「魔法使いの最も基本的な技術…それは、浮遊の術!
そう!すなわち、物を浮かせて飛ばすことです。」



ふと気がつけば、ホグワーツ魔法魔術学校の新学期が始まり、私達が入学して約二ヶ月が経っていた。

今、学校中には香ばしいパンプキンパイなどのお菓子の匂いが朝から漂っている。

その匂いを吸い込むだけで、お腹が満たされるような、はたまた空いた腹内を刺激されるような不思議な気持ちになる。

今日はそう、全生徒が待ちに待っていたことであろうハロウィーンの日だ。

豪華なディナーに美味しいデザート。そして、学校のいたるところにお菓子があり、甘い香りに包まれる日。

そんな幸せな日の午前の授業の中、妖精の魔法の教授であるフィリウス・フリットウィック先生が生徒に向けて言った。

皆は先生がものを浮かせて飛ばすと言った瞬間、目をキラキラと輝かせた。



「さぁ、羽は持ってきているね?」



フリットウィック先生は生徒を見回しながら落ち着いた声で聞いた。

その言葉に、ロンとペアになっているハーマイオニーが自分の羽を持ち、軽く上げる。

ロンとペアになってハーマイオニーはカンカンだったけれど、フリットウィック先生には愛想良く笑っている。

正反対に、隣にいるロンは不機嫌な様子を隠そうともせず、机の上で組んだ腕にあごを乗せていた。

私はそんな二人を見て思わず苦笑した。

まだ、あの日に深まってしまった溝は埋まっていない。

二人はなかなか話そうともせず、お互いの存在すら半ば気にも留めていないような態度をとっているからだ。

今回の授業でも、ハーマイオニーは私と組みたがっていたし、ロンはハリーと組むであろうと思っていたので、ペアになってしまったときの衝撃は想像もできない。

私のすぐ隣にいるハリーも、二人の様子に何とも言えないような顔をしていた。

ちなみに、私とハリーもペアではない。ハリーはシェーマス・フィネガンとペアを組んでいる。

私は一人余ってしまった立場を悲観せず、あえてその状況でいることにした。

この妖精の魔法の授業もスリザリンとの合同の授業であるので、生徒の数に紛れて先生も気づかないだろう。

ついいつものクセで指を肩の方にすべらせる。ナギニのなめらかな肌に触れるように。

大抵の授業でもナギニは私と一緒にいる。唯一例外なのが、フリットウィック先生のこの妖精の魔法の授業。

初回授業はナギニも一緒だったのだが、思いの外先生が怯えるもので、以来ナギニには寮の部屋で待っていてもらっている。

私は肩にすべらせた指を流し、目の前にある白く大きな羽をつついた。

妖精の魔法の授業は本当に可愛らしい。先ほどの先生の言葉を頭の中で繰り返し、私は口元に薄く笑みを浮かべた。

フリットウィック先生は、ハーマイオニーが上げた羽を見て反応があったことへの喜びなのか、感嘆の声を上げた。

その反応に、私はたまらずくすりと笑ってしまう。

本当に、授業もそうなのだが、可愛らしい先生だと思う。

ゴブリンの血を引いている先生はとても小柄で、分厚い本を何十冊も積んでやっと皆と同じ目線になれている。

フリットウィック先生は、私のお気に入りの先生でもある。

先生の授業はわかりやすく、そして面白く、どんな生徒でも理解しやすい内容だ。

先生はほくほくと満足している様子で、平均と比べると短い手をいっぱいに広げ生徒全員の顔を見た。



「では、練習した手首の動きを忘れないように、ん?
さぁ、ビューンと来てヒョイです。
みんなで!」



フリットウィック先生は杖をその手に持ち、言葉に合わせて振ってみせた。

それは確かに浮遊の呪文の杖の動きだった。

皆は目をきらめかせ、机に置いてある杖を先生の言うとおりに動かそうと必死だった。



「はい、ビューン…ヒョイ!」



先生のかけ声に皆は一斉に杖を振った。

私も紛れるように杖を持ち、軽く振る。

それだけで物が浮いてしまわないよう、私は魔力を抑えることに意識を集中させた。

周りのグリフィンドール寮生はとても真剣で、フリットウィック先生の言葉を聞き漏らすまいとしていた。

スリザリン寮生は真剣でないような態度を見せていたが、それが取り繕ったものであることは簡単にわかった。

先生を挟んだ向かいの席に着いているドラコは、難しげに眉根を寄せながら杖を見つめている。

ふと視線が交わると、ドラコはぱっと杖を離し顔を背ける。

興味を隠し、不真面目な態度を心がけているドラコに、思わずくすりと笑ってしまった。



「よろしい!呪文を正確に!
ウィンガーディアム・レビオーサ(浮遊せよ)…やってごらん?」



言うことのなくなった、魔法の基礎といえる呪文が耳に届いた。

今ではもう、私は無言呪文でこの効果を得ることができる。

昔は英語に不慣れだったこともあってか、発音がうまくいかないことがほとんどだった。

周りの生徒達はフリットウィック先生の言葉に従い、それぞれ呪文を唱え始めた。



「ウィンガーディアム・レビオサー。」

「ウィンガーディアム・レビオーサ。」

「…ぁ、」



ふと視界にとらえ、聞いてしまったのはドラコとハリー。

ドラコは杖の振りはいいが、発音が違っている。

対照的にハリーは呪文の発音はいいが、杖がうまく振れていない。

それでも一生懸命な姿に、微笑みが浮かぶ。

微かにこぼれた声に気づいたのか、ハリーが恥ずかしそうにこちらを向いた。



「っ、アリス…。」

「ごめんね。おかしかったとか、そういうのじゃないの。
…もう少し、杖を意識してみたらいいよ。」

「ぁ、うん…ありがとう。」



弧を描いている口元を隠すようにした手をそのままに、私はハリーに微笑んだ。

本来なら、呪文の発音で躓くところだが、ハリーはそれができている。

あと一歩、というところだ。この様子なら、コツを掴めばすぐに扱えるようになるだろう。

杖の振りを確認しだしたハリーを見ながら、私はハリーの魔法使いとしての素質を感じていた。

すると、ちょうど左後ろの方からロンのひときわ大きな声が聞こえてきた。



「ウィンガーディアム・レビオサー!!」

「!」



一体なんだろう。そう思って振り返ってみると、ロンが羽に向かって力の限り杖を振っていた。

ロンの周りの生徒は何事かと手を止めて注目する。

ペアになっていたハーマイオニーは、ぎょっとした様子で声を張り上げた。



「ちょっと待って!ストップ、ストップ!
そんなに振りまわしたら危ないでしょ?それに、発音も違ってる!
いい?"レビオ〜サ"!あなたのは"レビオサ〜"!!」

「っ、そんなに言うなら自分でやってみろよ!ほら、どうぞ?」



ハーマイオニーは少し大袈裟に、ロンの発音に指摘する。

言っていることが間違っている、と非難できないが、ロンはハーマイオニーの言葉が頭にきたらしい。

カッと赤くなった顔で、ロンはハーマイオニーを挑発するように首をもたげた。

私とハリーは顔を見合わせ、二人の犬猿っぷりに苦笑をこぼした。

ハーマイオニーはしっかりと咳払いをし、机の上にある羽に向けて自身の杖を向けた。



「…ウィンガーディアム・レビオーサ(浮遊せよ)。」



ハーマイオニーの浮遊呪文は完璧だった。

杖先を向けられた羽はふわりふわりと浮かび上がり、皆の頭上高くまで到達する。

ゆっくりと浮遊してきた羽に気づいたフリットウィック先生は浮かしている生徒を見てそのつぶらな瞳を輝かせた。



「おぉ!良くできました!
みんな見たかね?ミス・グレンジャーがやりました!
素晴らしい!」

「……。」



高らかな先生の声と得意そうなハーマイオニーの様子は、ロンの怒りを増やす材料でしかないようだった。

ロンは先ほどの何倍も怒りを露わにした顔で机に腕をつきそこにあごを乗せている。

今まで険悪な間になっていても、衝突はしなかった。

けれど今回のことで、二人の間にはさらに深い溝が掘られてしまったようだ。

どうしたらいいのだろう。原作では、二人の溝はどうやって埋まっただろうか。

時間が解決したのだろうか。何か事件が起きたのだろうか。それすらも思いうかばない。

それとも…。

二人の間の溝は、埋まらないままだっただろうか?

そこまで考えたちょうどそのとき、ハリーのペアになっていたシェーマスが何を思ったのか自分の羽に杖を向けた。



「ウィンガード・ラビオーサー。」



呪文も杖の振り方もデタラメでしかなかった。

デタラメが故か、しっかりと杖が反応してしまったようだ。

あっという間もなく、とてつもない爆音が教室内に響きわたった。

生徒達は慌てて耳を塞ぎ、フリットウィック先生は驚きの声を上げながら積み上げられた本の上をふらふらとする。

何事かと爆発音の元へ視線を走らせると、なんとも情けないシェーマスの姿があった。

髪の毛は逆立ち、もくもくと煙が上がっている。頬は煤だらけで、机の上に浮かばせるはずだった羽は黒こげで微かに揺れていた。



「…先生、…新しい羽が必要みたいです…。」



その横でハリーは呆気にとられたように視線はそのままで呟いた。

シェーマスの無惨な姿に、たちまちスリザリン寮生からは笑い声が上がる。

グリフィンドール寮生は顔を真っ赤にしながら、状況が読み込めずポカンとしているシェーマスを見つめていた。

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