玄関ホールに着くまで誰も何も言わなかった。明るく暖かい時間であるというのにひやっと冷たいような、はたまた身体が熱を上げて暑いような感覚があった。

外の光に慣れてしまっていたせいか、城内は暗く陰気に思われる。ほとんどの生徒が外へ出ているのか人の気配はなかった。

ふとハリーがアルバスのところへ行かなければと呟いた。こんな――学校内だけではなく魔法界、マグル界に関わる――大きな騒動が起きようとしているのであれば、私達だけでは対処しきれない。確かな実力と人脈がある人物に委ねた方が確実だ。

ハリーの言葉にロンもハーマイオニーも賛同した。

しかしいざアルバスに会おうと思ったところで、どこに行ったらいいのだろうと行き詰まってしまった。ハリー達はもちろん校長室の場所を知っているわけがない。

私は怪しまれないように、知らない様子を装った。

ハリー達の中では、セブルスが黒幕ということになっているし、アルバスならうまく誤魔化してくれるだろうが、何より三人をこれ以上近づけてはいけないという危機感があった。落ち着いたらすぐに、私がアルバスに伝えに行こう。

そんなことはつゆ知らず、ハーマイオニーがマクゴナガル先生なら信頼できるのではないかと提案し、変身学の教室へと向かった。

広いホグワーツ城を、足に鞭を打ちながら駆けた。会話もなくやっと変身学の教室に着いたときには、雪崩れ込むようにして入っていった。



「ダンブルドア先生に今すぐ、会わせて下さい!」



教室に入ってすぐ、ハリーが大きな声で呼びかけた。

マクゴナガル先生は机に向かっていたその手を止め、中へと入ってきた私達を訝しげに見据えた。

ハリーとロンがゴクリと唾を飲み込んだのが横目でもわかった。

マクゴナガル先生は眼鏡の奥からこちらをじっと見つめる。そして一人ひとりの顔を見ながら、静かに口を開いた。



「ダンブルドア先生ならお留守です。魔法省から緊急の手紙が来て、すぐロンドンへ発たれました。」

「ッお留守!?」



ハリーはマクゴナガル先生の口から出た言葉に堪らず声を上げた。そんなハリーに、マクゴナガル先生は眉を寄せる。

こんな重大なときに、偶然だとしても、いないなんてことがあるのだろうか。もしかして、という考えが私達の頭には浮かんだ。

そんな私達の様子を不審に思わないはずがない。マクゴナガル先生の姿に、ハリーは慎重さをかなぐり捨てた。



「でもっ、大事なことなんです!"賢者の石"のことなんです!」



ハリーの口から出てきたものに、マクゴナガル先生が言葉を失った。

目を丸くして、しどろもどろになりながら微かな声で「なぜそのことを…。」と呟く。

ふとこちらに視線が移され、ドキリとしたが口を結んで首を振った。私は何一つ教えていないのだ。

動揺したマクゴナガル先生に、ハリーは言葉を続けていく。



「石を盗もうとしている人がいる!」



そう言ったハリーが途中、ある人物の名前を言おうとしたのに気が付かないほど私は鈍感ではなかった。

スネイプが、と高らかに言ってしまいたいに違いない。

その誤解を解くことはできないのか。そう思いながら私は唇を噛んでいた。

マクゴナガル先生は長い息を吐き、努めて冷静でいようとしていた。静かな声が、私達にかけられた。



「どこであの石のことを聞いたのか知りませんが、守りは万全です!
ですから寮にお戻りなさい!騒がずに…!」



有無を言わさない口調で言われ、ハリー達は言葉を詰まらせた。

アルバスがいない上、慎重なマクゴナガル先生にそう言われてしまったらこれ以上食い下がることはできなかった。

ここに居座る理由もなくなり出て行こうとしたとき、マクゴナガル先生から声をかけられた。



「ミス・八神は残りなさい、少し話したいことがあります。」



その声に、私達は顔を見合わせた。おそらくマクゴナガル先生は私に賢者の石のことについて聞こうと思っているのだろう。

私は薄く微笑み、三人に寮に戻っていてと囁いた。三人は迷ったような素振りを見せたが、しっかりと頷く。

扉を出る手前で心配そうに振り返る三人に、その度安心させるように笑みを浮かべた。

教室の扉がパタンと閉まり、足音が確かに聞こえなくなったとき、私はマクゴナガル先生に向き合った。



「マクゴナガル先生…。」

「アリス、一体何があったのですか…。」



微かな声に、私は眉を下げた。何があったのか、というのは先ほどの会話に繋がること全てに対してだろう。

何故賢者の石について知ったのか。いち生徒であるあの三人が、そして最も関係する人物であろうハリー・ポッターが。

"彼"が動き出していることは恐らく教員は皆知っているのであろう。あの三階の扉の奥にはホグワーツの教員がそれぞれの知識を活かして守っているのだから。

ここまで気づいてしまったのは、本当に小さな事の積み重ねだった。三階の扉の奥にいる三頭犬、そしてその足元にある扉。ホグワーツの教員達で守っている物の存在。ニコラス・フラメルと賢者の石の関係。禁じられた森で見た光景、ケンタウルスに言われた言葉。そして、守りが破られようとしている事実。

全てをそのまま伝えてしまうのは躊躇われた。そこで思い浮かんだのが、クィリナス・クィレル先生のこと。

マクゴナガル先生は、どこまで知っているのだろう。彼が闇の帝王のしもべになり、守ろうとしているはずの賢者の石を手に入れようとしているのを知っているのだろうか。

知らなかったとしたら、果たして、それを私が言ってしまうのはいいのだろうか。そう思った瞬間、何の言葉も浮かばなくなってしまった。



「ゎ、私からは…何も、言えません…。
ただ、ここまで知ったのはハリー、ロン、ハーマイオニーの力です。」



声が震えた。私は何を気にしているのだろうかとどこか他人のように思うが、言うことができない。

マクゴナガル先生は目を見開いたが、私の様子を見て落ち着けるように息を吐いた。

俯いた私に、マクゴナガル先生の静かな声がかかる。



「これもまた、運命というものなんでしょうか…。
賢者の石については、もう聞きません。ダンブルドア先生には時をみて私から手紙を送っておきます。
ですが気をつけなさい。石に近づくということは、多くの危険を伴います。これ以上はやめなさい。」

「ありがとうございます。
……危険なことが起きても、…守るために、私がいるんですよ。」



マクゴナガル先生から真っ直ぐ見据えられ、思い口調で言われた言葉に、私は微笑んだ。これが、私の役目なのだ。

そう言うとマクゴナガル先生は酷く傷ついたような顔をした。そんなマクゴナガル先生に、胸が痛くなった。

そしてどこか怒っているように、言葉がかけられる。



「…アリス、あなたも気をつけなさいと言っているのです。あなたもですよ!」

「っ…は、い。」



思いもよらなかった言葉にじんわりと胸が温かくなった。私のことも、心配してくれているのだろうか。

そう思うと頬が緩んだ。気にかけられるということが、気にかけてくれる人がいるということが、こんなにも心強いのか。

虚勢ではない自然と心から溢れる笑みを浮かべれば、マクゴナガル先生も私に微笑んだ。

私はお礼の意味も込めて頭を下げると変身学の教室を後にした。

廊下に出ると誰もおらず、寮へ向かって歩き出した。これから起こることへの緊張と不安、そして先ほどの温かさに、どこかぼんやりとした気持ちでいた。

角を曲がろうとしたとき、そんな気でいたためかその先にいた人物とぶつかってしまった。



「っ、ご、ごめんなさ…!」

「ミス・八神…。」



驚いて顔を上げると、目の前にいたのはクィレル先生だった。静かな声で私に呼びかける。

その様子はいつもの調子ではなく、ただただ静かだった。今までの出来事とクィレル先生のその姿に、直感的に、動き出すのかと感じた。

思わず顔を歪めてしまう。彼の力が戻ることは喜ばしいことなのだが、その後の宿主はどうなってしまうのだろう。あのとき聞いたクィレル先生の本音と強がり。思い上がりとも言うのだろうか。

弱っている彼をその身に宿しその力を戻すために尽くして、彼を思う通りに操ろうという浅はかな計略。しかしこうやって、そうはできず、けれど戻れずに苦しんでいるのだ。彼の言うことに抵抗できなくなり、どうしようもなくなっているのだ。

その瞳がどこか助けを求めているようで、堪らなく辛かった。



「…、クィレル、先生…。」



表情のないようなクィレル先生は私が呟くように呼ぶと、一瞬だけ顔を歪めた。次いでそれを隠すようにニヒルな笑みを浮かべる。

その眼光が射るようなものになり、思わずビクッと肩を跳ねさせた。それと同時に首元に手が伸びてきて、首輪を掴み引き寄せられる。強い力にぐいと寄った胸元には杖を突きつけられた。

息を呑み状況があまり理解できていないうちにクラリと視界が歪んだ。



「待ちに待ったときが来たのだ。」



その声は力強く、どこか狂気じみていた。

左手の甲の印が、燃えるように熱をもつ。

その感覚と、その声を聞いたのを最後に、私は意識を手放した。



「…、アリス……。」



意識がなくなり身体を支えきれなくなったアリスは崩れ落ちるかのように倒れかかった。

そんなアリスの身体をクィレルは支え抱きかかえる。

微かな声で呼んだ名前の理由はクィレル本人にもわからなかった。ただこの腕の中で眠っている少女の瞳がいやに頭に残って仕方がなかった。



「クィレル…何をしている、早く行け。」

「はい、わかりました…ご主人様。」



クィレルは聞こえてきた声に、心臓を握られているかのような息苦しさを感じた。

あの瞳を、そしてこの腕の中の温度を掻き消すように目を瞑った。目を開けたときには、クィレル自身の感情は感じられなくなっていた。そして、そのまま静かにその場を離れた。

囁くかのような冷たく感じられる声も、クィレルに抱かれたアリスも、"どもりのクィレル"の面影すらないクィレルも、誰一人として見た者はいなかった。





賢者の憂苦

(あなたのために、私は何ができるの?)

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