、死ぬ時とか…後、生き返るっつーか、死んでからもう一度起きる時?何か変わったことはなかったか?」
「え、と、特には…」

そう言いかけたところで、小鳥遊は思い出した。変わったことはあったのだ。しかも二つも。一つは、祖父の形見であるロザリオが喉に突き刺さったこと。もう一つは、目覚める時、普段は聞かない古時計の鐘の音を聞いたこと。その事実を雅楽に伝えると、雅楽は当然、驚いた表情をした。それはそうだ。普通、そんなことがきっかけでこんな奇跡に近いことが起きる訳がないのだ。
だから、次に起こした雅楽の行動は小鳥遊にとって予想外のものだった。

「おい。そのロザリオって…というか、おい、小鳥遊。お前の祖父って…」
「わわ、そ、祖父?」
「お前の祖父の名だ。母方の方だぞ。小鳥遊ではない方だ。」
「え、そ、そっち?えっと、えっと、確か、あ、あ、アルバ…アルバ、クロスっていう人で…」
「アルバ!」

雅楽は力強く小鳥遊の肩を掴む。その力が思いのほか強くて、思わず「痛い」と小さく悲鳴をあげた。雅楽の力はそれで揺るんだが、何か懐かしいものを見るような、そんな表情を一瞬していたのを、小鳥遊は見逃さなかった。
この人は祖父を知っているのだろうか。でも、外見年齢は自分より少し年上程度だし、祖父は母が生まれる前にとっくに死んでいるというのだから、直接面識がある訳でもないはずだ。そうであれば、雅楽の祖父が小鳥遊の後見人だったというのだし、その人と祖父に関係があるのか。不思議に思いながら雅楽を見つめていると、雅楽の表情は、何ともないような、ごく普通のそれへと変わっていた。

「…悪い、何でもないよ。つまり、だ。お前は死ぬし、死体は消えるし、奇妙だったから、俺と薬利で探していた、という訳だ。」
「そう、なんだ。でも、見つけて、どうするの?」
「まぁ、無理矢理成仏させようとか、そんなことはこれっぽっちも考えちゃいねぇよ。財産はうちの祖父さんが管理してくれてたし、なんか買いたいもんとかあれば、今まで通り金は…今度は振り込みじゃなくて、手渡しにしとくよ。お前の口座使えなくなるだろうし。」
「というか、もう後見人も何もないんだから、全部返してよ…」
「それもそっか。今のお前には法律も糞もねぇからな。ま、気が済むまでいればいいんじゃねぇのかな。ちょっと様子見かねて、定期的に来させてもらうけど。」

雅楽はそう言って、ガリガリと頭を掻く。小鳥遊の意見はどうやら受け入れてもらえるようだし、二人とも、そう悪い人物のようには見えない。少なからず、信用してもいいのだろう。
正直、話し相手が欲しくない訳でもない。誰にも認識されないのは、それはそれで辛いし、一度人と触れ合ってしまうと、もう一人に戻りたいと思えない。

「そうだ、スギルくん、これ、お近づきの印。」

薬利はそう言って、ニコニコと小さな薬袋を手渡す。どうやら彼は、薬物を中心に裏取引をしているらしい。悪い人ではない、うん、悪い人ではないのだろうが、普通、いくら死人とはいえ未成年にはいと薬を手渡すだろうか。

「まぁ、いいけど…」
「ダイジョウブダイジョウブ、中毒性はあるけど、死にはしないって。」
「もう死んでるから。」

薬にはあまり良い思い出はないが、せっかくなのでこの薬はもらっておくことにした。そして、この薬こそが、悠久休暇を始めるきっかけとなった訳である。

 


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