私は息を落ち着けて最後にもう一度鼻をすすると、クィレル先生に顔を向けた。
クィレル先生は静かにターバンを巻き直しており、その瞳は考えているように深い色をしていた。
ターバンを巻き終えたのを見計らって、私は小さく声をかけた。
「ぁ、の…クィレル先生…。」
私がそう言うと、クィレル先生は視線だけをこちらに向けた。
その瞳は冷たく、勘ぐるような様子を見せている。
けれどそれは当然の反応のはずだ。
自分が仕えている主人に親しい雰囲気を持った人物がいる。
しかもその人物は主人が活躍していた時代はほんの赤子だったはずの年回りの容姿をしている。
それであるのに、お互いによく知ったように話をしていた。
クィレル先生が訝るのも無理はない。
その瞳に、何を言ったらいいのか突然わからなくなった。
言葉を詰まらせた私にクィレル先生は向き直り、あの瞳を細める。
「お前はご主人様とどのような関係なのだ?アリス・八神。」
「あ、ぅ…。」
私は思わず後ずさりをしていた。
人はこんなにも野心を燃やした瞳をできるのかと思うほど、クィレル先生の瞳は鋭い。
私はびくと身体を跳ねさせ、クィレル先生がゆっくりと近づいてくるのを見つめていた。
私の背中は冷たい壁にあたり、逃げる場所はなくなった。
クィレル先生は嫌な笑みを顔にはりつけながら、近づいてくる。
自然に私に手をのばして私の首にかかっている首輪に指をかけ、それを力一杯に引き寄せた。
「っひ、ぅ!」
私は突然首を引かれた感覚に息を詰まらせた。
身体が前のめりになる。目の前には、腰を折って私の視線に合わせているクィレル先生の顔があった。
ナギニがシャーと威嚇の声を上げるが、クィレルは気にしていないように口を開いた。
「おおかた、飼い犬といったところか。」
「っ、」
クックッという含んだ嫌な笑いに、私は顔が真っ赤になるのを感じた。
屈辱的な気持ちが胸の奥からあふれてくる。
唇が震え、じわと視界が滲んだのを感じた。
クィレル先生はそんな私の姿に口端をつり上げ、引き寄せた首輪から手を離す。
私は堪らず咳き込み、涙のたまった目でクィレル先生を見た。
「っ…だったら、あなたも…同じようなものじゃないですか。」
「ッ、違う!同じではない!
私はからかわれ、笑われ、蔑まれるだけの弱い者ではなくなったのだ!」
「っ、や…!」
確かに私は狼に変身できる。動物もどきは変身できる動物を選べるわけではなく、本人の資質にふさわしいものに姿を変える。
私はそれが狼であったし、私は彼に首輪もつけられた。
けれど私は彼に属してはいない。彼の命令を、何でも聞く存在ではない。
それを言うのであれば、彼に自分の身体を提供しているクィレル先生の方がよっぽど従順だ。
そんな私の言葉に、クィレル先生は逆上したように声を荒げた。
クィレル先生の手が私の髪を掴み、その手を自分の顔元まで持っていく。
私は痛みに顔を歪め、恐怖に涙をこぼれさせた。
クィレル先生はそんな私を見て、気を落ち着けるように深い息を吐く。
そしてあの嫌な笑みをうかべ、猫なで声で言った。
「アリス・八神。
ご主人様の…ヴォルデモート卿の復活を、お前も望んでいるはずだ。」
「…う、…っ。」
「くれぐれも、余計なまねはしないことだな。」
クィレル先生はそう言い放ち、私の髪から手を離した。
私は腰を抜かしたようにその場にへたりこんでしまった。
クィレル先生は身を翻し、教室の椅子に座り私の姿を冷たい瞳で見つめる。
私は涙をこぼれさせたまま立ち上がり、教室の扉に手をかけた。
私はしゃくり上げるように息を詰まらせながら、クィレル先生に視線を向けた。
「クィ、レル、先生…。
あなたの望む強さって…力って、何ですか。」
私はそう呟くように言葉をこぼして、扉から出ていった。
廊下を早足に歩きながら、私は涙を拭った。
私の身体に絡みついているナギニは、出てきた扉の方向に顔を向けながら呟く。
『あの男、主人の主導権を握れるとでも思ってるのかね。
思い上がりも甚だしいよ。』
微かに嘲笑したような声色でナギニは言い、そちらから顔を背けた。
私の頬に顔を寄せ、うかがうように見つめてくる。
私は恐怖に震える足を必死に動かしながら、嗚咽をこぼした。
クィリナス・クィレルがあんなにも野心のある人物だとは思っていなかった。
あの冷たい瞳、奮然としたその心。
与えられた恐怖に、私は顔を歪めた。
ナギニはクィレル先生が思い上がっていると言った。
もしかして彼は、それを考えて今もクィレル先生に憑いているのだろうか。
そう思うと、むしろクィレル先生のことが心配になってくる。彼はいつか、足元を掬われる。
じっと何も言わない私に、ナギニは静かに呼びかけた。
『アリス…大丈夫かい?』
『っ、…ぅん。平気ですよ。』
私はナギニの言葉に、しっかりと頷いた。
ぎゅっと目元を拭い、微かに笑いかける。
思わぬ警告をされてしまった、と私は心の中で呟いた。
だとしてもそれはハリー達には関係ない。
私は、ハリー達が向かう先に着いていき、安全を確保するためにいるのだ。
ふと顔を俯かせ、私はすり寄せられるナギニの顔を撫でた。
顔を上げ、微笑みながら私はナギニに向かって口を開く。
『ナギニ、夕食を食べに行きましょう。』
きっとそこにはハリー達が待っている。
温かい、光が待っている。
ナギニは応えるようにクスと笑い、私は足を大広間へと歩ませた。
「…。」
闇の魔術に関する防衛術の教室の中では、ひとり考え込んだようなクィレルがいた。
彼はふと口元を緩め、先ほど出ていった女生徒の名前を呟き、微かにおもしろいとこぼした。
その声を聞く者は誰もおらず、彼も静かに立ち上がり彼女が出ていった扉を見つめた。
賢者の憂慮
(彼にも、彼にとっての光がいますように)
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