星が砕け散る前に


今日私はこの部屋を出て行く。
お揃いのスリッパに色違いのパジャマ、マグカップ、二つ並んだ歯ブラシ。幸せな空間も今となっては帰るのが苦痛になった。
リビングにも寝室にも2人で選んだお気に入りの家具達が並んでいる。
いつからだろう。居心地が悪くなったのは。
簡単な書き置きをダイニングテーブルに残し、そっとその横に薬指から外した指輪を置いた。

私と悟は確かに愛し合っていたと思う。
高専を卒業して同棲を始めて五年目。
お互いに支え合って笑い合って忙しくとも幸せな日々だと感じていたのは私だけでは無かった筈だ。
悟が多忙な日々を送っているのは勿論理解している。私は任務だけで手一杯なのにそれに加えて高専の教鞭も取っている。
忙しくても「僕の生徒がね〜」と楽しそうに話してくれる悟はキラキラしていて大好きだった。
でもいつからか笑いながら向き合う事が少なくなって、悟が家に帰って来ない日が増えた。彼の香りが甘ったるい物に変わり、休みの日も家から出て行く。眠れない日々が続いた。
私だけじゃ彼は支えることが出来ないのだからしょうがない事だと何度も言い聞かせてきた。
それでも私は悟の事を愛していた。

先日、普段なら何て事ない任務で大怪我を負って硝子の元に運ばれた。

「名前。怪我は治したけど、栄養失調に睡眠不足。良い大人が何やってるんだ」
「迷惑かけてごめんね」
「...あのクズの所為か」
「ううん。悪いのは私はだから...」
「もういいんじゃないか?近頃のアイツは目に余る。私は名前に笑ってて欲しい」

そう言いながら硝子は私の隈を指でなぞる。
ホロリと涙が溢れた。

「わ、たしには、もう出来ることは、何も無いのかな?」
「...離れてやる事もあのクズには必要なんじゃ無いか?」
「うん。そうだよね。ずっと分かってたけど、怖かった。悟の居ない世界で生きていくのが、怖かった。」
「...そうか。」
「硝子ありがとね。前に言ってた海外赴任の話し受ける事にする。私離れるよ」
「二年だったか?寂しくなるな」
「連絡するよ。海外の美味しいお酒持って帰ってくるから待ってて!」
「死ぬなよ」
「硝子こそ」

静かな医務室で微笑み合った。




四日振りに家に帰る。
この時間なら名前は家に居ないだろう。
部屋に入ってすぐシャワーを浴びる。名前も知らない女の香水が残って鬱陶しい。
脱衣所で髪を拭きながら、ふと感じた違和感。名前のメイク用品が無い。
そういえば!慌ただしくシューズクロークを開けると彼女の物が一足も無い。
寝室まで走りクローゼットを開ける。ウォークインのそこは綺麗に半分だけ空っぽだった。何で。どうして。
ダイニングテーブルの上に光るものが見えた。名前の婚約指輪。
横には彼女の綺麗な文字が並んでいる。

『今までありがとう。愛してる。幸せになってね』

名前に電話を掛けようと履歴を開くも彼女の名前はスクロールしても見当たらない。
最後に電話したのはいつだっただろうか。
僕は暫くそこから動けずにいた。


最初のきっかけはくだらない物だった。
僕も名前も出張続きですれ違って会えなくてイライラしてる時に「お前たちがもっと早く来ていたら、息子は死なずにすんだのに!人殺し!」なんて罵声を散々浴びせられて、心が折れた。
僕はどうかしていたんだと思う。適当に声を掛けて来た女を手酷く抱いた。酷く顔を歪めて泣いてるのを見たらいくらかスッキリした様な気がした。けど終わると嫌悪感で吐きそうだった。
すぐ様ホテルを後にして家に帰ると、名前が「何か久しぶりだね。おかえりなさい」と笑顔で迎えてくれた。僕は何て事をしたんだ、と罪悪感に押し潰されそうになった。でもそれと同時に何で僕がこんな事をしてまうまで、気付いてくれなかったの?僕の事愛してないの?と思ってしまった。
「うん。久しぶりだね」ただいま。とは言えなかった。
それから僕は繰り返す。外で女を適当に抱いて家に帰る。いつも彼女の気配と彼女の香りがする幸せなこの部屋は自分の事が心底汚い様に感じて、居心地が悪くなっていった。
知らない女と泊まるのは吐き気がするからその後一人でビジネスホテルに泊まり家に帰る日が少なくなっていく。
この頃なると罪悪感は薄れていた。
むしろ気付いて怒って叱って、僕を許して受け入れてほしい。名前と笑いあっていた幸せな時の僕に戻して欲しいと思っていた。
全て僕が悪いのに彼女の所為にして、向き合う事をしなかった。
臭い香水を纏って帰っても彼女は困った様に笑うだけだった。
どんな気持ちで彼女はこの部屋で僕を待ってくれていたのだろう。
僕の所為で彼女を追い詰めていた。
名前が出て行くまで気付かないなんて本当に僕はクズだ。いやクズ以下だ。



硝子に聞いた。名前が栄養失調、寝不足で呪霊に殺されかけた事。
僕の所為で彼女が死んでしまってしたかと思うとゾッとした。
「私が居ると悟は幸せになれない」と海外赴任を決めたらしい。

「...僕の所為だね」
「本当にな。構ってちゃんかよ」
「名前が居ないと生きていけない」
「...お前ら似たもの同士でお似合いだよ。」
「...」
「アイツも同じ事言ってたな。...おい、クズ。元々名前はお前には勿体ないんだからな。次は無いぞ。次泣かせたら殺す」
「それって...」
「名前には笑ってて欲しいんだよ。アイツもうじうじ引きずってるしな〜。全部話して謝って玉砕して来い」
「...お前のそう言う所好き」
「私はクズなんてお断り」



任務を詰め込みまくって連休をもぎ取った。
こんな真面目に仕事したの初めてかもしれないくらい頑張った。
今日名前に逢いに行く。
少し逢うのが怖い。いやかなり緊張している。向き合うのなんていつぶりだろう。
僕を見たらどんな顔するだろう?やっぱり逃げちゃうかな。逃がさないけどね。
ちゃんと全部話したい。聞いて欲しい。
謝って済む事じゃ無いのは分かってるけど今すぐじゃなくていいから僕を受け入れて欲しい。
出来れば笑顔を見せて欲しい。
もう二度と傷付けないって約束するから。
僕はお前が居ないと生きていけないんだ。

名前。僕も愛してる。



  
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