「っ、ハーマイオニー…。」
あの妖精の魔法の授業が終わってから、私はハーマイオニーの姿をさがしていた。
あれから一度寮に戻ったのではないかと思い、寮に行ってみたがハーマイオニーの姿は見当たらなかった。
授業の始まりを知らせるベルが鳴り、もしかしたらもう教室にいるのかもしれないとも思った。
しかし行ってみても、ハーマイオニーの姿はなかった。
もしかしたら、もしかしたら…。
そう考えて一日の時間通りに決められた生活に従っていても、いつもそれに反しないハーマイオニーがいない。
昼食のときも、午後の授業にもハーマイオニーはいなかった。
ハリーとロンは全く姿を見せないハーマイオニーに多少なりとも罪悪感を抱いたようだった。
二人はひとりでいる私を見て、気にしたように視線を交わし合う。
けれど私はそんな二人にあえて話しかけようとはせず、どこにいるのかもわからないハーマイオニーの心配をしていた。
やっとまともにハーマイオニーをさがすことができたのは、午後の授業を全て終えてからだった。
私はひとり難しい顔をしていたが、ほかの生徒達は高揚した気持ちをそのまま表情に表していた。
これから始まるのは、ハロウィーンパーティーだ。
皆が甘いお菓子の香りに包まれる大広間に向かうなか、私は廊下を駆けていた。
ハーマイオニーは一体どこにいるのだろう。悲しみをそのまま表していたあの表情が頭から離れない。
あれからずっと姿を見ていない。グリフィンドール寮にも、教室にもハーマイオニーは来なかったはずだ。
何をしているのか、それは簡単に想像できる。泣いているのだろう。
それを考えると、ドキリと胸が悲鳴を上げた。
けれどその胸の痛みを感じていないように自分に言い聞かせる。
今は、ハーマイオニーを見つけることだけを考えていなければ。
寮の部屋にはいないはず。ルームメイトのパーバティ・パチルからもラベンダー・ブラウンからもハーマイオニーのことは一切聞いていない。
ハーマイオニーはどこにいるのだろう。今の状況なら、なるべく一人になれる場所をさがすはずだ。
駆けていた足を緩め、ふと考える。この寮生活の中でたった一人になれる空間はなんだろう。
そう考えたとき、自分でも不思議なほど自然に答えが思いうかんできた。
「……ト、イレ…?」
あそこなら、一人になれる。
個室という狭い空間から、精神的な安心感を得られたりすることもあるらしい。
ひらめいた私は、止めた足を再び動かしていた。
この学校にはトイレはいくつもある。
そのどこにハーマイオニーがいるのかわからないが、さがさない理由はない。
ひとつ、ふたつ、と近くの女子トイレから順に見回っていく。
気が遠くなりそうだった。もうハロウィーンパーティーは幕を開けていることだろう。
そして目の前まできたトイレに駆け込む。
「…っ、」
そこの扉はひとつだけしっかりと閉められていた。
ハーマイオニーだ、と私は口の中で呟く。確信はなかったが、私の勘がそう告げていた。
私はゆっくりとその個室に近づいていく。
扉の奥からは、微かな嗚咽と鼻をすする音が聞こえてきた。
「…、ハーマイオニー?」
「っ!
……だ、れ?」
か細く聞こえてきたのは、確かにハーマイオニーの声だった。
震えた涙声のそれに、胸が締め付けられたように感じた。
私はひとつ息を呑み込んでから、優しい声で答える。
「私、だよ。アリス。」
私がそう言うと、扉の向こう側でハーマイオニーが息を呑んだのがわかった。
その一瞬で、空気が凍り付いたように感じる。
それでも、その反応は当たり前のものであると理解できた。
いくらか間が空いて、震えるか細い声が聞こえてきた。
「アリス……何しに、来たのよ……。」
「ハーマイオニーを、誘いに来たの。
ハロウィーンパーティー、きっともう始まってるよ?」
「…ハリーと、ロンと、行けばいいじゃない……。
誰も、誰もわたしのことなんて待ってないわ…!」
私はいつもの通りの声を努めて意識した。
けれどその言葉に、ハーマイオニーは息を呑み込む。
そして静かに言葉が紡がれた。けれどその言葉は、どんどんと切なく、悲しいものに変わっていく。
ハーマイオニーは、私が気を使って言ったのだと思っているのだろう。
信じられていないと思うと胸が痛んだ。
私はまっすぐと、閉じた扉を見つめ、はっきりと口を開いた。
「待ってるよ。」
ハーマイオニーの震えたか細い声を支えるように、重く言葉を乗せた。
瞬間、全ての音が消えたかのような静寂が訪れた。
ハーマイオニーがいるはずの個室からは、悲しいほどの涙声も鼻をすする音も聞こえてこない。
私は微かに微笑みながら、言葉を続けた。
「私が待ってる。私が、ハーマイオニーをずっと待ってるよ。
そこから出てきてくれるまで……一緒にパーティーに行ってくれるまで。」
私は諦めがすごく悪いんだよ?
重い言葉を取り払うように、くすりと笑って軽く付け加えたように言った。
今の状況は、彼女が自分の殻に籠もっているかのようだ。
誰にも心を開かず、自身を責め続けている。そんな彼女からは、変わりたいと思う気持ちと、うまくいかず後悔する混沌とした気持ちが伝わってきた。
私は困ったように眉を寄せて微笑んだ。
しんと静まりかえった空気のなか、私はハーマイオニーの言葉をじっと待っていた。
もしかしたら、今の言葉すらも拒否されてしまうかもしれない。
私は嘘を言ったつもりはない。全て、心からの気持ちだ。
けれど、それはハーマイオニーが信じなければ何の意味も持たないだろう。
ドクン、と心臓が緊張に脈を上げた。身体の奥から、落ち着かないように心音が響いてくる。
少しの間、何の音も聞こえなかった。
ただただ身体に響く心音を感じていると、ハーマイオニーのいる個室の扉の奥から小さく鼻をすする音が聞こえてきた。
「……わたし、あなたのことがよくわからないわ。」
ぽつり、と呟かれた言葉。けれど、それは決して否定的なものではなかった。
その温かみのある言葉に、思わずくすりと笑みがこぼれる。
扉の向こう側のハーマイオニーも小さく笑った気がした。
すると、ハーマイオニーの心を表すようにがっちりと閉められていた扉がゆっくりと開いていった。
ギィと扉の蝶番が軋む音に、信じられないほどドキリと心臓が跳ね上がる。
微かに開かれた扉から、ハーマイオニーがそろりと顔をのぞかせた。
不安そうな表情だったが、最後に見たあの悲痛なものと比べるとだいぶ清々しいものに変わっていた。
私はハーマイオニーに微笑みかけ、口を開く。
「ふふっ、ハーマイオニー顔赤いよ。可愛い。」
「っ、赤くなんてないわよ。」
しばらくの間泣いていたために赤く染まった目元と鼻がとてもいじらしいように思えた。
私の言葉に、ハーマイオニーは今度は恥ずかしさに顔を染め上げた。
ほんのりと染まった目元と鼻を必死に隠そうとするので、またくすりと笑ってしまう。
ハーマイオニーは気にしている様子だったが、あまりにも私がくすくすと笑うので、つられたように笑い始めた。
ハーマイオニーの笑顔が見れたことに、ほっと胸が温かくなる。
今までの緊張も解れ、私達は顔を見合わせて笑い合った。
「やっぱり、ハーマイオニーには笑顔が1番だね。」
私はまだ顔の赤いハーマイオニーを見つめながら、そう言って微笑んだ。
ハーマイオニーの笑顔は、年よりずっと大人びている雰囲気を年相応に感じさせるほど柔らかく、可愛らしい。
小さな花が咲いたような笑顔に、確かな幸せを感じる。
ハーマイオニーはぽっと顔を赤らめ、もごもごと口ごもった。
恥ずかしそうに上目でこちらを見つめ、何かを言おうとハーマイオニーは口を開く。
しかし、その表情は訝しいものに変わっていった。
「…な、に……この、におい…。」
ハーマイオニーは険しく眉根を寄せ、低い声で呟いた。
確かに、何かおかしい。むわりと迫ってきたような悪臭。
突然こんな臭いがするはずがない。
今まで消えていた緊張感が、身体中を駆け巡った。
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