妖精の魔法の授業が終わると、私はすぐにハーマイオニーの元に向かった。
ロンにはハリーがいるし、男の子の関係は私達には正確に理解できないほどすっきりしているところがある。
私がわざわざいなくても、何とかなるだろう。
そう考えると、どうしてもハーマイオニーが気になって仕方がなかった。
ハーマイオニーは周りにうまくとけ込めないタイプというわけでもない。
けれど基本的には私と一緒にいることが多い。移動教室や食事のときなど、もう当たり前になっている。
いつものことと言ってしまえばそれで終わってしまうが、なぜかいつも以上に一緒にいなければいけない気がした。
「ハーマイオニー!」
私は教材を机で整えているハーマイオニーに駆け寄り、明るい声で呼びかける。
ハーマイオニーは授業の余韻を残していたようでむっとしたような表情だったが、私の姿を見るとにっこりと笑みを咲かせた。
先ほどまでいつもの何倍も不機嫌だったハーマイオニーだが、その態度を見せるのはハリーと、特にロンの前だけだということだろう。
そんなハーマイオニーの様子にくすと笑みをこぼし、私は目を細めた。
「さっきの魔法、すごく上手だったよ。」
「っ、そうかしら?」
「うん。発音も杖の振りも完璧!」
「あ、ありがとう…っ。」
私がハーマイオニーの目をじっと見て微笑めば、ハーマイオニーは薄く頬を染めた。
照れ隠しなのか、整っているはずの教材をもう一度気にしたように整えるハーマイオニーにくすくすと笑ってしまう。
ハーマイオニーが努力家だということはとっくに知っている。
ホグワーツ魔法魔術学校に入学して二ヶ月経つが、どの授業でもハーマイオニーはしっかりと予習をしてくる。
非魔法族出身ということでその能力を卑しめる生徒もいるが、それ以上に彼女は努力を怠らない。
今回の浮遊呪文も、見えないところで人一倍努力したのだろう。
それを必要以上にひけらかすようなことをしようとしないハーマイオニーは本当に立派であると思う。
そんなことを考えながらハーマイオニーを見つめていると、色づいた頬をさらに濃くし、焦ったように教室の扉に向かって足を歩めた。
「っほら、行きましょう!」
耳まで真っ赤になっているハーマイオニーがとても可愛らしく思え、くすくすとこぼれる笑みをそのままに後を続いた。
教室から出ると、全身で感じることができてしまいそうなほど甘く香しいお菓子の匂いがいっぱいに広がっていた。
授業が終わったところなので、廊下にはばらばらとそれぞれの教室から生徒達が出てくる。
小さな波にのまれないようにハーマイオニーの隣まで行き、速度を合わせた。
ちらとハーマイオニーの様子をうかがってみれば、いくらか頬の赤味は引いていた。
「…アリスは、いつも余裕があるわよね。」
「え?」
「さっきの妖精の魔法の授業でもそう。周りを見てばっかりだわ。」
「ぁ、あはは…。」
突然むっすりとした様子で言われた言葉に、私は目を丸くしてしまった。
ハーマイオニーは私が先生の言葉よりも周りに視線を向けていることに気づいていたのか。
真剣に授業を受けろと咎められているように感じ、ひきつった苦笑を浮かべる。
けれどそれでハーマイオニーは誤魔化されないらしく、訝しむような視線を向けられた。
「それなのに、あなたって何でもできるわよね。」
「ん…そう、かな?」
「えぇ。」
はっきりと頷かれてしまうと、思わずドキリとしてしまう。
ハーマイオニーに誤魔化しはきかないのだろうか。
探られているかのような状況に落ち着かず、気を紛らわそうと視線を泳がせる。
すると、ほんの少し前にくしゃくしゃの黒い髪と燃えるような赤毛のハリーとロンがいることに気づいた。
ハリーとロンは一緒にいる二人の男子生徒と楽しそうに笑いながら話していた。
まだ距離があるので詳しい内容まではわからないが、にっこりとしている二人にほっとする。
胸を撫で下ろしたような気持ちでいると、ハーマイオニーがぽつっと言葉をこぼしだした。
「あなたのそういうところ、わたし、尊敬するわ。
でもね、授業はちゃんと受けないといけないと思うの。
先生がたのお話って…ほら、すごく興味深いでしょ?
聞いた方がためになると思うわ。」
「ぇ?ぁ…う、うん。」
「授業は大切よ!もちろん、成績も!
滅多にないことだとは思うのだけれど、学校にいられなくなったり…。
あ!っもし、授業の内容がわからなくなったら言ってちょうだい!
あなたに限ってそんなことはないと思うんだけど、その…わ、わたしは…あなたのともだ、」
ハーマイオニーは緊張しているかのように早口で言葉をこぼし、それが積まれていくにつれて歩みも早くなっていった。
一体どうしたのだろう。どこか顔が赤くなっているように見えるハーマイオニーに目が丸くなる。
早足で先を行ってしまうハーマイオニーに追いつこうとしていると、すぐ前にあの四人がいることに気づいた。
ハーマイオニーは前の四人に気づいている様子はなかったが、しどろもどろになっていく言葉にいっぱいいっぱいのようだった。
そして、ハーマイオニーが言葉を続けようと息を吸うのとほぼ同時に、前から変に響く声が聞こえてきた。
「"いい?レビオ〜サよ、あなたのはレビオサ〜〜"!」
その言葉を聞き、ハーマイオニーは反射的に言いかけていたものを呑み込んだ。
聞き覚えがある。まだ、記憶に新しい。
先ほどの妖精の魔法の授業で、ハーマイオニーがロンに向けて言った言葉だ。
この声はロンで、ハーマイオニーの声色を真似しているのだとすぐにわかった。
それを聞いた三人はクスッと笑い、私とハーマイオニーは足をピタリと止めた。
視界に入ったハーマイオニーの顔は真っ赤で、それはロンの言葉を聞くまでのものとは違っていた。
ドクン、と嫌な予感を知らせる心音が耳に響いた。
このまま続けさせてはいけない。夢中でそう思い、制止の声を掛けようとした。
しかしこちらの存在に全く気づいていないロンは、おかしそうにハハッと笑って言葉を続ける。
「嫌味なやつ、まったく!だから友達いないんだよ。
アリスだって絶対に嫌気差してるぜ。」
「っ、」
ロンは笑いながら、何も気に留めていないように言葉を続けた。
簡単に口からこぼれてくるそれがどれほどのものであるのか。
おそらくそれは、言われた本人にしか計り知れないものだ。
けれどそれでも、その言葉がどれほど重く心にのし掛かってくるのかは感じ取れる。
また、ドクンと身体の奥が嫌に疼いた。
ピタリと止まっている足が、込み上げてくる怒りで微かに震える。
そのまま足を踏み出そうとしたそのとき、すぐ隣から小さな嗚咽がこぼれたのを聞いた。
「…ッ、…。」
「!ハーマイオニー…っ。」
思わずはっと我に返り、その声の方を向く。
ハーマイオニーの瞳は赤く潤み、眉はつらく寄せられ、唇はぎゅっと引き結ばれていた。
突然、どうしたらいいのかわからなくなる。
小さく震えているようなハーマイオニーは耐えるように俯いていたが、呆然と動けず立ち竦んでいる私をその瞳に映した。
涙に潤んだ瞳がキラリと光り、その顔が悲痛に歪んだかと思うと、ハーマイオニーは素早く足を歩ませ四人をかき分けて行ってしまった。
「……聞こえたみたい…。」
ハーマイオニーにぶつかられたハリーがそう呟くのを聞いた。
その瞬間、戸惑いに変わっていた怒りがまたふつふつとわき上がってきた。
ドクンドクンと耳元で鳴っているかのような心音がうるさいほどだ。
いつの間にか私は大きく足を踏み出し声を張り上げていた。
「ロン!」
「っ、な、何だよ…!」
いきなりのことに驚いたのか、ロンは大きく肩を跳ねさせた。
私を見るその瞳には驚愕、そして濃い疑問の色がうかんでいた。
私がこんなに声を荒げる理由がわかっていないのだろうか。
そんな様子に、胸の中のざわつきが大きくなった気がした。
「自分の言った言葉を、理解してる?
それが悪いことなのか、良いことなのかの判断はつくでしょう。
一時の感情で人を貶めることを言っても、何もいいことなんてない。
その時だけの、気休めにしかならないよ。」
「…っなに、言ってんだよ…っ。」
早口で続けると、ロンはたじろいだように見えた。
私の言葉はおそらく届いてはいないだろう。
けれど全ての言葉を伝えられるまで繰り返す余裕も、今の私にはない。
一人で行ってしまった、今にも潰れてしまいそうなあの背中が気になって仕方がない。
私は呆然としているハリー、そしてあとの二人。急なことに戸惑っているロンに鋭い視線を送った。
ふと俯き、深く息を吐く。
そして、しっかりと前を向き、口を開いた。
「ハーマイオニーは、私の友達だよ。」
私ははっきりとそう言うと、ハーマイオニーの後を追うために駆けだした。
そう。ハーマイオニーは私の友達だ。もし、彼女のことをそう呼んでもいいのならば。
ハーマイオニーのことも守る。そう決めた身だけれど。
甘い甘いお菓子の香りが、やけに鼻につく。何となく、嫌な予感がした。
私はとっくに見えなくなったハーマイオニーの姿をさがして、人をかき分けながら走り続けた。
賢者の焦燥
(なぜこんなにも胸が疼くのかは忘れてしまったけれど)
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