ルシウスはじっと私を見つめながらゆっくり近づいてきた。
優しいその微笑みは、思わず甘えてしまいそうになるほど懐かしい。
私は動くことができず、ただ立ち竦んでいた。
ルシウスは緩く一つで縛った髪を揺らしながら私の目の前まで来た。
冷たい色をしたルシウスの双眸。
懐かしいその瞳は前と何も変わっておらず、私は自然と息を呑んだ。
先ほどから、心臓の鼓動がうるさいくらいに跳ね上がっている。
「っ、ぁ…。」
「アリス…。」
私がまともに話せずにいると、ルシウスは私の頬に手をのばした。
ひんやりとしたその指先。
もしかして、結構な間ここで待っていたりしたのだろうか。
そんなことを頭の隅で考えていると、ルシウスの腕が私を包んだ。
突然抱きしめられ、私は目を丸く見開く。
ルシウスの、温かくて優しい上品な香りに包み込まれたかのようだった。
ルシウスはまるで私の存在を確かめるかのように優しく背中をさすってくる。
「…アリス、久しぶりだね。」
その通りだと思った。前はあんなにも一緒にいたのに。
それも、私が勝手にホグワーツに来てしまったことが原因だが。
私は静かにルシウスの背中に手を回した。
「久しぶりです…ルシウス。」
「あぁ…。
勝手に行ってしまったのだから、驚いたよ。」
「ごめん、なさい…。
卿は、怒ってますか……?」
落ち着いた懐かしい香りに、私は夢見心地だった。
自分でも無意識に"あの人"のことを卿と呼んでいた。
ルシウスは一瞬驚いたように息を呑んだけれど、私をあやすように頭を撫で始めた。
「そう、だね…かなりご立腹されていたご様子だったよ。」
「…そう、ですか……。」
怒っていた。当たり前のことなのだが、それを聞いてしまうと心が悲鳴を上げた。
ズキンズキンと心臓が締めつけられる。
彼は、もう私を見限ってしまっただろうか。
無意識に、私は縋りつくようにルシウスの背に回した手の力を強めていた。
突然、心細くて仕方がなくなる。
ルシウスはそんな私に困ったように微笑み、口を開いた。
「それでもあの方は君が戻ることを望まれているよ。
君があの方の元へ行くために取り計らうため、私が来たのだからね。」
「ぇ…?」
ルシウスの言葉がうまく理解できなかった。
あの人が、私が帰ることを望んでいる?
到底信じられる話ではなかった。
しかし、ルシウスの瞳には嘘をついている様子はない。
ルシウスは私の頭を撫でるのをやめて、ゆっくりと身体を離した。
「あの方も、君が望んでいることのために待ってくださったのだよ。
本来なら、君が離れたあの日あの時にそうすることはできた。」
「…。」
それは、私があの人の邸に帰ることを指しているので間違いないだろう。
優しく言い聞かせるかのようなルシウスに、私は押し黙った。
確かに、彼ならいつでもそれができたはずだ。
それをしなかったのは、私のため。その言葉を聞き、私の心臓は跳ね上がる。
彼の姿が脳裏にうかび、左手の甲をぎゅっと押さえていた。
そんな私を見て、ルシウスは穏やかに微笑む。
整ったその顔が優しい笑みをうかべた。
「アリス、これを受け取って。」
「これ、は…?」
手渡されたのは、黒い本だった。
上質な手触りの表紙。
でこぼことした何かがあったので目を凝らせば、金の細い文字で名前が書いてあった。
トム・マールヴォロ・リドル。
日記だ。トム・リドルの日記。
あの人の分霊箱のうちの一つ。
なぜそれが私に渡されているのだろう。
ルシウスは、この日記が分霊箱であると知っているのだろうか。
戸惑った瞳をルシウスに向ければ、曖昧な笑みを返された。
「どうして、私にこれを…?」
小さく呟けば、ルシウスは微笑んだ。
その理由はあの人しか知らないのであると、無意識に理解する。
ルシウスは私の耳元に口を寄せ、あの心地いい声で話した。
「我が君は君をお望みだ。
君も決断を下さなければいけない時がくるだろう。
くれぐれも、間違えないようにね。」
「…ぇ?」
ルシウスは意味深な言葉を言い、私の頬に小さなキスを落とした。
反射的に顔を見上げれば、優しく微笑んだルシウス。
そして、ゆっくりとその唇が動いた。
"待っているよ"
声を出さずに、ルシウスは確かにそう言った。
次の瞬間、ルシウスは姿くらましをして私の目の前から姿を消す。
印象的な、バシッという音がその場に残された。
私は呆然と立ち竦みながら、腕に抱えたトム・リドルの日記に目を移した。
一体、あの人は何のために私にこの日記を渡したのだろう。
そんなことを考えながら私は深く息を吐いた。
何となく日記から感じるあの人のような雰囲気。
私は自然と口元に弧を描きながら、日記を腕に抱えて悪戯専門店ゾンコへと戻ることにした。
「アリス!どこに行ってたのよ!」
「っリリー…。」
「ちゃんとここで待ってるって言ったじゃない!」
「ご、ごめんなさい…。」
いつもの調子で戻った私はリリーの叱声に身を竦ませた。
先ほどのことですっかり頭から飛んでいたのだが、確かに私はここで待っていると言った。
まるで母親のような言葉に口元を緩ませるけれど、リリーはかなり怒っている様子だった。
それも仕方がないと思い、私はじっとリリーを見つめる。
怒っているリリーは静かになった私を見て、首を傾げた。
「なに?」
「ううん…リーマスは、何の用だったのかなって。」
「っ、!」
ふと何気なく呟けば、リリーははっと息を呑んだ。
先ほどまでの怒りも、一瞬でおさまったようだ。
リリーは視線を泳がせ、ぱくぱくと口を開いていた。
「と…特に大した用事でもなかったわ!
せっかくのあなたとの時間を無駄にしてしまったし、本当に迷惑よ。」
「…。」
ふんと勢いよくリリーは顔を背けた。
しかしその言葉が本心であるのか、私は疑いの目を向ける。
リーマスの顔は真剣そのものであったし、戻ってきたリリーもそんな様子はなかった。
じっと見つめていると、リリーはじわと冷や汗をにじませ、私の手を掴む。
「も、もう遅くなっちゃうわ!早く行きましょう。」
「っ、ぁ…う、うん。」
「三本の箒のバタービールは絶品っていう話よ。」
リリーは調子を立て直すかのように声を上げた。
私はその後について足を動かす。
パブの三本の箒へ行く道は、人がとても賑わっていた。
店の中からもれだす光は、降り積もった雪をキラキラと輝かせていた。
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