すすり泣く声が頭の奥から聞こえてきた。とても怯えている。

臆病な人だった。恐れて、後戻りできず、前にも進みきることもできず、たった一人で堪えていたのだ。

泣かないで。怖がらないで。恐れないで。

聞こえてくる声が我慢ならないほどに辛い。

大丈夫。大丈夫。私がいるから。

思わずそう声を上げていた。遅くなってごめんなさい、無意識のうちにそう言おうとしたとき、はたと気が付いた。

私は誰のことを考えているのだろう。

その瞬間、消え入りそうな声が告げた。

"……すまなかった…"



「ッひ…、」



息が止まる感覚に藻掻くと、私の意識ははっきりとした。思わず起き上がり荒い息を吐き出し、いつの間にか流れ出していた涙を拭う。

どれだけ拭っても涙は止まらず、嗚咽が溢れる。場所も時間も気にせず、私はただ泣き続けた。

いくらか涙を流した頃、そんな私の背を誰かが撫でた。肩を震わせて顔を上げると、そこには豊かな白い髭と半月型の眼鏡、そしてその奥の輝く淡いブルーの瞳があった。

私は縋るように手を伸ばしていた。ちょうど彼の腰辺りに手をまわし顔を寄せ、堪らない気持ちを吐き出す。

目の前で起きたあの光景が、目を閉じればまざまざと思い浮かぶ。助けて。助けて。

嗚咽をあげ泣き続けている私の背中を、アルバスは何も言わずに撫で続けていた。

いくらか時が経ち、涙が止まり始めた頃、私は静かにアルバスにまわしていた手を離した。

アルバスは私の隣に静かに腰掛ける。ふとその景色を見れば、薄暗いそこは医務室のようだった。

隣のベッドには、ハリーが安心しきった顔で眠っている。ほっと胸が落ち着くのと同時に、私が囚われているあの出来事はすでに終わってしまったことであると思い知った。



「…アル、バス…クィレル先生が…、」

「あぁ。…残念じゃが、クィレルは、死んでしまった。」

「ッ…。」



掠れる声で呟けば、アルバスは残酷な現実を突きつけてきた。

落ち着いたはずであるのに、またくしゃりと顔が歪む。

アルバスはそんな私を見て、温かな手を伸ばす。優しく抱かれた感覚に、息を呑んだ。



「アリス…、君のせいではないよ。君は守れなかったわけではない。
君はクィレルを守った。クィレルを暗い闇から救い出したんじゃ。」

「…守れて、ない…っ、救えてない!だって…、」



クィレル先生は最期に、謝っていた。その真意は今になってはわからないが、謝るという行為は非があったと認めるときにする行為だ。

その言葉が最期だなんて。そんな気持ちで逝ってしまっただなんて。

もっと彼のために何かできたのではないか。それこそ、遅すぎたのだ。やりきれない思いが私の胸を突く。

堪らず震える私に、アルバスの腕の力が心なしか強まった。



「アリス、君はクィレルを救った!生か死かではない…心を救ったんじゃ。
自らの過ちを認め、更生しようとする者は昇れるじゃろう。そこへ導いたのは、アリス、君だよ。」



宥めるような温かさに、私は自然と瞼を降ろしていた。最後に一筋、涙を流し、ぽつりと呟く。

ごめんなさい。その言葉は小さく息を吐くようなもので、アルバスに聞こえていたのかはわからないが優しく頭を撫でられた。

口を引き結び涙を拭い、私が顔を上げるとアルバスは優しく微笑んでいた。つられるように私も薄く微笑み返す。



「アルバス……、ありがとう。」



そう囁けば、アルバスはしっかりと頷いた。

温かい気持ちに、私はそれこそ救われたようだった。

ふとハリーに視線を移す。ハリーは大丈夫なのだろうか。



「ハリー、は…?」

「ちょうど昼間に目を覚ましたのじゃ。君が最後だよ。
ハリーも友達も君を心配しておった。」

「あれから、どのくらい寝ていたんですか…?」

「3日間じゃ。おぉ、君の場合は4日目に差し掛かっておった。」



私は目を瞬いた。そんなにも気を失ってしまっていたのか。

そこまで考えて、最後に感じた引っ張られるような感覚に、はっと息を呑んだ。

あの人が、また、遠くへ行ってしまった。胸にぽっかりと空いた穴は塞がらないままだ。

もっとも、私以外にそれを望んでいる者は少ないだろう。私は力なく微笑んだ。

アルバスはそんな私の気持ちを知ってか知らずか、おもむろに立ち上がり私をベッドへ押し戻した。



「さぁ、おしゃべりはここまで。明日は学年末のパーティーじゃ。
ゆっくりお休み。」



アルバスはぐっすり眠っているハリーに視線を移し、また私を見てからシーッとイタズラに微笑んだ。

私はアルバスの姿に引かれるように微笑む。そして微かな声でおやすみなさいと囁いた。

目を閉じればすぅっと身体が軽くなり、あっという間に眠りについてしまっていた。



「…ん、」



次に意識がのぼった瞬間、はっと息を呑み込む音が聞こえてきた。

微かに目を開けると、ハリーと大きなハグリッドが私を覗き込んでいた。

私はぎょっとして身を引いてしまう。ハリーは目を輝かせ、眩しいほどの笑顔を私に向けた。



「アリス!目が覚めたんだね、よかった!
僕、君がずっと寝てたから、心配で…。」

「ハリー、ありがとう。」

「アリス、すまんかった!おれのバカなしくじりのせいで…!」



ハグリッドの目は泣き腫らしたように赤かった。戸惑ってハリーに顔を向けると、ハリーは肩を竦めて苦笑した。

どうやら今はハグリッドを宥めている最中だったらしい。ハグリッドは思っていた通り俺のせいでと自分を責めている。

ハリーはそんなハグリッドを元気づけ、ここで眠っている間に届いたお菓子を勧めていた。

それで思い出したかのようにハグリッドはハリーにと贈り物を渡した。こぎれいな革表紙の本にはぎっしりと写真が貼ってあった。ハリーの宝物になるとその様子を見て確信した。

すると校医のマダム・ポンフリーが私の目が覚めたのに気付いたようだった。せっかく面会に入れてもらっていたハグリッドも半ば追い出されるようにして医務室を後にした。

私はどこも悪くないと笑顔を向けた。診察をしながらマダム・ポンフリーはぶつぶつと何かを言っていた。

夜にはアルバスが言っていた通り学年度末パーティーがあると私とハリーは喜んでいた。マダム・ポンフリーは気に入らない様子だったが、アルバスが彼女にパーティーに行かせてあげるようにと言っていたようで、夜までを静かに過ごすことを条件に許可がおりた。

私とハリーは夜までの時間を、ほとんど話をしてつぶしていた。あの部屋に着くまでのハリーとロンとハーマイオニーの冒険、ハリーが目が覚めてからアルバスと話したこと。私はひたすらハリーの話を聞いていた。

やがて日が落ちて暗くなった頃、私とハリーは学年末パーティーのための仕度を始めた。マダム・ポンフリーは隠れて仕度をする私達を目敏く見つけ、最終診察をするとうるさかった。

いよいよパーティーに行けると思った頃には遅くなってしまったようで、大広間には生徒が皆集まっているようだった。ハリーの話通り寮対抗優勝杯を獲得したのはスリザリンのようで、緑と銀の垂れ幕が大広間を着飾っていた。

私とハリーが大広間に入っていくと、突然周りは静かになった。一瞬の静寂を置き、その後ざわざわと皆が一斉に話し始めた。そんな雰囲気に、私もハリーもげんなりした。

グリフィンドールのテーブルに向かうと、はっと立ち上がったハーマイオニーとロンが駆け寄ってきた。



「っあぁ、アリス、ハリー、もう大丈夫?」



そう言いながら堪らず抱きつこうとしたハーマイオニーをロンが止めた。

ハーマイオニーはむっとした様子だったが、ロンが私達はまだ病み上がりだと注意するとその手を慌てて引っ込めた。

その様子が微笑ましく、大丈夫だと笑顔を向けると、ハーマイオニーはほっと顔を緩ませた。しかしすぐに申し訳なさそうにその眉が下がる。



「あの、アリス…えっと、ごめんなさい。わたしたち、あなたの言葉をっ…。」



言い辛そうに止められた言葉の先は、言われなくてもわかっていた。ずっと、セブルスが賢者の石を狙っているわけではないという私の言葉を聞かなかったことだろう。

そのときは何となくやるせないような、不満にも似た感情があったかもしれない。しかしセブルスが彼等に見せている面を知っていたら、それも仕方のないものだとも思う。

不安げなハーマイオニー、そしてロンに、私はにっこりと笑った。



「いいの。
みんなが無事で、本当によかった。」



そう言って笑ったものの、ズキンと鈍い痛みが胸を刺した。クィレル先生のことが無意識にでも思い浮かぶ。

私はそんな様子を気付かれないように、テーブルに着こうと誘い四人並んで座った。

幸いなことに、話す間もなくアルバスの朗らかな声が大広間に響いた。



「また1年が過ぎた。今年も最優勝の寮を表彰したいと思う。では、得点を発表するとしよう。
第4位、グリフィンドール、262点。第3位、ハッフルパフ、352点。第2位は、レイブンクロー。得点は426点。」



パチパチと気のない拍手がバラバラに鳴った。

グリフィンドール、ハッフルパフ、レイブンクロー。どの寮もスリザリンが優勝杯を手にするのが嫌なのだ。

確かこれで七年連続であるとハリーから聞いた。スリザリン寮生はアルバスの言葉が待ちきれないようにうずうずしていた。



「そして第1位は、472点で…スリザリンじゃ!」



スリザリンのテーブルから狂喜の歓声が溢れた。その歓声と足を踏みならす音に、他の寮生は眉を顰める。

ハリーはうんざりしたようにスリザリンのテーブルを見ていた。その視線を追ってみると、ドラコがゴブレットでテーブルを叩いて大喜びしている。

すると、アルバスがスリザリンの歓声を鎮めるかのように言葉を続けた。



「よーしよし、よくやったスリザリンの諸君。だがの、最近の出来事も勘定に入れなくてはなるまい。
ギリギリで、得点を上げた者がいる。」



スリザリン寮生の歓声は消え、大広間はしんと静まり返った。

今まで大喜びだったスリザリン寮生は、打って変わって訝しげに眉を寄せて互いに顔を見合わせている。

教師のテーブルで一番大きな拍手をしていたであろうセブルスは、いかにも不機嫌そうに眉根が寄っていた。

大広間が静かになったことに満足げに、アルバスは眼鏡の奥の瞳を輝かせた。



「まず、ハーマイオニー・グレンジャー。冷静に頭を使って見事仲間を危機から救った!50点。」



グリフィンドールのテーブルからどっと歓声がわきあがった。

ハーマイオニーは状況が理解できていないようで、目を見開きながら口をぱくぱく動かしていた。

私がそっと、よかったねと耳打ちすると、ハーマイオニーは顔を真っ赤にして抱きつき肩を震わせた。



「次に、ロナルド・ウィーズリー。ホグワーツでも近年まれにみる、チェスの名勝負を披露してくれた。50点!」



天井を揺らすかのような歓声が起こった。

ロンはあまりの加点にポカンとしながら、兄弟が自分のことを自慢しているのを聞いていた。

長い歓声が続き、静かになった頃、アルバスはまた口を開いた。



「そして…ハリー・ポッター、アリス・八神。
その強い意志と卓越した勇気を!敵、味方皆に対するその優しさを称えたい!
そこで、グリフィンドールに2人合わせ、110点!」



まるで地割れでも起きているのではないかという程の大歓声が大広間全体に響き渡った。

耳をつんざくようなものだったので、思わずビクリと身体を跳ねさせた。

まさか自分の名前を呼ばれるとは夢にも思っていなかった。

目を輝かせて熱っぽくなっているように頬を染めたハリーが、夢中になったかのように抱きついてきた。



「やったよアリス!」

「スリザリンにならんだわ!」



ハリーの笑顔につられるかのように私も微笑んだ。あのときの減点を、本当に取り戻してしまったのだ。

抱きついてきたハリーの頭を包み込み、相変わらずくしゃくしゃな癖のあるその髪を撫でれば、慌てたようにハリーは私から離れた。その顔はこれ以上ないくらいに真っ赤だった。

ハーマイオニーの言葉の通り、ここまでの加点でグリフィンドールはスリザリンと同点になった。皆が狂喜している中でその計算ができたハーマイオニーはさすがと言うべきだろう。

せめてもう一点でもグリフィンドールに与えてくれたら。グリフィンドール寮生、そしてスリザリンの優勝を止めたいレイブンクロー寮生とハッフルパフ寮生は切に願っていた。



「…そして最後に!」



アルバスが手を上げてそう声を張ると、大広間の中は少しずつ静かになっていった。

十分にその静寂が訪れたと感じると、アルバスは微笑む。

待ちきれないその言葉に、皆はゴクリと唾を飲み込んだ。



「敵に立ち向かうのは大変勇気がいることじゃが、友達に立ち向かうのはもっと勇気がいる。
その勇気を称え10点を、ネビル・ロングボトムに!」



今度こそ、ホグワーツ城全体が揺れ動いた気がした。スリザリン以外のテーブルから拍手喝采がわき起こった。

グリフィンドール寮生は立ち上がって叫び、歓声を上げた。ネビルはアルバスの言葉や自分の状況をわかっていないようで顔を青白くさせていたが、皆にもみくちゃにされて見えなくなってしまった。

よくやった。かっこいいぞ。そんな言葉があちこちから飛んでくる。

大喜びのハリーとロンは、さらに愉快な光景を見つけたようだった。先程騒いでいたドラコが、驚きに顔を引きつらせていたのだ。それがまた嬉しくて堪らないような様子だったが、私はこのときばかりはと何も言わずに目を瞑った。



「さて!わしの計算に間違いがなければ、表彰式の飾り付けを…変えねばの!
ではグリフィンドールに、優勝杯を!」



そう言って叩かれた手の音と同時に、垂れ幕がなびき緑は真紅に、銀は黄金へと色を変えてみせた。

高らかに告げられた言葉に、全校生徒は自身のかぶっている三角帽を投げ上げて一年の終わりを祝福する。

グリフィンドールが優勝したのだ。教師のテーブルではセブルスが苦々しげな作り笑いでマクゴナガル先生と握手していた。マクゴナガル先生は誇らしげで、興奮したように頬を染めていた。

その夜はどんな夜よりも素晴らしかった。何より皆の笑顔が輝いていたことが嬉しかった。

浮かされたように夢心地のままパーティーを楽しんだ。久しぶりのご馳走だったので、身体に負担にならないやさしいものを選んで口に入れていた。このまま続けて医務室にお世話になりたいわけではないのだ。

私はこの場に居られるだけで満足だった。とても幸せで満ち足りていた。

やがてパーティーが終わると、皆はそれぞれ寮に戻り眠りにつく。私もハリー、ロン、ハーマイオニーと共に寮へ戻り、笑顔でわかれて部屋へ入った。



『っナギニ…!』



部屋の扉を開けると、まるで私が入ってくるのがわかっていたかのようにすぐそこにナギニがいた。

眠っていた日にちを合わせ、数日一緒にいられなかったナギニに私は思わず唇を震わせる。その場に膝を折り、ナギニの身体へと手を伸ばす。

よく知った感覚と温度がその手に触れた瞬間、身体の力がほっと抜けていくのがわかった。ナギニは頭を上げて私の頬から首元に擦り寄る。



『あぁ。アリス、おかえり。』

『…っ、ただ、いま…ナギニ、ただいまっ。』



優しい声色に胸の奥が解れていく。堪らずひくっとしゃくり上げれば、ナギニが笑った。

無事でよかった。そう囁かれ、身体が熱くなりとろけるような心地になる。

ナギニのひんやりとする身体はとても気持ちがよく、その滑らかな肌に手を寄せる。ナギニの自由が利く程度にその身体を抱きしめた。ナギニも私の身体を抱擁するように優しく絡みつく。

やっと心の底からの安堵を手に入れた心地の私は、ぼんやりと口を開いた。



『……ナギニ、クィレル先生が、…っ…。
卿はまた、ここから離れて…行ってしまいました。』

『……そうかい。』



ナギニはただ静かな声で相槌を打ち聞いてくれていた。ふと、その存在が消えてしまいそうに感じ、私はぎゅうと腕の力を無意識のうちに強めていた。

ナギニはそんな私を咎めることはせずクスリと笑みを含ませる。

息を吐くように、仕方のない子だねと囁かれた。この言葉も、もう何度聞いただろう。

ここまでナギニに甘えてしまうのは自分でも情けなく感じた。けれどこの長い年月を共に過ごしてきていても、ナギニはこんな私を受け容れてくれるのだ。こんな、弱く脆い私を。

ふと顔を上げるとナギニのトパーズの瞳と目が合った。鋭い瞳孔がきゅっと笑ったように細まった。



『アリス。あんたが待っている限り、主人はかえってくるさ。』

『…ぅ、ん。』

『いい子だね。よく頑張ったよ。
さぁ、もうお休み。全てを忘れて、眠ってしまいな。』



言い聞かせるようなナギニの言葉に、私は無意識のうちに涙を流していた。ツゥッと頬を伝う涙に気付かぬまま、その言葉の通りにベッドへと足を進める。

蹲るように横になれば、私を包むようにナギニが這い寄ってきた。

ナギニの言葉に安心しきったように、胸が軽く温かくなる。薄く笑みを浮かべて瞳を閉じれば、疲れ切っていたのであろう私が眠りにつくのはあっという間だった。

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