あの日から――私が"彼"と再会し、クィレル先生から警告を受けた日から――また何日かが経った。
けれど皆がそれを知っているはずもない。
クィレル先生の後頭部に彼がいるなんてことは。
それは私が他言するかクィレル先生がしくじらない限り知られることはないだろう。
あの日から、クィレル先生は意味深な視線をよく送ってくるようになった。
あの日のことが頭から離れず、私はその視線を努めて気にしないようにしていた。
ナギニはクィレル先生を警戒したように私の傍を離れないようにしてくれていた。
それでも、これからは気温も下がってくるので思い通りに外へは出られなくなるだろう。
しかし日常的にはすべて順調に思えた。
ハリーは自分が皆と変わらず、遅れてなどいないということに気づいたようだった。
ロンはよほどのことがない限りいつもご機嫌で、ハリーに魔法界のことをおしゃべりして教えていた。
二人はホグワーツの道を覚えてきたらしいが、いつものクセで私達は一緒に行動するようになっていた。
ハーマイオニーはそれに関しては気に入っていないようだったが、ホグワーツの授業に関しては新しいことを学ぶのが楽しくて仕方がないようだった。
そんなある日、グリフィンドール寮の談話室にお知らせが掲示された。
その内容は、木曜日の飛行訓練はスリザリンとの合同で行うということだった。
皆は空を飛ぶという飛行訓練の授業を楽しみにしていたが、それを見て憂鬱げに頭を抱えた。
どうやら皆はスリザリン寮生があまり気に入っていないらしい。
スリザリンは狡猾な者が集う寮。何かを起こせば、囃し立てるように笑い種にされる。
ロンもこれには納得していないようで、スリザリン寮生を見ては最悪だと言葉をもらしていた。
楽しみな飛行訓練。憂鬱なスリザリンとの合同授業。
頭を抱えても笑っても時間は止まらず、ついにその日が来てしまった。
朝起きて談話室へ下りていくと、相変わらずハーマイオニーが待っていてくれた。
いつもと違うところといったら、クィディッチ今昔で仕入れた飛行のコツやうんちくを何度も繰り返しているところだろう。
朝食を取るために大広間へ行くと、今日も美味しそうなものが揃っていた。
フルーツジュース、シリアル、トースト、卵料理、ベーコン、ソーセージ、ハッシュドポテト、ベイクドビーンズ、焼きトマト。
フルーツはマスカットが金の皿に乗せられていた。
私は席に座るとマスカットをつまんだ。皮も食べられるもので、種はないらしい。
ナギニにはベーコンやソーセージなどのお腹がふくれるものを選んだ。
大広間は朝食を取りに来た生徒で賑わっている。
私達が朝食を取り始めてしばらく経つと、ハリーとロンがやって来た。
「おはようハリー、ロン。」
「おはよう、アリス。
…おはようハーマイオニー。」
二人を見つけた私はすぐに声をかけた。
二人はにっこりと笑いながら挨拶を返してくれた。そしてハーマイオニーに視線を移し、小さく声をかけた。
ハーマイオニーは声をかけられ微かに眉を顰めたが、素っ気なくおはようと返した。
私はそれに苦笑しながら取り皿に盛ったものを食べているナギニを撫でた。
皆はもうナギニに慣れたようで、怯えたような表情は見せなくなった。
「今日、飛行訓練だね。」
「あー…そうなんだよ!」
私がそう言うと、三人は表情を固くした。
ロンは頭を抱え取り皿に盛ったベーコンを口一杯に頬張る。
ハリーはぎこちなく皿を取り、そこに卵料理を盛りつけた。
ハーマイオニーはまた緊張したように飛行のコツを復唱し始めた。
おどおどとした男子生徒――ネビル・ロングボトム――はハーマイオニーの話を一言も聞きもらさないように必死だった。
私はそんな様子にくすくすと笑った。
「ウサギの目、ハープの音色、この水をラム酒に変えよ!」
そんな中、先ほどから何度も金のゴブレットに杖を向け呪文を唱えている男子生徒の声が響いて聞こえた。
呪文を言うとその生徒はゴブレットをのぞき込む。
けれど何も変化はなかったようで、首を傾げてまた呪文を唱え出した。
するとその緊張を解そうと、ハリーが気を剃らすようにロンに声をかけた。
「シェーマスはあの水をどうしたいわけ?」
「ラム酒に変えるのさ。昨日はお茶に変わったけど!
最近は…、ッ!」
ロンがそこまで言った時、痺れを切らしたようにシェーマスは力んで杖を振った。
その途端、ゴブレットの中身がけたたましい音を立てて爆発した。
辺りには黒い煙が立ち込め、皆は驚きに目を見開き口を噤む。
煙が晴れシェーマスの姿が見えると、皆は大笑いした。
シェーマスは髪を逆立たせ、顔を黒い煤だらけにし、杖を持ったままぽかんと口を開けていた。
私はあまりに突然のことに煙を吸い込んでしまい、その煙たさにむせて咳き込んだ。
「アリス、大丈夫…?」
「あ、ぅ…ん、大丈夫…。」
げほげほとむせている私に、顔の前で手を振って煙を吸うのを防いでいるハーマイオニーが心配そうに声をかけた。
私は涙目になりながらもそれに頷く。
生徒達の笑い声が響く中、ふくろうの鳴く高い声が聞こえてきた。
「わぁ…郵便が来た!」
ロンが嬉しそうに言ったのを聞いて、私は涙を袖で拭いながら見上げた。
大広間の開かれたいくつもの天窓から、嘴に小包をくわえたふくろうが次々に入ってくる。
あっという間に大広間は飛び交うふくろうでいっぱいになった。
ナギニが反応しそちらに顔を向けたので、私は小さな声で釘をさした。
ふくろう達は送り先の生徒を見つけるとそこまで一直線に飛び、空中で包みを落とす。
生徒はそれをうまく取りながら、家族から送られてきたものに笑顔を咲かせていた。
すると仰いでいる私を見た一羽のふくろう――足と嘴のどちらにも包みをつけているワシミミズク――が、こちらに飛んできた。
ワシミミズクは私に向けて足が掴んでいる小包を器用に落とすと、方向を変えるために大きく旋回した。
私は落ちてきた小包を両手で取る。見てみると、美味しそうなマフィンがふたつ入っていた。
私は呆気に目を見開きながら空中を飛んでいるそのワシミミズクを目で追った。
するとスリザリンのテーブルの上で嘴にくわえた小包を落とし、それをドラコが受け取った。
私はその様子を見てから手の中にあるマフィンを見つめ、そういえばシシーはお菓子を作るのが好きだったことを思い出した。
ロンには丸めた新聞と手紙が届いたが、ハリーには何も届かなかった。
「ハリー…あの、これ、一緒に食べない?」
「え?」
何となく、手紙や包みを落としていくふくろうを見ているハリーが寂しそうに見えた。
私はシシーから届いたマフィンが入っている包みを差し出しながら言う。
中にはふたつ入っているし、シシーならハリーにひとつあげても怒らないはずだ。
私が微笑めばハリーは驚いたように目を見開いた。
そして、眉を下げながら私を見つめる。
「でも、アリスに届いたんだから…僕は、いいよ。」
「そんなこと言わないで。ね?
シシーが作ったお菓子は美味しいんだ。」
「アリス…そのシシーってマルフォイの母親だろ?」
「ん、そうだよ。」
私の言葉に、ロンがおずおずと口を出した。
私はそれに何も気にしていないように頷く。
もう一度ハリーに向けて首を傾げれば、ハリーは迷ったようだったが手をのばした。
「あ…ありがとう。」
ハリーは小さく呟くように言った。
少し押しつけがましかったかなと思ったが、ハリーが嬉しそうに微笑みをうかべるのを見て胸が温かくなった。
私はマフィンを一口かじった。バターの香ばしい香りを吸い込むと、その味が口一杯に広がる。
じんと口内が刺激され、私は夢中でぱくぱくとマフィンを口に入れた。
ハリーもシシーのマフィンを美味しいと感じたようでその手を早めていたが、何となく考えたような表情だった。
それはおそらく、シシーがドラコの母親だということが関係しているに違いない。
そんなハリーを見ていたロンは片方の眉を上げ、届いた郵便に視線を移した。
ロンは手紙を先に手に取り、丸められた新聞をテーブルの上に置いた。
その新聞に、ハリーは気にしたような視線を送った。
最後の一口になったマフィンを口に詰め込み、新聞に手をかける。
「これ借りていい?」
ハリーはロンに届いた新聞を手に取った。
ロンは手紙を見ている目を軽くこちらに向け、どうぞというように肩を竦める。
ハリーはロンにお礼を言い、新聞を縛っている紐を解いた。
その新聞は日刊予言者新聞で、私は反対のその文字を見ながら考えた。
確か、グリンゴッツが破られたという記事が書いてあるはずだ。
食事が終わったナギニの皿を私のものと重ね、私は身を乗り出した。
「ロン、私も見るね。」
私がそう言えば、ロンが微かに頷いたように見えた。
私は日刊予言者新聞を反対側から見ながら、記事を読み進めていく。
私の隣では、ネビルのおばあさんからネビルに届いた思い出し玉についてをハーマイオニーが話していた。
日刊予言者新聞には、大きな写真が載せてあるその見出しに、私が覚えていることが確かに書いてあった。
「ねぇロン…グリンゴッツに強盗が入った…!ほら!」
ハリーはそう言って日刊予言者新聞をテーブルの上に置き指を指した。
その言葉が聞こえたらしいハーマイオニーはネビルからハリーの指している記事に視線を移す。
私は静かにその記事を見つめながら、ナギニの身体を撫でていた。
私達が日刊予言者新聞を見たのを確認して、ハリーは指で追いながら記事を読み始めた。
「闇の魔法使い、または魔女の仕業かと思われるが、何も盗まれてはいないとゴブリンは主張している。
713番の金庫はその日事件の前に空になっていたらしい。
…ヘンだな。僕とハグリッドが行った金庫だ。」
ハリーは記事を読みながら訝しげに眉を寄せ、私達に視線を移す。
皆はじっと黙ったままお互いの顔を見合わせていた。
やはり、ハリーは目をつけてしまった。
私は静かに顔を俯かせながらナギニの身体を撫でている手を止めた。
ナギニは何かを思ったように私の頬に顔を寄せてきたが、それに気づくのは誰一人としていなかった。
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