ドクン、心臓が跳ね上がった感覚に息苦しさを覚えた。身体が捩れるかのように苦しい。

荒く息を吐き、身動ぎする。その床の堅さと冷たさに、薄く目を開けた。

今自分が横になっているのが石畳の床であることを理解し、鉛のように重い身体を動かし上体を起こす。

一体どれほどの時間をここで過ごしていたのだろう。薄暗い空間の中では時間を知る術もない。なんとなしに手足が冷えている感覚から結構な時間が経っているのではないかと予想立てた。

それと同時に、目を開ける前の記憶が思い出された。そうだ、クィリナス・クィレル先生に杖を突きつけられ気を失ったのだった。彼の一瞬見せた辛い瞳。そうなるまでに追い詰められたのは自業自得とも言えるだろうが、私ももっと気をつけなければいけなかったと胸が苦しくなる。

闇の帝王(あの人)を利用しようとしていた時点で、こうなることはわかっていた筈なのだ。戻れなくなることも、わかっていた。

胸を締め付けられる感覚に、ぐっと唇を噛んだ。



「…起きたようだな。」

「ッ!」



ちょうどそのとき、後ろから足音と共にその声がかけられた。

はっとして振り返ると、クィリナス・クィレル先生が表情のないままこちらを見ていた。

その姿に、思わず顔を歪めてしまう。本当に、あなたがここまで来なければいけなかったのかと、辛く苦しくなる。



「…クィ、レル、先生……。」



微かに呟くと、クィレル先生は今までになく辛い顔をした。

カツカツと足早に私の元まで足を進める。目の前に来たかと思うと、ぐいと顎下を掴まれた。

そのまま顔を寄せられ、傷ついたような憤慨したような瞳と目が合う。



「なぜッ私をそんな目で見る…!
見くびっているのか!憐れんでいるのか!」

「っ、ちが…!」

「お前に何がわかると言うのだ!わかったような目で私を見るな!」



その言葉は明らかな拒絶だった。大声をあげ、肩で息をしているクィレル先生に、息が詰まる。

きっと、私の姿に、傷ついたのだ。今の彼の様子を不憫だと思っていると、そう思わせてしまったのだ。

私にとってはそれは自身に対する気持ちでも、彼にはそう思われなかったのだろう。彼をそうさせてしまった私への罪だとしても、それを理解されるとは思っていない。



「…ごめん、なさい……っ。」



あなたを追い詰めてしまって。戻れる道を示せなくて、ごめんなさい。

その気持ちがクィレル先生に届くとは思っていないが、そう言わずにはいられなかった。クィレル先生はさらに顔を歪ませた。

大きく鼻から息を吐き、私を突き飛ばすようにして手を離してくるりと身体の向きを変える。

私は後ろ手に身体を支え、震える唇を引き結んだ。

虚勢を張ったように弱々しく見えるクィレル先生の背中に目を移すと、彼が向き合っているのが見覚えのある鏡であることに気が付いた。

みぞの鏡だ。アルバスが場所を移すと言っていたが、こんなところにあったのか。

そう思うのと同時に、辺りを見回した。どうやら柱と階段に囲まれ、くぼんだ空間の真ん中にいるようだった。ここは、どこだろう。

私がそう不思議に思っているのがわかったのか、クィレル先生は息を落ち着けて話し出した。



「…あのマヌケの飼い犬を鎮め、薬草の罠をくぐり、飛行した鍵を手に入れ、チェスに勝利し道を開き、私のトロールを倒し、薬の謎解きをものともせずここまで来たのだ。
だが、この鏡はなんだ?この鏡を使い、どうやって賢者の石を手に入れる。」



静かに、自問自答のように語られた言葉に、ここがあの三階の隠し扉を突き進んだ場所であると理解した。

ハグリッドの三頭犬(フラッフィー)、スプラウト先生の悪魔の罠、フリットウィック先生の空飛ぶ鍵、マクゴナガル先生の巨大チェス盤、クィレル先生自身の門番のトロール、セブルスの論理パズル。そして最後の関門が、このみぞの鏡なのだろう。

私は緊張に息の音すらさせないように身を引き締めた。鏡の前でクィレル先生は考えながら足を動かしている。



「この鏡、ダンブルドアの仕掛けか。…っなぜ、何も示さない!なぜ賢者の石が手に入らない!
一体、どんな仕掛けが…、」



そこまで呟いたクィレル先生はおもむろに私を見た。息を潜めるようにしていた私はビクリと肩を震わせる。ニヤと浮かべた笑みに背筋が凍ったように感じた。

ゆっくりと近づいていたクィレル先生に、ほとんど無意識のうちに後ずさっていた。しかしクィレル先生の歩幅と、私の怠く感じる身体を動かすのとでは距離が縮まるのは歴然だった。

クィレル先生は私の目の前まで来ると、あの貼り付けたような笑みのまま、目を細めた。



「ミス・八神……、アリス。お前も、闇の帝王の復活を望んでいるのだろう?」

「っ、」



首輪に手をかけられ、ぐいと強い力で引かれる。首に掛かる力による息苦しさに、むせびそうになった。

げほっと思わず息を吐き出す。クィレル先生はそんな私を見て眉を顰めると、よろりと立ち上がった私の腕を強く引いた。

その足が向かっているのがみぞの鏡の前だと察し、私は思わずしゃくり上げた。

私を使って、石を取り出そうとしているのだとわかるが、あの鏡は私の恐怖の対象でもあるのだ。私の望みはなんの形にもならないと、そう言うように突きつけていたのだ。

私は夢中で足に入るだけの力を入れ、抵抗をした。クィレル先生が心なしか苛つくのがわかった。

けれど力を弱めることはできなかった。もしもあの鏡が違うものを映し、もしも石を手に入れてしまったら?クィレル先生は迷わずあの人の言う通りに力を取り戻すために石を使うだろう。しかしその後はどうなるのか。

あの人が復活した後、クィレル先生は、どうなるのだろう。



「っクィレル先生、待って…ッいや!」

「嫌、だと…馬鹿なことを。」

「きょ、卿が戻ってきたら…ッあなたは、」

「!」



私が言おうとしていることを察したのか、クィレル先生は酷く顔を歪めた。その瞳に恐怖が浮かんだのをはっきりと見て、彼が感づいているのだということを知った。

そう。あの人が復活したら、恐らくクィレルの命はないだろう。あの人の手にかかるか、もしくはあの人がその身体から出る時点で息絶えるか。どちらにせよその命がなくなることは容易に想像できた。

彼も、死を恐れているのだ。しかしそれ以上に彼による植え付けられた恐怖の方が勝っているのだろう。

その姿が堪らないほどに辛く、私は泣き出しそうに顔を歪めた。そんな私の姿を見たクィレル先生は、ビクッと身を引くようにして私を突き飛ばした。



「ッぅ…っ。」

「わ、私は…ッ、」



私は再び冷たい床の上に手をついた。私を突き飛ばしたクィレル先生は怯えたように手を震わせた。その対象は、あの人なのか、私なのか。揺れる瞳が私を見ていて、私は思わずしゃくり上げながら手を伸ばそうとしていた。

そのとき冷たい空気を伝って、ゆっくりと階段を降りてくる足音が聞こえてきた。徐々に大きくなってくる足音が、階段の途中で止まる。

私達ではない誰かの、はっと息を呑んだ声が響いた。



「あなたがっ…!?」

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