悠久休暇


本編



悠久休暇の店主は小鳥遊一人だが、だからといって店そのものの運営を小鳥遊が全て一人で行っている訳ではない。
自殺志願者を導くのは当然小鳥遊の仕事だが、それ以外の事。つまり、遺体を運んだり依頼人の部屋に侵入したりといった類のことは小鳥遊が他の人間に依頼をして動いてもらっている。
小鳥遊は基本的にはこの店から一歩も出ないのだ。一歩も出ないというべきか、一歩も出られないというべきか、とにかく小鳥遊はこの店からは一歩も出てこないのだ。

「なぁ小鳥遊ィ。此処のワインもらってっていいか?」
「って言いながら懐にもう入れてるじゃないか。まぁ、いいけどさ。」

小鳥遊は大きなため息を付きながら、目の前の男を睨む。その男は紫色の袈裟をまとった男で、祭服を着た小鳥遊と、袈裟を着たこの男との組み合わせはなんとも異質であった。しかも袈裟姿の男は金色の髪と、小鳥遊と同じように赤い瞳をしていて、本来袈裟をまとっている男の職業に相応しい色でないのは明白だ。
懐に入れたワインをいつ飲もうかいつ飲もうかと口元に笑みを浮かべながら見つめているこの男は雅楽と言い、荒れ果てた寺で一人暮らしている僧侶なのだという。
しかし、人が立ち入らないような古びた寺で悠悠自適に暮らしているという言葉はとても怪しい。そんな場所じゃそもそも人間が暮らせる環境ではないだろうに、どのように生活をしているのか。小鳥遊は其処まで踏み入ることはなく、仕事を手伝ってもらう代わりに雅楽に酒や食べ物を分けたり、金を渡したりということ行っている。
先日も雅楽に依頼をして、依頼人とその家族の骨を海に巻くよう頼んだばかりだ。今日はその礼を渡すということで、この店に来てもらっている。

「ワインだけでいいの?」
「あ、メシも食いたい。作って。」
「はいはい。あ、そうそう。お礼もそうなんだけどさ、追加で依頼したいことがあるから、ついでにその礼も併せてしたいんだけど。」
「人遣い荒いなお前…まぁいいけど。で、どんなの?」

客人用の椅子に腰かけながら、雅楽は小鳥遊にそう尋ねる。すると小鳥遊の顔色がみるみる曇った。普段は滅多に顔色を変えない小鳥遊のその変化を意外に思い、雅楽は更に小鳥遊へ問いかける。

「どうしたんだよ。変な顔して。」
「まぁ、うん、見ればわかるよ。…食事前と食事後、どっちがいい?」
「食事後がいいかな。」
「だよね。了解。」

小鳥遊はそう答えると、雅楽の食事を用意するためにカーテンの奥へと入って行った。

第四話 ツいていない客人

「は?」

小鳥遊は思わず聞き返した。普段であれば客人に対してこのような反応はしないのだが、今日は特別だったのだ。目の前に座る客人はぷるぷると拳を震わせながら、小鳥遊をきっと睨むように見る。
まるでその視線は、なんでわかってくれないんだと訴えるようにも見えたのだが、それにしても小鳥遊にとってすぐに理解をするのは難しいものだった。
客人である少年は、まるで噛みつくように小鳥遊へ自身の想いを語っていく。

「だから、死にたいんですよ。もうたくさんなんです。今日は雨で、よりにもよって水溜まりをかぶって新しい服が台無しなんですよ?これもう死ぬしかないじゃないですか。」

小鳥遊は唖然としていた。今まで自殺をしたい、死にたいと、この店を訪れる者は何人かいた。それでも死ぬ理由といえば仕事でうまくいかないとか、家庭がうまくいかないとか、大事な人を喪ったとか、それなりの理由があったし、自殺するにはまぁ納得の出来る理由だった。
しかし今回の依頼は今までのそれと随分違うように思える。
否、「思える」のではない、実際に、違うのだ。
通常の客人はぽつりぽつりとゆっくり自殺志願の理由を吐露していくのだが、この客人はやけに饒舌に自分の想いを小鳥遊に対してぶつけていた。

「もう、厭なんですよね。なんかもう、世の中全部思い通りにならないなぁって…ほんと。せっかく新しい服でゆったりと散歩したいと思っていたのに、僕の予定がこれでぶち壊しですよ。」

話によればこの少年は、雨の中歩いていたら車によって新品の服を泥水まみれにされたから死にたいというらしい。確かに彼の足元をよく見れば、真っ白なズボンの裾は茶色く汚れている。これではせっかくの白さも台無しだ。他の色と違って、洗ったとしても目立ってしまうだろう。
だからと言って、一般常識からみてもたかが泥水で服が汚れただけで自殺をしたいという人間がいただろうか。否、いるのだ。いるから現に彼は此処にいる。しかも本人は至って真面目だ。そして真剣だ。だからこそこの店を訪れ、目の前の客人用の椅子に腰かけている。茶化しているとかそういう次元ではない。だからこそ言いたい。お前は馬鹿かと。
だがその言葉は喉まで出かかったが、直接放たれる前に小鳥遊によって飲み込まれた。
そもそもこんな雨の日に白い服を着て歩くことそのものがナンセンスなのだ。しかしこれもまた小鳥遊が突っ込みを入れる必要はないことだろう。

「まぁ、それが君の願いだというのなら、それを支援するのが僕の仕事な訳だけど。」
「それだけじゃないんです。」
「……は?」

自殺を志願する理由はそれだけではない。まさか複数の理由があるとは思わず、小鳥遊は目を丸める。別に理由が複数あるのは珍しくない。しかし、根本は配偶者に原因があるとか、学校生活に原因があるとか、職場に原因があるとか、原因といえる根源は一つであることが多い。しかしこの少年の理由は、その根源すらもきっと複数あるのだろう。
ひとまず、少年が語るのであればその言葉に耳を傾けるのも小鳥遊の仕事だ。思考を切り替え、少年の話を聞く体制に戻る。

「それだけじゃないんですよ。僕が死にたい理由は。僕ね、きょうだいが多いんですよ。弟が二人、妹が一人、姉が三人。」
「へぇ…大家族だね…」
「よく同級生からも、きょうだいが多いとそれなにりに意味深な顔をされます…」

確かに、きょうだいが多いということは、きょうだいが生まれるその過程の営みもそれなりにあったということを露呈するようなものなのだろう。人間も動物。子孫を残す生き物なのだから繁殖行動は当然するし、互いの快楽のため性行為をすることだって当然ある。思春期であればそれを面白がる者がいても不思議ではない。
そもそも人間には避妊するという知識があるのだから、子どものいる数イコール性行為の数ではないし、きょうだいがいる夫婦よりも、子どもが一人しかいないような家庭の夫婦の方が意外とずっこんばっこんと欲望のままに行為を致している可能性は大いにある。だから子どもの数と性行為の数は必ずしもイコールではないのだ。そう。必ずしもだ。
しかし、パッと見では子どもの出産回数から最低回数というものは見積もれてしまう訳で、子どもをたくさん産んでいる夫婦はお盛んだと言われてしまうことが多い。ひどく遺憾ではあるが、世間の視点というのはそんなものだ。それ故に馬鹿にされ、虐められ、それを苦にするというのであれば、まぁよくある話だ。
だが自分が生業としているのは生命の誕生ではなく、生命の喪失だ。そんなことをフォローするのは野暮だろうし、そんなことをしたところで彼の心の傷が癒えるという訳ではない。

「でもそんなこと僕にとってはどうでもいいんです。」
「そう、そんなことどうでも…って、はぁ?」

この少年はことごとく小鳥遊の予想を裏切るらしい。通常であれば一般的に自殺の原因となりやすい同級生からの茶化し。しかしそれは少年にとってはどうでもいいというのだ。これは驚かずにはいられない。更に男は話を続ける。

「デザートの定番で、プリンとかあるじゃないですか。あれ、蓋に僕の名前を書いてもきょうだい達が勝手に食べるんですよ!しかも!それくらい我慢しろとか言うんですよ!で、僕が仕返しに食べると半殺しかっていう位の仕打ちに合うんですよ!」

食べ物の恨みは恐ろしいとはいうが、まさか同級生の茶化しよりもプリンを食べられる方がより精神的にショックが大きいとは思わない。小鳥遊は笑えばいいのか呆れればいいのか同情をすればいいのか既にわからなかった。
本人としては至って真面目なのだから、こちらから言うべきことは何もない。はず。

「僕はとことん、ついていないんですよ。今日もきっと帰ったら、姉とかにプリンやアイスを食べられて、反論すれば蹴られて、この前なんて犬のフン踏んだし、もう嫌なことばかり重なって…はああああ、だから、もう、死にたいなって。」

少年は俯くようにして呟く。彼の死を願う気持ちは間違いなく本物なのだろう。なのであれば当然、願いを叶えなければならない。否、この店に来たからには願いはきちんと叶えるのだが。

「だから、もう、殺してください、ひと思いに。」
「いや、僕は自殺を支援するのであって殺すのは生業じゃないからさぁ。」
「支援するのと殺すのとではどう違うんですか。」
「だって君には眠ってもらうだけ、だし。」
「そうなんですか…まぁそんなことどうでもいいけど、とにかく早く死なせてくださいよ。あ、遺体はばばーんと派手にしてほしいです。十字架に磔みたいな、派手な感じで。それと…」

その後少年はかれこれ一時間近く、自分が死んだ場合にしてほしいことを述べてからミルクティーを飲み干したのである。
小鳥遊は重い溜息をつきながら全てを語り終え、項垂れていた。雅楽も口の中に含んだ食べ物を飲み込んだ後、小鳥遊と同じように溜息をつく。

「なんか…濃い依頼人だな…」
「なんか、レアケース過ぎて…ちょっとびっくりしちゃった。」
「まぁ、塵も積もればって言葉もあるし…今までの鬱憤が、今回の形で変に爆発しただけなんじゃないのかな…」
「だといいけど。ちょっと来てくれる?」

雅楽が食事を終えたのを見計らって、小鳥遊は雅楽をカーテンの奥へと導く。生活感のある奥の部屋には、よくみれば更に扉が二つあった。左右それぞれ同じような古びた扉だが、小鳥遊は右側の扉をゆっくりとあける。
その部屋には細長い台があり、更にその上に大きな棺が置かれていた。棺に近づけば一人の少年が両手を組んでその中で眠っている。

「寝てんのか?」
「わかってるくせに。死んでるよ。」

小鳥遊は呆れたようにそう告げる。雅楽は念の為、少年に触れてみるがひやりと氷のように冷たく、間違いなく死んでいることがわかった。しかしその割には血色が良いし、まるで眠っているだけのようにも見える。それが小鳥遊の技術だ。小鳥遊の死化粧は、どんな死体でもまるで生きているかのように見せることが出来る。故に本当に安らかな顔で死んでいるように見えるのだ。だからこそ、悠久休暇で死んだ者は皆、安らかに死んでいる…という話が出回っている。
実際に死体には目立った外傷もないし、苦しんでいる様子もないのだからそう言われるのは化粧だけではないだろう。
雅楽が整った死体をまじまじと見つめていると、小鳥遊からいつまで見ているのだと横やりが入った。

「これから本題なんだけどな。」
「はいはい。で、なんだ?頼みたいことって。」
「いや……本当はこれ、僕の主義に反するんだけど…」
「ん?」
「依頼人がさ、死体を…十字架に磔にしてほしいっていうんだよね。で、自分の家の中を、全て自分の血で満たしてほしいて。」
「………は?」
「いやぁ、なんか自分の不条理な怒りを伝えたいんだって力説してさ。一応依頼だし、応えない訳にはいかないんだけど…綺麗な死、が僕のポリシーだし、なんかそれに反するなぁっていうのと…物理的に…ねぇ…」
「…………」
「どうしよ、これ。」

流れる重い沈黙。この客人は想像以上に自分たちの頭を悩ませるらしい。
全ての者に心安らかな死を。このモットーを抱える限り、たとえ既に客人が死んでいるとしても、客人からの依頼であれば叶えない訳にはいかない。

「なんか…依頼料取りたいよね。これ。」
「小鳥遊……今回の謝礼は高いぞ。」
「承知の上だよ。…頼むね。」

とりあえず血糊でも見繕うか。雅楽はそう言って、深い溜息を漏らした。

 


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