悠久休暇


本編



悠久休暇。自殺志願者の支援を目的とした店。自殺に伴う費用は基本的に無料。必要なのは死を心から望むこと、それだけだ。それ故に、お金を持っていないホームレスや、幼子でもこの店を訪れることが出来る。

「死にたいの。」

今日訪れた客人は、自殺とは無縁ともいえる少女。まだ幼さが残る少女は、十歳前後、少なくともまだ小学生であることは間違いない。花柄のワンピースはなんとも女の子らしくて、特別汚れやシワがほとんどないことから、この服を買ってもらったのは最近なのだろう。身なりからしても、年齢からしても、この店とは縁遠いはずの子だ。
そんな少女がもじもじと落ち着きなく椅子に座っている。正直、こういった客人は滅多にいないので、小鳥遊は困り果てていた。しかしこの店に来ることが出来たということは、少女が偶然にも迷い込んでしまったのだとか、遊び半分で此処に来たとか、少なくとも軽い気持ちで此処に来てはいないということを意味する。だからこそ困っている、という面もあるのだが。
別に全員が全員殺したい訳でもない。死にたいと言われればそれなりに支援はするし、全力を尽くす。小さい子どもといえども、希望するのであれば導くのが役割だ。異例はない。例えそれが、まだ様々な苦境を受け入れ切ることが出来ない幼子相手であっても。
小鳥遊は少し身体を屈めて、なるべく少女と目線が合うようにする。大きな瞳に、自身の赤い瞳が映った。

「どうして、死にたいって思ったの?」

そう問いかければ、少女の瞳からはぼろぼろと大粒の涙を流す。彼女の気持ちが本物かどうか、悟るにはそれだけで十分だった。ワンピースの裾をぎゅっと握りしめながらぽつりぽつりと、少女はその理由を語っていく。

「お父さん、いつも、私のこと怒るの。いつもイライラしてて、きっと、私のこと、嫌いだから、私なんて、死んじゃっても、お父さん、なんとも、思わないもん…だから、死にたい、死んじゃい、たい、消えたいの…」

ひっくひっくと嗚咽を漏らしながら、少女は手の甲で目を擦りながら涙を拭う。気にならないことがない訳ではない。お父さんがいつも怒ってばかりなのは心当たりがないのかとか、お母さんは庇ってくれないのかとか、聞きたいことは多々ある。もしかしたら少女には、本当は自殺する理由はないのかもしれないし、そうすれば命を一つ、奪う必要がなくなる。

(でも、彼女が今求めている救いはそれじゃない。そして、僕が与えているものもまた、それじゃない。)

小鳥遊は自分へ言い聞かせるように心の中でだけ呟くと、未だに少女の瞳から溢れ出ている涙を優しく指で拭ってやる。少女はきょとんとした瞳で小鳥遊の顔を見上げていた。大きな瞳。小さな身体。まだまだ可能性があるかもしれない少女。しかし、その可能性が、絶望一色に塗り潰されてしまっているということを、小鳥遊浮は知っていた。

「君のお願い、叶えてあげる。さぁ、これを飲んで。もう君は、泣く必要はなくなるから。」
「うん。ありがとう、おにいちゃん。」

少女はにこりと微笑むと、いつもよりミルクを多めに注いだミルクティーをゆっくりゆっくり飲み干していく。それを飲み干し、少女が眠りについた時、少女の人生に終止符を打たねばならないのだ。
カップをテーブルに置いた少女は、力なく椅子へもたれかかる。潤んだ瞳は少しずつ細くなっていき、重力に勝てなくなった瞼は固く閉ざされた。少女の頬に優しく触れ、意識が手放されたことをしっかり確認する。

(願いを叶える。僕に出来ることは、それだけだ。)

第三話 すれ違いの親子

その日店を訪れたのは、ひどく落ち込んだ様子の男だった。年は三十台半ばだろうか、中年というにはまだ少し早い、そんな年頃の男だ。目の下はクマで真っ黒に塗りつぶされていて、髪もぼさぼさでフケまみれだ。清潔感という言葉からはかなりかけ離れているその男は、少し異臭すら漂わせている。ほとんど眠らず風呂にも洗わずの状態に陥るくらいの出来事があったのだろうか。
そしてその男には、何故か見覚えがあった。しかしその男と出会ったのは今日が初めてだし、お世辞にもあまり人の顔を覚えるのは得意ではない。では何故見覚えがあるのだろうか。その理由は、すぐに男自身から語られた。

「娘が、死にました。」

その男は、先日小鳥遊の元へと訪れた少女の父親だったのだ。見覚えがあった理由は、幼い来客が珍しく小鳥遊の中で印象に残っていたからだ。よく見れば目元が少し、前日出会った少女と似ている。泣きじゃくる少女の瞳をずっと見ていたし、少女が訪れてからそう日にちも経っていなかったので、覚えていたのだ。これがごく一般的な来客であったり、少女が訪れたのがもう一か月以上前だったりしていたら、話は違っていたのかもしれないが。
少女は小鳥遊の手によって「救われた」後、少女の家のベランダで横たわっている状態で父親によって発見されたのだと、発見者である父親自身から語られた。既に呼吸は止まっていて、心臓も止まっていて、手遅れだったと。それはそうだ、小鳥遊が間違いなく死んでいることを確認した上で、彼女は送り届けられたのだから。

「死因は、酸欠だそうです。とても綺麗な、穏やかな顔で、眠るように死んでいました。娘が死ぬほんの少し前、妻が交通事故で亡くなって苛立っていた私は娘にきつく当たってしまいました。もしかしたら神はそんな私に罰として、妻だけでなく娘までも奪ってしまったのかもしれません。」

少女が母親に庇ってもらえない理由は、そこにあった。そもそも父親が荒れた原因そのものが、その母親の死だったのだから。死人に口なしとはよく言うが、口もなければ手足もない、身体がないのだから庇ってもらうことは出来ないに決まっている。
男は頭を抱えて身体を丸めた。言葉にならない唸り声をあげて、髪をぐしゃぐしゃに掻き毟り、ボロボロと頭に乗っている白いフケが散らばる。妻だけでなく、娘も失ってしまったのだからその反応は当然と言えば当然なのだろう。

「私には、妻が全てだったんです。そんな妻が突然事故で死んで、私と娘だけで取り残されて、寂しさと悔しさと虚しさと、心の整理がついていない私は、必死に私を元気付けようとして笑いかけて来る娘に…苛立ってしまったんです。母親を失ったばかりだというのに、何故笑っていられるのかと、私がこんなにも悲しんでいるのに、何故。と。そしてその思いの丈を、全て娘にぶつけてしまって…娘は、泣きながら外へ飛び出していきました。それでも、数時間すれば帰って来るって思ったんですよ。そしたら、その時にちゃんと謝ろうって。でも、娘は…娘は、生きて帰って来なかった………」

この親子は、本来であれば死ぬ必要なんてなかったのかもしれない。あの時、小鳥遊が死にたいと涙する少女に対し、父親はそんなことを想っていないはずだと、そう諭してやればきっと仲直りをして、親子で支えあって生きて行ったのかもしれない。
しかし小鳥遊はそれを放棄し、依頼にだけ従って少女を「自殺」させてしまった。そして今、最後の希望を奪われた父親はこうして店を訪れてしまっている。
それでも、自分にはこれしかないから。自分にはもう、これしか残っていないから。小鳥遊に出来る選択は、最初から一つだけだった。

「これを、飲んでください。」

小鳥遊は低く呟いて、ミルクティーを差し出す。
甘い甘いミルクティー。少女が飲んだ時のものよりミルクも砂糖も少なめのものだ。甘い香りが、白く暖かい湯気が、男の瞳に涙を溢れさせる。

「娘を抱きしめた時、とても甘い匂いがしたんです。甘い香りと、花の香り。不思議ですよね、近所に、香りがまとわりつく位に花が咲くような場所はないはずなのに。」

男はカップに満たされた琥珀色の液体を見つめながら、力なくそう呟く。その香りこそがこの店を訪れた証なのだということを、きっとこの男は知っているのだろう。だからこそ、男は此処に辿り着いたのだから。
カップに向けられていた視線が、顔を上げることにより小鳥遊へと移る。男の瞳は濁り切っていて、そこには何の感情も存在しない。
娘の死という悲しみをきっかけに、涙と共にありとあらゆる感情を放り出してしまったようにも見受けられる。

「でも、心当たりはあります。ネット掲示板で調べましたから。花の香りを残して不審な死を遂げる者は、きっと悠久休暇を訪れたなれの果てだと。…娘を連れて逝ったのは、あなたですよね。」
「…僕を恨んだりしないのかい?それ所か、客人として此処を訪れるなんて。」
「確かにあなたは、私の娘を死なせました。娘の自殺を援助しました。けれど、娘が死んでしまいたいと悩んだきっかけは…他でもない私です。私には、あなたを恨む権利はない。本来であれば、寧ろ私はこの十字架を背負って生きるべきなんです。娘を死に追いやってしまった罪を背負って、生き抜くべきなんです。けれど、私はそれを放棄して此処にいる。縋りこそすれど、恨むことなんて…出来ません。」

男はそう言って、力なく微笑んだ。その微笑みは口元の口角が上がっているだけで、瞳はちっとも笑っていない、そんな笑みだった。
白いコップに口付けられ、琥珀色の液体が男によって飲み込まれていく。全てを飲み干して、力なく椅子にもたれかかる姿は先日訪れた少女と重なるように見えた。

「とても暖かくて…甘いのに、何故か美味しいですね。此処最近…全く眠っていなかったのですが、ようやく…ぐっすり眠ることが出来そうです。」
「そう、ですか。」
「最後に一つ、お願いしてもいいでしょうか。」
「なんですか?」
「私の骨と…娘と、そして妻のものを……海に…妻も娘も、海が…好きだったものですから…」
「かしこまりました。喜んで。」
「……ありがとうございます。」

そのまま男は静かに穏やかに眠りについた。男が眠ったのを確認してから、小鳥遊はゆっくりと椅子から立ち上がりカーテンの奥側へと向かう。奥はごく普通の部屋となっていて、眠るためのベッドが置いてあり、店を行っている部屋よりも多少生活環が漂っている。
部屋に置いてある電話を手に取ると、小鳥遊は手慣れた手つきで番号を選び電話を繋ぐ。何回かコール音が聞こえた後、受話器から男の低い声が聞こえた。
 
『はいはいもしもし…で、今度はオレにどんな無茶振りをするつもりだい。』

気だるげな男の声に思わず小鳥遊は溜息をつく。どうせ今日もこの男は酒を飲んで眠りこけていたのだろう。声が寝起きのそれだ。
 
「仕事だよ仕事。無職の無能な君に仕事を与えてあげるんだから、感謝しなよ。」
『なんだよ仕事って…別にいいけど。で、今回は何だ?』
「うん。それはね…」

自分にはこれしかないのだから。せめて、客人の願い位は叶えよう。
奪ってしまった父娘の平穏を脳裏から振り払いながら、小鳥遊は受話器を握る手に少しだけ力を入れたのだった。

 


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