なぜ…。
なぜ、この子は俺の名前を知っているんだ?
確かに、テニスの雑誌にも何度か載せられたことがあるので名前を知っていてもおかしくはないだろう。
だが、幸村が疑問に思うのはそれだけではなかった。
彼女の容姿、行動、その全てが不思議で堪らない。
「君、は…。」
一体、"だれ"?
思わず口から零れそうになった言葉に、幸村自身が驚いた。
俺は何を聞こうとしていたのだろう、そう思い口を閉ざす。
彼女はじっとこちらを、まるで信じられないものを見るように…。
自分の記憶の中にあるものと、今目の前にあるものを慎重に照らし合わせているかのように見ていた。
そして彼女の尾は、ゆらりゆらりとその慎重さを表すかのように、ゆっくりと動いていた。
「…ゆきむら、せい、いち。」
彼女は、まるで確かめるかのように名前を呟く。
上目でじっと見つめてくる淡いブルーの瞳に、吸いこまれてしまいそうだ。
キラキラと澄んだ色…。
とても綺麗で、目が離せなくなってしまう。
「どうか、した?」
自然と口が開いていた。
綺麗なその瞳の中で、寂しさがあるのに気づいて。
彼女は目を見開いて、それからふわっと微笑んだ。
その笑顔はまるで優しく咲き誇る花のようで…。
思わず胸が高鳴る。
「ゆきむら、せーいち!」
「ッわ…。」
嬉しそうに笑って、彼女はまた幸村の首に手を回す。
ぎゅうと抱き着かれた幸村は、その状況にどぎまぎした。
だが、彼女に触れられた部分が冷たく、そして水分をゆっくりと含んでいくのに気づき、彼女が濡れていたことを思い出した。
「ちょ、ちょっと待って…!
君、どこから来たの?すごく、濡れてるけど…。」
「そと…?雨が、ふってたから。」
「雨?」
「ん…。」
外で雨?
幸村は疑問に思った。
今日は、快晴だ。
雨雲など一つもない、彼女の瞳と同じような空が広がっていた。
彼女は体を離し、自分の体を見つめた。
着ている黒のワンピースは、濡れてべったりと体に張り付いている。
流れるような身体のラインが、くっきりと見えるほどだ。
幸村は、彼女の視線を追うように見たが、すぐに視線を泳がせた。
「そ、それで…どうやって、俺の部屋に入ったんだい?」
そう、一番気になるのはそこだ。
家には鍵を掛けていた。
それなのに、幸村の部屋にいた。
首を傾げながらきょとんと見つめてくる淡いブルーの瞳と幸村は目を合わせた。
「ん…わかんにゃい。」
そう言った彼女の耳は、しゅんと垂れていて…。
嘘は吐いていない、そう思った。
幸村は完全に納得はできなかったが、問い詰めることもできなかった。
「そっか…。」
しん、と静かな空気が流れた。
幸村はベッドから手を離し、少し距離を置く。
何を話したらいいか分からなかった。
…気まずい。
だが、彼女の様子を伺ってみると、そんな事は思っていないようでキラキラッとしたブルーの瞳を向けていた。
興味津々、その言葉がぴったりだろう。
奥でゆらゆらと揺れている尾も、その雰囲気を漂わせている。
彼女の顔を改めて見てみると、とても綺麗な顔をしていた。
少しつり目の、澄んだ淡いブルーの瞳。
そんな瞳を強調するかのような長い睫毛。
白く透き通るような、滑らかな肌。
ふっくらと形のいい薄桜色の唇。
全てのパーツのバランスが、整っている。
綺麗でいて…そして、何よりも可愛らしい。
少女のあどけなさが残っていて…見た目で言うなら、幸村より一、二歳くらい年下だろう。
幸村は…彼女に、思わず魅入ってしまった。
そんな幸村の意識を戻したのは、彼女の小さなくしゃみだった。
「っ、くしゅ…!」
「!」
彼女は、小さく震え、体を丸くしようとしていた。
幸村ははっとして、彼女が座っているベッドから、毛布を引っ張り彼女の肩に掛けた。
彼女は目を見張り、首を傾げる。
「そのままだと、風邪引くから…。」
「んにゃ、だいじょうぶ…だよ?
かぜ、なんて…ひかないもん。」
そう言って、上目で見つめてくる彼女の瞳は、潤んでいた。
幸村は、思わずドキリと跳ねる胸を押さえつけて、冷静に聞こえるような声を取り繕った。
「そんなこと言って…震えてるじゃないか。」
彼女の肌に触れると、思わず眉を顰めるほど冷たかった。
肩に掛けた毛布に、体の熱が逃げないようにくるまる彼女を見て、さっきのが去勢だったのだとわかる。
ばつが悪そうに口を尖らせて、視線を泳がせた彼女は、幸村をちらりと見て、呟いた。
「だれか…来たよ?」
「え?」
「そと。」
ちょうどそのとき、家のインターホンが来客を告げた。
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