廊下を歩く私達の間には会話なども一切なく、ただ静かな空気が冷え切った廊下をさらに冷たくさせていた。

生徒達は皆、トロールのことでそれぞれの寮に避難しているということなので、私達の靴音以外は何も聞こえない。

私はじっと足下を見つめていた。今はどうしても、前を向いては歩けない。

沈む気持ちと同じように、下ばかりを見ている方が楽なのだ。

先ほどよりいくらか落ち着いている。けれどそれは表向きなものだけで、心に巣くう絶望感は時間を重ねるにつれて色を濃くしている。

一体どうしたらいいのだろう。私は、どうしたらいいのだろうか。

時折前を歩いている三人が気にしたように振り返るけれど、私は一度も前を向かなかった。

そしてそのまま何の会話も交わすことなく寮に着いてしまう。

ハリーが合言葉を言い、それに続いて寮へ入っていった。

談話室には生徒達が溢れんばかりに降りてきていて、どこもかしこも話し声でガヤガヤとざわめいていた。

おそらく、大広間でできなかったハロウィーンパーティーの続きだろう。



「やぁやぁみなさん、お揃いで!」

「見かけなかったけど今までどこにいたんだい?」



何の会話もなかった私達に息の合った双子、フレッドとジョージが話しかけてきた。

けれどその言葉に三人は冷や汗を滲ませた。

まさか、トロールを退治していたなんて言えるはずがない。

私達が何も言えずにいると、めざといフレッドが私とハーマイオニーの顔をのぞき込んだ。



「おや、お嬢さんとそこの彼女は目元が赤いぞ!」

「っまさか!男2人でそんなこと……!」

「おい!やるわけないじゃないか、何考えてんだよ!」



幸か不幸か、フレッドとジョージは見当違いなことを言い出した。

それによってトロールについてのことは言わなくてすんだのだが、変な噂でも立てられてしまったら元も子もない。

ロンがすかさず否定の言葉を言うと、二人は息を合わせてははっと笑った。



「冗談さ!もっとも、そういうときは女の子を泣かせてはいけないよ!」

「そう、優しく。これが基本!
まぁ、まだ君たち少年には刺激が強いだろうがね!」



フレッドとジョージはそう言うだけ言って去っていってしまった。

三人はポカンとした様子でその後ろ姿を見送る。

二人のおかげで冷たく冷え切っていた空気がいくらか温かくなった気がした。

私はずっと俯かせていた顔を上げて微かに微笑みをうかべた。



「…じゃ、あ…私、部屋に戻るね。」

「ぁ、うん…。」



三人はぱっと私を見て、何の言葉も言えないように視線を泳がせた。

気を使っているかのような三人に、申し訳なく、そしてその優しさが嬉しく思う。

小さく頷いたハリーに微笑み、私はパーティーの人混みを避けながら部屋に繋がる階段を上がっていった。

女子寮に入る扉を閉めると、談話室のざわめきがずっと小さなものになった。

私は身体中の力がふっと抜けたようにふらついてしまう。足がガクガクと震える。

一人になりたい。一人に、ならなければ。

心の中で何度も呟きながら、必死に部屋の前まで移動する。

部屋のドアノブを掴み、ゆっくりと扉を開いていった。



『アリス!』



部屋に入ってすぐ聞こえてきたのは、ナギニの咎めるかのような声だった。

いつもは妖精の魔法の授業が終わると迎えに来るのだが、今日は今まで部屋に戻ってこなかった。

ナギニはおそらくそれを怒っているのだろう。

ベッドの上で不機嫌そうにとぐろを巻いているナギニを見て私は口元を緩めた。

けれどもういっぱいいっぱいで、扉を閉めると膝から崩れ落ちてしまう。



『っ、アリス?』



ドクン、と脈が落ち着かないように身体中で大きく跳ね上がり始めた。

他人を警戒するように部屋の扉に杖を向け、ポツリと防音呪文を唱える。

魔法をかけるとそのまま杖を手から離し、震える身体を抱きしめるように小さく丸くなった。

そんな私にナギニが戸惑ったように近づいてきた。

大きなその身体が手に触れ、ヒヤリとした温度が伝わってきた瞬間、今までせき止めてきたものが溢れるのを感じた。



「っふ、ぅ…ひ、っ!」

『…、どうしたんだい?』

『ナ、ギニ…!ナギニ!』



ナギニが顔をのぞくようにしたので、たまらずその首元に縋りつくように抱きついてしまった。

こんなとき、全てを話せるのがナギニしかいない。皆の前だとなんとかしていられるのに、ナギニの前になると理性が利かなくなる。

子供のように泣きじゃくり、心の内をそのまま言葉にして出してしまう。



『…ナギニっ…ど、しよう…、私が…、私、のっ!』

『アリス、落ち着くんだ。
何があったんだい?』

『だ、め…だめ!っもう、みんなを…みんなをっ、守れない…!』



私は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら言葉を絞り出した。

この気持ちは、何だろう。

焦燥感。絶望感。そして…そう、罪悪感だ。

知っていても何もできないことに対しての。

たとえ忘れかけていても、知っている事にかわりはない。

それならば、と考えたが、私は一瞬言葉に詰まってしまった。



『…いっそっ、…いっそのことっ…全て、』

『っアリス!それ以上言うんじゃないよ。』



ナギニの言葉が変に頭に残った。

これ以上言ってはいけない?なぜだろう。

けれど、私はもう自分自身すら止められなくなってしまっていた。

辛い焦りはもうなくなった。残ったのは酷い空虚感。

ポツリ、と私は言葉をもらした。

掠れた空気が口からもれる。ナギニが私の名前を何度も繰り返し呼ぶ。

意識が虚ろになって、最後には視界が真っ暗になった。

ただただ、最後に呟いた言葉が頭の中で反響していた。



『全て、忘れてしまえばいいのに。』





賢者の悲痛

(それだけが全てだと信じきっていた)

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