プレリュードをもう一度






愛しい婚約者がやっと帰って来る。

「悟。スマートカジュアルって言うから何かと思ったよ。ピアノのコンサートって言ってくれれば早かったのに」
「いや、この後星付きフレンチ行くからエレガンスかなって迷ったよ」
「…なら、そっちを最初から言えよ」

溜め息を吐いた傑を横目にホールに入る。
最前列のど真ん中。本当は違う席だったんだけど、どうしても一番近くで彼女を見たくて権力使ってこの席に変えたんだよね。こういう時には権力も役立つよね。

開演の電子音が流れシャンデリアの光が薄くなって行く。
ステージにぽつんと置かれたグランドピアノがスポットライトに照らされた。
盛大な拍手を送られて現れた名前は僕が送った薄蒼色のベアトップのドレスを纏ってくれている。うん、良く似合ってるよ。
亜麻色の長い髪を靡かせながらゆったりとお辞儀をする彼女と目が合った。
スポットライトでキラキラと黄金に輝く瞳が訝しげに一瞬細められたが、気付いたのは僕だけだろう。
ホールが静寂に包まれ演奏が始まる。
シューベルトかショパンだっけ。それともドビュッシー?クラシックに詳しく無い僕は演目すら見ていないが、彼女が奏でる音は僕だけじゃなく隣の傑も勿論、会場の全ての人を魅了して行く。

彗星の如く現れた彼女は名だたる音楽家達を虜にし海外公演を経た後、日本でのソロコンサートを今日迎えた。
セクレート。名前も年齢も何もかも謎の天才ピアニストはその美貌も相まってそう呼ばれていた。
気付けばコンサートもアンコールを迎えている。彼女は休憩も無しに一時間半奏で続けていた。
何とも表現し難い美しい音がすぅっと伸びて消えると共に盛大な拍手が鳴り響く。
正にスタンディングオベーション。

「今日はお集まり頂き本当にありがとうございました。この公演で私はこの世界を離れます。最後に沢山の方々に聞いて頂いた事、この様な機会を与えて頂いた事に心より感謝致します。本当にありがとうございました」

深々とお辞儀をした後、退出した彼女に会場は響めき出す。
初めて喋った彼女にも驚いていたが、引退の事実に皆動揺していた。




「ねぇ。セクレート?だっけ?悟の知り合いなのかい?」

グランメゾンに場所を移し、傑と向かい合っている。

「ピアノコンサートとか初めてだったけど、また聞きたいと思うくらい素晴らしかったよ。引退なのが勿体ないね」
「そーでしょー?でも今日で終わり。高専に編入するから」
「は?」
「セクレート改め!苗字名前ちゃんは、僕の婚約者だからねぇ!呪術師になるのも勿論彼女の意思だよ」
「ちょっと情報が多すぎない?というか同い年くらいかと思ってたんだけど」
「大人っぽいのは否定しないよ」
「…本当、最初から言ってくれよ。」

やっと日本に帰って来てくれたのに教師と生徒になるとか悲しすぎるよね。
いや、待てよ。先生って呼ばれるの?え?滅茶苦茶に良くない?

「悟さん、お待たせしてすみません」

スタッフに案内されて席に着いた名前。
黒の総レースのワンピース。これも僕が送った物だ。

「名前!お疲れ様!本当に素晴らしかったよ!」
「ありがとうございます。…でもあの席では無かった筈ですよね」
「最後なんだから最前列で名前を見たくってさぁ〜!」
「はぁ。あ、御挨拶が遅れてすみません。苗字名前と申します。」
「そんな畏まらなくて良いよ。私は夏油傑。よろしくね」
「よろしくお願い致します。あの。今日、無理矢理誘われたのでは?」
「まぁそれはそうなんだけど、結果素晴らしい演奏を聴けたのだから大満足だよ」
「ふふっ傑さん優しいのですね。そう言って頂けるのは嬉しいです」
「えー何か打ち解けるの早くない?」

くすくすと笑い合う二人に軽く嫉妬する。
でもこれから高専でどうせ会う事になってたんだからしょうがない。可能性の芽は摘んでおかなくちゃね。それより今日はもっと大事な事がある。

「さ、始めようか!名前の公演お疲れ様とお帰りなさいの会だからね」
「こんなところ良く予約取れましたね。あ、これは愚問でした。」
「名前の為なら僕はなーんでも出来ちゃうよ〜」
「ふふっ悟、必死じゃないか。君にこんな可愛い婚約者がいたとはね」
「え?…悟さん?その話は白紙に」
「何度言ったら分かるの?僕は名前の事が大好きなんだ。お前じゃなきゃ結婚なんてしないから。それにご両親から承諾も頂いてるよ」
「え?!あんなに反対していたのに??」
「名前がいない間僕が何もしてないと思う?君の実家に通って僕の気持ちを伝え続けたんだよ。今ではお父様とも仲良しだよ!」
「あの父が悟さんと仲良し…」
「これで僕を拒む理由が無くなった訳だ!名前は僕の事大好きだもんね?どうする?まだ白紙に戻したいかな?」
「…はぁ。本当に貴方には敵いませんね」

名前が僕と両親の間で悩んでるのは知っていた。五年後に帰ってきます。と僕に告げて旅立って行った。
その言葉はピアノを捨てて呪術師を、僕を選ぶという事。あんなホールを満席にするくらいの実力があるにも関わらず僕と生きて行きたい、と言う彼女の気持ちが詰め込まれた言葉だった。
そんな熱烈な逆プロポーズ受けちゃったら僕も頑張るしかないじゃないか。
お陰で今ではご両親と冗談を言い合えるくらいに仲良くなれた。
僕の激重な初恋を舐めないで欲しいよね。

「という事で!傑くんにはここにサインして貰いまーす!」

僕の名前が既に書かれた婚姻届を傑に差し出す。

「悟の証人になるとはね。いや、何か、感慨深いな。」
「傑と硝子に頼むって決めてたんだよね」
「それは光栄だね」

名前の前に跪き濃紺の小さな箱をゆっくり開く。

「名前。僕と結婚して下さい。」
「悟さんは…本当に私でいいの?」
「ずっとお前しか見てないよ。名前はどうしたい?
「…そんなの最初から分かっている癖に。返事は勿論YESです!」
「っありがとう!世界で一番幸せにするよ」

泣きながらふわりと微笑んだ彼女に胸が熱くなった。傑から、周りから拍手が起きる。

「名前、弾いて欲しい曲があるんだけどいいかな?」
「私も弾きたい曲が浮かんで来たところです」

手を取りピアノへエスコートする。
勿論!許可はばっちり!
長い亜麻色の髪に黄金の瞳。セクレートだと分かると歓声が上がる。

「皆様お食事中に失礼致します。一曲だけ、私の愛しい曲を弾かせて頂きます。」

席に戻り傑と目が合とおめでとう。と柔らかく微笑んでくれる。
名前がスッと鍵盤に指を置くとシンっと静まった。目を閉じ指をなだらかに走らせる。

リスト愛の夢第三番。

覚えててくれたんだね。僕と出会ったあの日の事。
あぁ。何て幸せな空間なんだろう。
彼女に受け入れて貰えて親友も祝福してくれていて、柄にも無く泣きそうになる。

名前。愛をくれてありがとう。
この幸せを守ってみせると約束するよ。








  
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