突然、頭痛と耳鳴りが酷く表れた。

頭が割れそうに痛い。そのせいか、頭の中で何かの音が大きく響きわたる。

私は夢中で身を捩り頭を抱えた。

痛い、痛い、痛い。

どうしてこんなにも頭が痛いのだろう。

ドクン、と胸が大きく跳ね上がる。同時に、心臓がぎゅっと縮まったような感覚に陥った。



「っ、ひ…く、ぅ……ッ!」



胸が締め付けられているかのように苦しくなり、息もできなくなった。

気でも紛らわすようにもがくが、痛みは気休め程度にもよくならない。

まるで呪縛のように襲う痛みに私は涙をこぼれさせた。

頭がうるさいほどガンガンと痛み、酷く響く。

どれくらいの間苦痛を味わったのだろう。

ふっと落ちるかのように気が遠くなってきた。

クラリとする意識の中、痛みが和らいでいく。

いや、もしかしたら痛みすら感じなくなってきているのかもしれない。

そんなことをぼんやりと考えながら、なぜこんなことになっているかを思いうかべていた。

今まで私は何をしていたのだろう。あまりに突然の苦痛に、記憶が飛んでしまったかのように感じた。

そのとき、私の名前を呼ぶ声がどこか遠くの方で聞こえた気がした。



『…アリス……!』

「…ぅ、あ……ッ、」



あぁ、そうだ。ナギニの声だ。

こんなにも焦っている彼女の声を聞いたことがあっただろうか。

そんなことを思うほど、理由はわからないけれど切羽詰まったような声だった。

どうしてナギニは焦っているのだろう。

聞き覚えのあるこの声は、そう遠くない記憶に残っている。

そう。確か私は、何かに引っ張られるように意識を手放したのだ。

そのときにも、ナギニのこの声を聞いた。

私は眠っていたのだろうか。けれど、なぜ?

瞬間、ぼんやりとした意識が一気に覚醒され、全身の感覚が研ぎ澄まされた。

同時にあの酷い痛みがはっきりと浮かび上がってくる。

私はたまらず絶叫したかのように思えた。



『アリス!』

「ひっ…、は…ぁ、っは、はぁ…ッ!」

『ッアリス、気をしっかりと持つんだ。』

「…っナ、ギ…ナギ、ニ…!」



遠くで聞こえたように感じた声は、信じられないほど近くのものだった。

薄く瞳を開ければ、目の前には扉がある。身体はかたいカーペットの上に横たわっているようだった。

ナギニは私の足下から絡みつき、私の意識を覚醒させようとしている。

私からの反応に気づいたナギニは安心したように絡みつく力を緩めた。

いつの間にか割れそうな頭痛も酷い耳鳴りも消えていて、後には私の喘ぐような息づかいだけが残された。

私はぐったりとした身体をそのままに、ズキンズキンと痛んでいた胸をぎゅっと押さえた。



『ぁ、わ、たし…っ。』

『…アリス、急にどうしたんだい。』

『っ、どうなって…?』



優しげなナギニの声に、なくなりかけていたような指先の温かみが戻ってきた気がした。

呼吸もいくらか落ち着き、視界もはっきりとしてくる。

撫でるように寄せられたナギニのなめらかな肌を感じ、私は微睡むように瞳を閉じた。

心地よいいつもの彼女の体温。

ナギニは泣いている赤子でもあやすようにゆっくりと口を開いた。



『…私にもわからないよ。
気を失ったと思ったら、いきなり苦しみはじめたのさ。』



そう言われても、どこかぱっとしなかった。

自分のこととは思えない。あぁそうか、と聞き流してしまうかのような感覚だ。

私は他人事のように考えながら、ぼうっとする意識を保たせていた。

ふと押さえていた胸をさすってみる。

もう痛みは消え、なんとなく感じる違和感だけが残っていた。

この感覚は何だろう。痛みによるものだろうか。

はじめはそう思ったが、どこか違うとほとんど感覚的に理解していた。

何かが違う。落ち着かない。まるでどこかに穴ができてしまったかのように。



「っ!」



ぼんやりとしていた意識が覚醒する。

はっと我に返ったかのように、一体何に違和感を感じているのかに気づいてしまった。

記憶だ。記憶がない。この世界の、未来の記憶が全くと言っていいほど思い出すことができない。

私は無意識に唇を震わせていた。

瞬間的に自分の犯した過ちを目の前に突きつけられたように感じる。

私は、なんてことを望んでしまったのだろうか。

後悔だけが心に積もる。

落ち着いてきたはずの息が浅くなり、視界が真っ暗になったかのような絶望の淵に立たされた。



「なく、なった…っ?」



私の記憶が。この世界の未来の記憶が。

どうしよう、どうしよう、どうしよう。

受け入れられない現実ととてつもない焦燥感におかしくなってしまいそうだった。

なんてことを望んでしまったのだろう。

何度も何度も、声にならない嘆きを呟いた。

心の支えを失ってしまったかのような感覚に、私が今まで何に縋りつきながら毎日を迎えていたのかを思い知った。

記憶があるから大丈夫だと思っていた。記憶があるからこれからのこともわかる、皆を守ることもできると思っていた。記憶があるから誰に気をつけていなければならないかわかると思っていた。

記憶があるから、いつあの人がかえってくるのか、知っているから大丈夫だと自分自身に言い聞かせることができた。

しかし今はどうだろう。記憶のなくなった今、私を支えていたものの隙間に身体が落ちていきそうだ。

全て、忘れてしまった。

これから起こることも、誰が危険であるのかも、そこに隠されたカラクリも。

いつ、あの人がかえってくるのかさえも。



「ぁ、あ…っ!」



目の前が真っ暗になり、いつの間にかたまっていた涙が溢れるように流れ始めた。

たまらず目元を押さえ、泣き崩れる。

突然、不安でたまらなくなる気持ちに戸惑うしかできなくなった。

ざわりと全身から何かが解き放たれるような感覚を感じる。



『ッ、アリス!』



ドン、という衝撃音とともに、部屋の物がとてつもない音を立てて荒れ始めた。

ナギニが咎めるように私の名前を呼んだけれど、それは聞こえないにも等しい。

私の意識は深く深く沈み、もはやこの身体を動かしているのは後悔と焦りだけだった。

暴走するかのような魔力が部屋を荒らしていく。

机の上に並べてあった本は散乱し、羊皮紙は空を舞い散り、クローゼットの扉は大きく開かれその中にある物は全て飛び出し広がる。

渦を巻くかのような惨劇に、焦るナギニはうずくまる私の身体に強く絡みついた。



『アリス!落ち着くんだ!』

「ゃ…や、だ…やだ!なくならないで、待って!
…っあ、ぅ…いやあああぁぁ!」



自分が何をしているのかすらわからない。

ただ、心臓を鷲掴みにされているかのような苦痛と悲痛にもがいていることしかできなかった。

もう自分にはどうしようもない。守護者であろうと望んだ自分が、使命である守ることすらできない。

何かが破壊されていく音を聞きながら私の意識は朦朧とし始め、そして眠り込むように気を失ってしまった。

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