▼ V
「お前以外としてないから」
キッドが身支度を整えている最中、不意にローが言った。
何を言っているのか分からず、「……へぇ」とキョトンとした顔で返すとローの頬が膨らんだ。
「なんだよ、その顔」
「いや……あ、そういうね」
「べ、別に誰でもよかったわけじゃねぇし」
困ったように目を逸らすローにどうしてだかキッドの心拍数が高まっていく。
俺はノーマルだ、俺はノーマルだ、俺はノーマルだ、俺は……。
「なにブツブツ言ってんだよ。気色悪りぃ」
どうやら心の中の詠唱が口に出ていたらしい。
「トラファルガー……お前、なんで俺とこんなことできんの……?」
半ば呆れた口調で尋ねながらバサリとジャケットを羽織る。
その動作で埃が舞い、ローが小さくクシャミをした。
「俺が何でユースタス屋とシてるかって?」
「そうだよ」
うーん、と顎に手を当ててローが考える。
そのままコクリと無意識に傾く顔に、天然か、この野郎、とキッドが盛大に心の中でツッコミを入れていることは知らない。
そうして出た答えは。
「…………顔が許容範囲だから?」
「ーーーーは、はぁあああぁあああ!?」
思わず叫んだキッドに、「うるせぇ! 」とローが手で口を塞ぐ。それを剥ぎ取って、キッドは言葉を続ける。
「顔か!? お前、顔で決めてんのか!? やっぱ誰でもいいんじゃねぇか、このビッチ!!」
「いや、そういうわけじゃなくてだな……」
「もういい、ふざけやがって! 時間返せ!」
「ユースタス屋も楽しんだんだからいいだろ」
「いーや、俺は一回しか抜いてませんー。お前が泣きながら『挿れてぇ……ッ!』って言うから、フゴォッ!?」
最後まで言い切る前に、ローのストレートパンチが綺麗にキッドの鳩尾に当たった。
予想外の攻撃に壁に手を当てて悶絶する。
ローもハァハァと息を切らせながら、「じゃあよ……」と、恥ずかしいのか顔を手で隠しながら言った。
「今度の、土曜……俺とゲーセン、行かせてやる」
未だに収まらない吐き気に苦悶しつつ、だから何で上から目線なんだ、と思ったが、どういうわけか自然と頬が緩んでしまう。
嗚呼、もういい。
俺の負けだ。
「……てめぇ、スコア更新まで返さねぇかんな」
今思う。
俺はあの時、こいつを突き飛ばすべきだったのだと。
そしたらこんな歪んだ放課後も過ごさなかったし、ましてやそれ以上の感情を抱くことなんてなかったはずだ。
「責任取れよ、トラファルガー」
教室を出て、キッドがローを小突くと、言葉の真意を掴んだのか知らないが、「いいぜ」と歯を見せた。
夕焼けが二人の影を長く伸ばしていた。
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