「っ、…。」
私はドクンドクンという心音を、すぐ耳元で聞いているような現象に陥っていた。
ふと目の前を見上げれば、頭上よりずっと高く大きな扉がたたずんでいる。
その中からはガヤガヤと落ち着きのない声がもれてきている。
肌寒い廊下には誰もおらず、さらに冷たさが身体を包む。
私は深く息を吸い、真新しいホグワーツの制服の上から胸に手を当てた。
この制服はアルバスが用意してくれたものだ。
あの後、少し雑談を交わしていたら、寝室からこの制服の入った箱を持ってきた。
前から用意していたらしく、悪いと思ったけれど断れなかった。
着てみると驚くほどサイズがぴったりで、目を見開いているとアルバスは悪戯なウインクをした。
しかもそれだけならまだよかったものの、教材も全て揃えてくれたらしい。
それは部屋に置いてあるからと言われ、私は苦笑しているしかできなかった。
その時、扉の向こう側が一段と騒がしくなり、そして静まりかえった。
その様子に、私ははっと我に返る。
皆に紹介するからとここに待たされた自分の状況を思い出す。
この扉の先は、ホグワーツ魔法魔術学校の大広間。
おそらくこの中には全校生徒約千人がいることだろう。
そう考えると、おさまっていた鼓動が大きく打ち始めた。
顔がカッと熱くなり、落ち着かない心情にそわそわと足が動いてしまう。
すると、静まりかえった大広間の中から、よく通るあの声が響いてきた。
「では、紹介しようかの。
アリス・八神嬢じゃ!」
その瞬間、目の前の巨大な扉が轟音を立てて開き始めた。
扉は手前側に開き、私は反射的に身を引く。
突然のことに目を丸く見開いた私は、初めて見た大広間の中に息を呑んだ。
今まで見てきた部屋とは比べものにならないほど広い。
その広い空間には人がぎっちりと詰まっていて、見る顔見る顔がそろってこちらを見ていた。
興味津々というそれらに思わず身が竦む。
生徒と教員のテーブルは別れていて、教員のテーブル前に立ったアルバスは優しく微笑んでいた。
私の姿が見えると、静かな空気は一変してざわつきに変わった。
「っ、」
こういう状況に立たされると、ちっぽけな自分に怖じ気づきそうだ。
けれど大丈夫だと何度も自分に言いきかせる。
周りが何を言っているのかはわからない。
こんなに人がいるのでそれは当たり前だが、よかったと胸を撫で下ろした。
何を言われているのか、気にしなくてすむ。
私は一つ大きく息を吐いて、ドクンドクンと脈打っている心臓を落ち着けようとした。
けれどうまくいかず、口から心臓が飛び出してしまいそうだ。
助けを求めるように彷徨わせた視線はアルバスに行き着く。
半月型の眼鏡の奥で優しく細められたその瞳。
その微笑みを見た瞬間、私は誘われるように足を踏み出していた。
足が宙に浮いているのではないかと思うほど、現実味がない。
途中、足先が床につっかかり、何度かつまずいた。
顔が火を噴くように真っ赤になってしまいそうだったけれど、何とかアルバスの元までたどり着く。
アルバスは笑みを深め、私の肩に手を置き前を向かせた。
目の前を見て、私は息を呑む。
横から見てもそうだったのだが、前から見るとそれ以上だった。
私は今、教員用の段の上にいる。大広間一面を、全て見渡すことができた。
全体には大きくて長いテーブルが四つ。
それぞれにはシンボルカラーがあり、それは生徒のローブで理解できた。
真紅――グリフィンドール――、緑――スリザリン――、青――レイブンクロー――、カナリア・イエロー――ハッフルパフ――だ。
ここで全ての物語が始まり、終わるんだ…。
ふと感傷的な気持ちになり、私は顔を俯かせた。
すると、アルバスの陽気な声が高らかに語り出した。
「彼女はある事情により少しの間ではあるがこのホグワーツに編入することになった。
学年は、3年かの。それについていける知識は持っておる。
仲良くするようにの。」
アルバスがそう言うと、テーブルの隅々から声が上がった。
その声に、なんだか恥ずかしくなりアルバスに視線を送る。
アルバスはこちらを見て、優しく微笑んだ。
「それでは!きっと皆も楽しみにしておるじゃろう。
組分けの儀式を行う!」
「っ、!」
ざわつきが一段と酷くなり、歓声ともとれる声も聞こえてきた。
その迫力に、思わず肩をビクつかせる。
そんなにも、組分けは盛り上がるものだったろうか。
原作の様子を思い浮かべる。
確かに、在校生も楽しんでいるようで、寮のために有力な生徒を手に入れようとしていた。
それでもこんな風に、切望しているような瞳はしていなかったはず。
"編入"というのも何か関係あるのだろうか。
アルバスの話によると、今は十月中旬だ。新学期が始まって少ししか経っていない。
そもそも編入なんて滅多に起きるものでもないはず。新学期始まってすぐなら、なおさら。
そんなことをぼんやりと考えていると、アルバスに導かれ、私は足を踏み出していた。
向かっている先には、木製の何の変哲もない椅子。
その椅子に近づくたび、ドキドキと思い出したように心臓が動き出す。
私はそこに座らされ、教員席から誰かが立ち上がった。
きちんと整えられたひっつめ髪の女性。
手にはくすんでボロボロのとんがり帽を持っていた。
組分け帽子だ。自然とそれがわかり、私は身を固くした。
私が動きそうもないことを確認した女性は、厳格さを保つように咳払いをした。
そして、スッと鋭い瞳をこちらに移し、言いきかせるように言った。
「では、始めますよ。」
この女性はおそらく、ミネルバ・マクゴナガルだろう。
濃い茶色のひっつめ髪。厳しそうな顔つきには威厳が漂っていた。
組分け帽子はゆっくりと私の頭に被せられる。
マクゴナガル先生は一歩引き、組分け帽子が反応するのを待った。
すると、どこからか誰かの息を呑む音がすぐ近くで聞こえてきた。
「これは…。」
「っ、」
突然聞こえた言葉に、思わず身体をビクつかせた。
しゃがれた低い声。頭に直接響くように感じるが、不快感はなかった。
この声が組分け帽子のものであると、無意識に理解する。
「そうか。君は異世界の者か…。」
「は、い…。」
「ふむ…難しい。おそらく君はどの寮にも向いておる。
悪を許さず立ち向かう心、願いを叶えるために時に手段を選ばぬ非道さ。
そして知を求める勤勉さ、人を思いやる優しい心…全てを備えておる。」
組分け帽子は独り言のようにぶつぶつと呟いていた。
開心術のように落ち着かない気持ちに襲われる。
けれど組分け帽子の言っていることがどこか他人事のように聞こえた。
そんなことを言われても、自分のことなのかすらわからない。
私は、そんな資質を持っているのだろうか。
そう考えていると、組分け帽子がふっと笑った気がした。
「信じられないかね?」
「っ!…はい。」
今まで自分の力を信じようなんて思ったことがない。もちろん、今も。
ちっぽけな私になんて、できることはない。
ただ私は、それでも変えたい未来があるだけ。
見たくない未来があるだけ。そのためになら、何だってできる。
無意識に私は、膝の上に置かれた手をぎゅっと握っていた。
気になっていた周りも、今ではすっかり意識の外にある。
組分け帽子はふと黙り込み、静かな空間だけを残していった。
「そうか…では、己の力を試してみなさい。
グリフィンドール!」
「!」
組分け帽子は突然、高らかに声を上げた。
瞬間、四つの長テーブルのうちの一つから、割れんばかりの歓声があふれ出す。
うそ。私が、グリフィンドール?
グリフィンドールは、勇猛果敢な者が集う寮。
そんなグリフィンドールに、私が?信じられない。
何かの間違いだろうと思っていると、組分け帽子が小さく呟いた。
「未来を変えてみせよ…異世界の旅人よ。」
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