呼び起こされる感覚に、誘われるように自然とまぶたが開いていた。
ぼんやりとした視界には色味がなく、気が抜けたように瞬きをしてしまう。
身体中を脱力感が襲っていた。鉛をつけたように重く、怠くて仕方がない。
けれど見慣れない天井に、私は首を横に向けた。
周りを見れば、白いシーツと白い掛け布団の組み合わせのベッドがいくつもある。
鼻を掠めるのは薬品の独特なにおい。
ここは、医務室だろう。いつかの日を思い出し、確かあのときも私は調子が悪かったと懐かしむ。
「おぉアリス、気がついたかの?」
顔を向けた反対の方からそう声がかけられた。
落ち着いたしゃがれ気味の声。私が医務室にいるときは、アルバスが起こすと決まっているのだろうか。
そんなことを思いながら声の主、アルバスに顔を向ける。
私は今どんな顔をしているのだろうか。泣きはらし、疲れ切った酷い顔であるに違いない。
倦怠感を隠すこともできない私に、アルバスは微笑みかけた。
「アルバス…。」
「酷い魔力の暴走じゃった。治まるほどの量でもなかった。
わしが無理に抑え込んだゆえ…君の身体はちと調子を崩しておる。」
「…っ、…。」
「わしを呼びに来たのは、そこにおる雌蛇じゃよ。
さっきまで起きてたんじゃが、疲れてしもうたようでな。」
魔力の暴走。特に意識はしていなかったが、確かに部屋の荒れる音を聞いていたような気がする。
ひやり、と悪寒が走った。ナギニは無事だっただろうか。
雌蛇と聞き、私は顔を足下に向けた。空いたベッドの空間に、ナギニは蜷局を巻いて眠っていた。
ほっと胸をなで下ろし、上体を起こして口を噤む。
ナギニに何もなくてよかった。
しかしそうなってしまった原因を思い出し、今以上に酷い気分になる。
記憶を失ってしまった。そうなることを望んでしまった。
私は唇を震わせ、アルバスにすがりつくように腕をのばした。
「…ァ、アルバス、私…先のことが、わからなく…。」
「おぉ、アリス…アリス。よい、わかっておる。」
「っ、なら…なら、わ、たし、を…、ホグワーツから、追い出してください…!
みんなを、守ることが…できない…っ。」
そうだ。もう、守れない。危険のないように、傷つかないように。
過保護と言われても仕方がないが、私は彼らを守らなければいけないと自分自身に言い聞かせて過ごしてきたのだ。
それを愚かなことに起こるはずのことを忘れてしまいたいと願ってしまった。
忘れかけていたとしても、どうにか思い出すこともできただろうに。
全て、全てを忘れてしまいたいと。罪悪感に負け、押し潰されそうな自分の身を守るために。
私は何て馬鹿なんだろうか。
自分ではもうどうすることもできないことに、知識も何もかも上の人にすがりついて。
惨めで仕方がない。しゃくりあげながら腕をのばし、助けを求めている私を、アルバスはどんな目で見ているのだろう。
アルバスの服を握りながら嗚咽をこぼすと、渇いたはずの瞳からは涙が溢れてきた。
「お、ねがっ、…ごめ、なさい…っ。」
「…アリス、確かにわしはハリーを守れと言った。じゃがの、完璧にとは言っておらん。
これからも様々な危険に立ち向かわねばならないじゃろう。アリスの考えで、ハリーを守ってくれればよい。」
「っで、でも…!」
「よいのじゃ、アリス。
彼の父も母も、君が彼のそばにいることを望むじゃろう。」
「っ、」
その言葉に、ドキリとした。
ハリーの両親。ジェームズ、リリー…。
ふたりは私がハリーの傍にいていいと思うのだろうか。ふたりのために、何もできなかった私を。
涙でぼやける視界はまともにものを映すことはできない。そこにふたりの姿を見た気がして、私は顔を歪ませた。
あぁ。これはふたりへの償いだ。
ハリーを守ることを、私はやめられない。やめることはできない。
彼の一番近くで見守り、必要とあらば盾にもなる。
私は喉まで出かけた言葉を呑み込んで、代わりにゆっくりと頷いた。
悲しいわけでも何でもないのに、涙がポロポロとこぼれて仕方がない。
どうして、止まらないの。
言うことを聞かない涙に、自分でも戸惑ってしまう。
拭っても拭っても涙は止まらない。アルバスのしわのある大きな手が私の頭にゆっくりとのばされた。
『老いぼれ狸。それ以上アリスに近づくんじゃないよ。』
鋭い言葉が聞こえ、私は顔を上げた。
アルバスの手は私の頭に触れる寸前で止められている。
それを制したのはナギニだ。聞こえてきた蛇語に顔を向けると、ナギニは首をもたげて射るような黄金の瞳をアルバスに向けていた。
いつから目を覚ましていたのだろう。敵意が剥き出しのその瞳に、向けられているはずのない私までもがドキリとしてしまった。
『っ、ナギニ。』
『アリス、大丈夫かい?』
『ん。心配、かけて…ごめんなさい。』
私がそう言うと、ナギニはほっとしたように這い寄ってきた。
ひやりとするその身体が手に触れ、くすと笑ってしまう。
いつの間にか涙も止まっていて、ナギニといる安心感に私は目を細めた。
微笑みながらナギニのなめらかな肌を撫でる。
アルバスはそんな私をあのキラキラした淡いブルーの瞳で見つめると、静かに瞠目した。
「さて、わしはもう行くとするかの。」
「っあ、アルバス…ありがとうございました。」
「もう心配させないようにの。年寄りは労らねばならんからのぅ。」
そう言って微笑むアルバスに、私も微笑み返す。
アルバスには、どれだけお礼を伝えても足りないだろう。
こうやってまだチャンスをくれる彼は、慈悲深いのかはたまた残酷なのか。
どちらでも構わない。彼は私が守るべきうちのひとりであるのだから。
彼は温かい笑みをこぼしながら医務室の扉へ向かっていった。
そして振り返り、私達を――私には特にナギニ向けたように見えた――鋭く細めた瞳で射抜いた。
ドクン、と胸が緊張する。思わず身体を強ばらせてしまうが、ナギニは何食わぬ顔でいた。
「おぉ、そうじゃった!」
「っ、?」
すると突然、アルバスはいつもより悪戯に口を開いた。
先ほどの姿は見間違いだったかのように感じてしまう。
けれど、緊張している心臓の音は確かにまだ響いたままでいた。
アルバスはニコリと笑いながら、忠告しているような調子で言った。
「今日はクィディッチの試合じゃが、アリス、君は行ってはならぬぞ。
ポピーが今日1日は安静にしとるようにと言っておったからのぅ。」
「ぇ?クィディッチの、試合…?」
それは、寮対抗クィディッチ杯のことで間違いないだろう。
クィディッチは魔法界の世界的娯楽であるスポーツだ。
私はそういったことにはほとんど縁がなく疎いのだが、学校の催し物である寮対抗試合は少なからず楽しみにしていた。
しかも今回は、ハリーの初試合だ。
日にちを把握していなかった私は突然告げられたことに目を丸くするしかできなかった。
呆気にとられている私に、アルバスは言葉を重ねる。
「それに君は蛇語使いだったんじゃな。
むやみに人前で話さないようにの。」
「ぁ、え…?」
「では、くれぐれも安静にの。」
「っ、アルバス…ちょっと、待っ…。」
『…。』
言葉を挟む隙もなく、アルバスは出て行ってしまった。
追いかけようとベッドから足を出すが、重い足には力が入らず酷い倦怠感が身体を襲う。
ナギニにも無言で圧され、私は医務室にいるほかなくなった。
この様子じゃ、しばらく外へは出られなさそうだ。
自分の様子は自分が一番知っている。
そう思いながら、私はため息をついてナギニの肌に指をすべらせた。
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