悠久休暇


本編



「いらっしゃい。」

小鳥遊はいつものように顔に笑顔を貼りつかせながら客を出迎える。
しかし今日現れた客は、何処か異質な雰囲気を漂わせていた。先日訪れた客人も確かに異質ではあったが、その異質さとはまた別のものだ。
自殺を考えてこの店に訪れる者は皆共通して絶望し、何かしら、追いつめられていたり、光を喪っていたり、絶望していたり、そういった負の感情を押し隠した瞳をしている者が殆どで、死神が後ろでけたけたと笑いながら首に鎌を添えられているのが見えるようだ。
だが目の前にいる客からは、その空気を感じることが出来ない。

「あなたが、この店の店主ですか。」
「そうだけれど。どうかしたかな。」

自分が店主であることを説明すると、その客はずんずんと前へ進んでいき小鳥遊へと近づく。
やはりこの客人は他の客人とは違うらしい。
その瞳に宿っているのは燃え上がるような闘志。強い光を宿した客人は、小鳥遊の服を乱暴にぐいと掴んだ。それでも小鳥遊は表情を崩さない。
しかし、その希望を見失わない瞳の光は、小鳥遊にとっては苦手なものだった。

「んー、何かな。御用がないなら、お引き取り願いたいんだけど。」
「用ならありますよ。あなたの噂を聞いて、此処まで来たんだから。」

嗚呼、その手の客か。
小鳥遊は事態を察してやれやれ、と深く溜息をつく。
こういう客がいない訳ではない。自殺はどのようなことがあっても止めるべき、というひどく道徳的な考え方を持つ、世間一般でいう「まとも」な人間だ。常識では「自殺」は許されるものではなく、防がなければならないものであることはいくら小鳥遊でも知ってはいる。
つまり、自分のような立場が経営する店を喜ばしく思わない者も当然いるということだ。
そういった者は血眼でこの店を探し、潰そうと奮起する。

(見つからないようには、出来ているはずなのだけれどね。)

それが見つかってしまった。ということは。小鳥遊は一人思考する。悠久休暇は特殊な店だ。誰にでも見つけられて、誰にでも見つけられない。そしてこの店を見つけることが出来る人間には、ある条件が必要だ。この客人が見つけたということは、その条件当てはまっているということになる。つまり…と、此処まで思考したところで、聞いているのか、という客人の苛立った声がした。
どうやら小鳥遊が考え事をして上の空であったことが気に食わないらしい。

「失礼。ちょっと考え事をしていてね。」

ひとまず無礼を詫びてみるが、それが余計客人を苛立たせてしまったらしい。服を掴む客人の手に、更に力が籠る。

「こんなふざけた店を経営していることの言い訳でも考えているんですか。」
「ふざけた店なんて、酷いね。僕はただみんなの手助けをしているだけだよ。」
「人殺しが手助けなんておかしいと思わないんですか!」

客人は次第に興奮して来たようで、更に小鳥遊へと掴みかかった。いい加減服が破けそうだし、このまま口論を続けても堂々巡りで埒があかない。
どうしたものかと小鳥遊が思考していると、コンコン、と扉をノックする音が響いた。その音に反応した客人の手が緩んだ隙に、小鳥遊はその手を振り払う。
やはり力強く掴まれたせいで祭服にはくしゃりと皺が出来てしまっていて、後で手入れしないといけないと思いながら、ひとまずは手で丁寧に皺を伸ばして整えた。

「別の客人が来たようなんで、今日のところはお引き取り願えないかな。」
「あのですね!」

小鳥遊は既に目の前で大声をあげている客人を無視し、扉をあける。そもそも自分にとっての客人は自殺志願者であり、自殺をする気のない人間は早急にお取引いただきたいのだ。
扉を開ければそこには、虚ろな瞳をし、目の下を赤くはらした少女の姿があった。制服を着ている様子から、まだ学生のようだ。身体は小刻みに震えていて、相当追いつめられて、疲弊している様子が伺える。
小鳥遊は少女の警戒心を解くためににこりと優しく微笑みながら、少女の艶やかな黒髪を優しく撫でる。部屋へ招き入れ来客用の椅子へ座らせてやると、小鳥遊の中で空気認定されてしまった先の客人の顔は怒りで歪んでいた。

「そんな子供まで、たぶらかすのかあなたは…!」
「騒がしいね。もう、帰ってくれないかな。」

小鳥遊はジロリと客人を睨み上げる。その瞳の赤はまるで血のようで、思わずビクリと身体を震わせると、気付けば客人は一人街中に立っていた。
すれ違う人の波を茫然と立ち尽くしながら見つめる他、客人にはなかった。

第五話 迫害された少女

「ごめんね、騒がしくて。」

小鳥遊はそう詫びて、少女との間にテーブルを挟んだ向かいの椅子に腰かける。あんなに騒がしくしていたというのに、その時から少女の表情は全く変化せず、沈んだ顔のままだった。
視線はずっと膝の上に置いた手に向けられていて、口を噤んだままだった。
よく見れば、彼女の着ている茶色い学生服は、この地域にある私立学校のものだ。小中高一貫で、非常に有名な名門校のため、小鳥遊にも少なからずその制服に見覚えがあった。
膝からちらりと見える青痣が、少女の身に何があったのか、少女が何も語らずとも想像することが出来る。

「どうかしたのか…なんて、聞くのは野暮だよね。今依頼を…」
「待って。」

小鳥遊の言葉を、少女が小さく制する。少女は思い詰めた顔をしていて、席を立とうとする小鳥遊の袖をぎゅっと握っていた。

「…ごめんなさい、でも、せめて誰かに…聞いてほしくて…」
「…君の心がそれで晴れるのなら、僕はいくらでも聞いてあげるよ。」

そう言って椅子に座り直すと、少女は安心したように息をついた。
この店に訪れる人々が、少なからず小鳥遊に対して自殺志願理由を語るのは、自分の胸の内にずっと抱え続けたものを誰かに聞いてほしいからという思いがあるからだろう。それだけでなく、小鳥遊の着ている祭服にも関係があるのかもしれない。悩みや不満を語るのであれば、聖職者の恰好はある意味打ってつけだ。だが小鳥遊がこの服を着ているのは、別にそれが目的という訳ではない。祖父の形見だからという理由だけである。
少女はゆっくり深呼吸すると、ぽつりぽつりと、小さな声で自分の人生を語ってくれた。

「私は、きっと第三者から見れば、とても恵まれた人間だと思います。資産家の父と、専業主婦の母。食べるものにも着るものにも住むところにも困らなくて、両親も優しくて、喧嘩とか浮気とか、そんなことは一切ありません。だから、私はとても恵まれた家の子だと思います。だからこそ、私は小中高一貫の、私立のこの学校に入学しました。だって、此処は有名校だけど、学費がとてもかかる場所だから、恵まれていなければ入れないです。ですが、そんな時、私にある出来事が起こりました。同じクラスの女子生徒…仮にA子としましょう。A子は少し気が強くて明るくて、学級委員長もしていて、クラスの中心的存在でした。A子は男子にも女子にも人気があって、私以上に、恵まれてるのであろう輝きを持つ女の子で私もA子に憧れてしました。私とA子は、少なからず仲は良かったです。中等部に進学するまでは。中等部にあがった時、私はA子と同じ男の子を好きになってしまったんです。あろうことか、A子と同じ子を。そして、その男の子…B男は、私とお付き合いすることになりました。そこからです。A子は、B男と付き合った私を妬んで、…嫌がらせをするようになりました。黒板に謂れのないことを書かれたり、筆箱に虫の死骸を入れられたり、池に突き落とされたり、体操着を隠されたり、階段から突き落とされたり。…そして……」

少女はそこで、かたかたと全身を震えさせた。
その後何が行われたのか想像がついた。想像したくないけれど、想像がついてしまった。似たような話を知っているから。

「中等部までは、そんな陰湿な嫌がらせまでだから、まだ耐えられました。でも、高等部にあがった途端、A子は、B男を仲間に引き入れた挙句…他の男子生徒たちに私を囲ませて…私を、私をっ……」

小鳥遊の想像は的中してしまった。的中したくないものが、的中してしまうのはどうしてなのだろうかと思わず眉を潜める。少女が「女」である限り、何処かでそれは発生するのではないかと思ってはいた。なんせ、男相手でもそういう事が時に起こるのだから。

「しかも、教室で、ですよ?他に見ている人がたくさんいるんです。でも、誰も止めないんですよ?制服を無理矢理脱がされて、クラスの男子たちに犯されて、でも誰も止めないで…笑っているんですよ?こんな事、おかしくないですか?どうしてそんなことできるんですか?先生に訴えても、無視するんですよ?こんな恥ずかしいこと、両親にも言えません。だって私、もうお嫁にいけない身体にされたんですよ?それにっ…」

彼女は大きく深呼吸して、恐らく、彼女にとっての本題が言い渡された。

「私、妊娠してるんです。」
「妊娠…」
「直接、病院に行った訳ではないんです。でも、生理が来なくて、検査薬をつかったら…」

そういって彼女は声をあげて泣き出した。今まで耐えて来られただけでも、奇跡だ。通常であれば耐えられない。彼女の言うことが真実なのであれば、クラスの中心的存在であるA子という少女は、クラス中を味方につけ、きっと教師までも味方につけ、この虐めを行って来たのだろう。勝ち目なんてない。訴えたところで泣き寝入りになる可能性もある。だから沈静化するまで、今だけだと信じて、耐えて来たのだろう。例え好きだった人に裏切られても。
でも、妊娠してしまったとなれば話は別だ。産むにしても堕ろすにしても、どちらにしてもこの事実は親の耳に入る。果たして両親は信じるだろうか。虐められ、レイプされたが故に妊娠してしまったと、両親は信じるだろうか。もし信じるとしても、彼女の中で少しでも「両親に信じてもらえずふしだらな娘と思われる」という可能性が残っている限り、彼女は打ち明けることが出来ないだろう。
だからこそ、彼女は此処に来たのだから。

「私を、解放してくれますか……?」

少女の訴えは、まるで縋るようなものだった。否、実際に縋っているのだろう。
もう彼女が取れる選択肢は、これしかないのだから。

「わかった。君を解放してあげる。もう君は何も苦しむことはない。何も嘆くことはない。…だから、君に確認したいことがある。」
「確認、したいこと?」
「この事実は…どうしたい?」

そう告げると、少女はぴくりと眉を動かした。そう、彼女にとって欲しい選択というのは、この虐めを世間に知らしめるか否か、だ。それによって、小鳥遊の遺体に対する扱いも変わって来る。

「…知らしめ、たいです。悔しいです。ただ死ぬだけなんて、悔しいです。私がこんなにも死にたいと思う程苦しんでるのに、他の人達はのうのうと生きるなんて、私、そんなの厭ですっ!どうして私だけ!どうして私だけ!どうして…!」
「わかった。大丈夫。」

少女の涙を拭って、小鳥遊は優しく笑って見せた。本当はこの少女は、もっと生きたかったのだろう。生きたかったからこそ、耐えて来た。けれどももう、少女に希望が残されていない今、もう逝くしか、少女に選択肢はないのだ。
それならばせめて知らしめたい。何故自分が死んだのか。何故自分は死ななくてはならなかったのか。そして、死に追いやった人間には、それ相応の十字架を、それ相応の代償を、支払ってもらいたいと思うのが人間の性だろう。
その気持ちが、小鳥遊には痛いほどよくわかった。
だって、自分とこの少女は、同じなのだから。
少女は小鳥遊の笑顔に安心したのか、涙を止め、じっと赤い瞳を見つめている。

「君の無念は、きっと晴らされる。大丈夫。だって此処は、その為の店なのだから。」

数日後、少女の遺体は少女の通っていた学校で、少女の通っていた教室で、発見される事になった。第一発見者は部活動の朝練習で訪れた男子生徒だそうだ。教室は一面百合の花で覆われていて、少女の遺体は、まるで眠っているように綺麗で、美しいものだったらしい。

 


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