三本の箒の中は落ち着きがなく、店主のマダム・ロスメルタは走り回るかのように店内をまわっていた。
店内は甘く香ばしいバターの香りが充満していた。
その匂いをかぐだけで、じんと口内が刺激された感覚になる。
私達は何とか空いた席を見つけ、そこに素早く腰を下ろした。
お目当てのバタービールを二つ頼み、それを待ちながらホグズミード村の感想に花を咲かせた。
ふとリリーが私の持っている黒い本――トム・リドルの日記――について聞いてきたが、私は言明はせずに曖昧にした。
リリーも、私があまりにも大事そうに抱えているので深く追求することは控えたようだった。
バタービールが来ると、私達は白い泡がたっぷりと立ったジョッキに手をのばした。
その中からは甘く誘い込むような魅力的な香りがあふれ出している。
一口口に含めば、それだけでその甘さとバターの風味が口の中いっぱいに広がった。
バタービールは温かく、喉を通る度身体の中にぽかぽかと不思議な感覚を残していった。
私達は夢中でそれを飲み、ジョッキが空になった頃には私達の口の周りは白い泡で覆われてしまっていた。
髭のようなその泡に、お互いの顔を見て二人で笑い出す。
身体の芯から温まり、店の賑やかな雰囲気につられるように幸せな気分に包まれた。
バタービールを飲んだ私達はホグズミード村を堪能した気持ちになりながら、学校へ帰る道のりを歩いた。
一日中はしゃいでいたので、もう心も身体もへとへとだ。
それでも、私はルシウスから渡された日記を大事に腕に抱えていた。
寮に戻る道を歩きながら、そこに近づくにつれてリリーの口数が減ってきたことに気づいた。
疲れてしまったのだろうか。そう思うが、それではこのリリーのぎゅっと結ばれた口を説明できない。
まるで何かに緊張しているかのようなリリーに、私は首を傾げる。
声をかけようかとも思ったが、リリーの難しい表情になかなか声がかけられなかった。
どうしようと悩んでいる間に、目の前には談話室へと続く扉がたたずんでいた。
リリーの緊張は高まったようで、ごくりと唾を飲み込み、合言葉を言った。
「えっと、リリー…どうしたの?」
さすがに心配になり、私はおずおずと声をかけていた。
するとリリーは肩をビクッと跳ねさせ、視線を彷徨わせる。
その様子に、寮に何かあるのだろうと感じた。
私がリリーをじっと見つめている片隅で、寮の扉がゆっくりと開かれる。
次いでリリーに言葉をかけようとした私の口は、突然身体にかけられた衝撃にうまく言葉が発することができなかった。
「っ、ゃ…!」
「!」
身体が何かに掴まれた。そして感じる、浮遊感。
目の前のリリーはこれでもかというほど目を見開き、私の後ろを見ていた。
私はうまく反応することができず、身体が後ろに引っ張られる。
一瞬のうちに、何かに談話室に引っ張り込まれた。
私の身体を掴んでいたのがいくつもの腕だということを理解するのには、そう時間はかからなかった。
私が呆然と目を見開き突然の浮遊感による恐怖で動けなくなっていると、リリーが鋭い声を上げた。
「あなたたち!アリスになんてことするの!」
「えっ、いや、これは…その…!」
「そんな乱暴なことをするのなら、協力するなんて言わなきゃよかったわ!」
リリーは憤慨した様子で寮に入ってきて、私の後ろを睨めつけていた。
そんなリリーに対して戸惑っているような声が私のすぐ後ろから聞こえてくる。
とても聞き覚えのある声だ。もっとも、最近は聞いていなかったが。
私は話に置いていかれたかのようにぽかんとしてしまった。
しかし、リリーの言葉に目を丸くする。
協力する?一体何のことだろう。
リリーの言葉に、後ろから聞こえてくる声が焦ったような様子になった。
私は自然と仰ぐように顔を向けていて、後ろにいる人物を見て目を見張った。
「ジェー、ムズ…シリウス…リーマス、ピーター?」
「っ!」
「ど、したんですか…?」
顔を向ければ、後ろにはあの四人がいた。
先ほど私を引っ張った手は、彼らのものだったのか。
そう判断するが、しばらく話をしていなかったので変に緊張してしまう。
顔を見れば、それは彼らも同じなようだった。
ジェームズは引きつった笑みをうかべ、視線を泳がせていた。
シリウスは何となく居づらそうに顔を俯かせている。
リーマスは先ほど会ったのでそんなに緊張していないようだったが、心配そうにこちらを見つめていた。
ピーターはいつも以上にびくびくと身構えていて、こちらが心配になりそうなほど縮こまっていた。
私は彼らの顔を見ながら、呆然と呟いていた。
一体急にどうしたのだろう。
しかし彼らからの言葉を待っても、ばつの悪そうな顔で唸っているだけだった。
そんな彼らに、隣にいるリリーは今までの緊張を吐き出すかのように息を吐き、口を開いた。
「アリスに言いたいことがあるみたいよ。」
「え?」
「ちょ、待っ…!」
リリーが淡々と言い、その言葉にジェームズが焦ったように反応した。
言いたいこと、とは何なのだろう。
私が上目に目を向ければ、四人はビクリと肩を跳ねさせた。
「…えっと、何というか………。
何を言えばいいんだいシリウス!」
「知らねぇよ!これはお前が言い出したことだろ!」
「けど君も乗り気だったじゃないか!
そうだろうリーマス、ピーター!」
「ぇっ…えっと、えっと…っ!」
ジェームズとシリウスは落ち着かない様子で言い争いを始めた。
そして突然話を振られたピーターはビクッと跳びはねる。
すると同時に、突然何かが弾けたような音が談話室いっぱいに鳴り響いた。
高々と鳴り響いた音に、私は堪らず耳を塞ぐ。
周りの皆も、反射的に耳を塞いでいた。
ぎゅっと目をつむり、そろそろと開けてみると、どこからかお菓子が現れた。
ころん、とひとつ談話室のカーペットの上に転がったのは、バーティ・ボッツの百味ビーンズ。
そのお菓子を始まりにして、あふれるようにお菓子が現れだした。
私は目を見開き、リリーに視線を移す。
リリーは耳を塞いでいる手を下げないまま、あの緑の瞳を丸くしていた。
前にいる彼らに目を向けてみれば、ただ単に驚いただけの様子ではなかった。
「ピーター!」
「っご、ごめん…!」
ジェームズはピーターに咎めるような視線を向け、ピーターは唇を震わせた。
よく見てみれば、ピーターの手にはプレゼントを入れるかのような箱が抱えられている。
その中から、様々なお菓子が飛び出してきていた。
箱から飛び出すお菓子は魔法界のものばかりで、それは箱に収まりきらずこぼれ落ちていた。
改めて彼らの顔を見てみると、悪戯を仕掛けたがそれがうまく作動しなかった時のような表情だと感じる。
その表情から察するに、あの箱の仕掛けが何らかの理由で誤作動してしまったようだ。
ぽんぽんと飛び出すお菓子を止めようとピーターがあくせくしていると、ジェームズが深くため息を吐いた。
そして気持ちを落ち着けたかのように、驚きに目を見開いている私を見つめる。
「アリス…僕はあの時、君の言っていることの意味がわからなかった。
うまく受け入れられなくて、ずっと避けてしまったんだ…ごめん。」
落ち着いた様子で、ジェームズははっきりと言葉を紡いだ。
私はジェームズのその言葉にさらに目を見開いた。
こんなことを言ってくれるなんて思ってもいなかった。
心の底から、温かいものがあふれ出してくる。
すると次いで、ジェームズの隣のシリウスが口を開いた。
「俺も、悪かった…頭に血上ってたし…。
考えてみれば、お前の言ってることは正しいんだ。」
「シリウス…。」
「悪かったよ。」
シリウスの真剣なその瞳に、ドクンと胸が跳ね上がる。
喜びが胸いっぱいに広がった。
自然と唇が震え、腕に抱えていた日記を持つ力を強めてしまう。
感動とも言える感情が、私の身体の中を支配していた。
小さく震える私に、リリーが優しく声をかけた。
「この人たち、あなたに謝りたいって言ってきたのよ。」
「でも言葉だけだとジェームズとシリウスは物足りないらしくて。
それで僕がエバンズを呼んだんだ。」
「あなたは…ほら、よくご飯を美味しそうに食べてるじゃない?
それに、甘いものが好きみたいだから…。」
ホグズミード村でリリーが呼ばれたのは、そのためだったのかと私は納得した。
悪戯専門店ゾンコの中に、三人はいたのだろう。
私はぎゅっと口を噤み、前の四人を見つめていた。
「このお菓子も、君のために用意したんだ。」
「ぇ…?」
「まぁ、お前がよかったらだけどよ。」
ドキリと緊張した様子の二人が口を開いた。
そんな二人に、自然と笑みがこぼれてしまう。
カーペットの上に転がったいくつもの魔法界のお菓子。
おそらく、ここの世界のものをあまり食べたことがないことをリリーが伝えたのだろう。
私はいつの間にかクスクスと笑っていて、彼らに微笑みを向けていた。
「こんなにたくさん、ひとりじゃ食べれませんよ。
一緒に…食べましょう?」
「!」
私がそう言うと、目の前の二人は目を見張った。
そして安心したように、いつも通りの笑みをうかべる。
彼らは大きく頷き、私達はそれぞれお菓子を開けて食べ始めた。
無駄ではなかった。早まってしまったのかもしれないが、それでもよかった。
そんなことを思いながら、リリーに微笑む。
リリーは私の真意に気づいていないようだが、微笑み返してくれた。
そして彼らがまた私に笑みを向けてくれることを嬉しく感じながら、自然と目を細めていた。
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