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そしてはじめて、ふれあう心

 眩しい日差しを浴びながら、シュートは心穏やかにベッドの上で本を読んでいた。UMAに関する専門書の数々は、何度読んでも、心の奥底に眠る知的好奇心を揺さぶって起こしてくれるような、何物にも代え難い存在である。もっとも、ほとんどの者からは煙たがられるだけで、一向に賛同は得られないのは残念でならないが。

 ふと、病室の扉が唐突にガラガラと音を立てて開かれた。病室の壁に負けないぐらい真っ白な裾が覗くより前から、シュートは既にその正体がナックルであると気づいていた。病室に入る前はノックをするよう、これまでにも何度か注意したことがあるのだが、悪意があるのか無いのか、彼はことごとくノックを忘れる。
 とはいえ二人は同性だし、まだ自在に着替え等ができるほど体の自由が利く訳でもないから、具体的に何がどう不都合であるということはない。だが、UMAの神秘に没頭しているところから現実世界に戻るまでには、ほんの数秒であっても、スイッチを切り替えるための時間がシュートには必要だった。
 それでも、日が経つごとに友人のノックを忘れる行為に対する抵抗感が減りつつあることもまた、神経質なシュートにとっては不思議この上ないことだが、紛れもない事実である。

「よう」

 ぶっきらぼうに言い放ち、シュートが返事をするより前に、どかっと傍らの椅子に腰を下ろした。せめて本に栞を挟んでから応じようと栞を探し始めるや否や、ナックルはいつものように大きなフルーツバスケットをシュートにずいと押し渡した。

「ほらよ、今日の分だ」

 受け取るまで一切言葉を交わす気のなさそうなナックルを見るなり、潔く栞を挟むことを諦めたシュート。やむなく本をベッドの上に開いたまま置き、フルーツバスケットを受け取る。
 ちらりと中を見やると、便宜上フルーツとは呼んでみたものの、その中身は例によってパンや缶詰、炭酸飲料やアルコール度数の低い酒類、あまり健康に良くなさそうなスナック菓子の類もぎっしり敷き詰められていた。それらはいつもナックルのチョイスであり、彼らしい自由奔放な彩りを思う存分楽しめる仕様になっている。無論、シュートの好みが菜食主義寄りであることを知った上で押し付けてきているのである。シュートとて最初こそ真っ向から反発したものの、ナックルが持ってくる品々の傾向には全く変化が見られず、致し方なく彼が折れる結果となったという次第だ。最近ではシュートの食の好みの方が変わってきているぐらいだから、人間の適応性とは大したものである。

「ああ、いつもすまな……」
「んなことより、この前のヤツ、ちゃんと食い終わったか? つか食い終わってんだろうな、コラ」

 ぎろりと鋭い眼光で尋ねられ、一瞬身が強張ったシュートであったが、焦ることなかれと己を落ち着けた。
 シュートは誇らしい気持ちで、先日ナックルが持ってきた赤色の籠が綺麗さっぱり空になっている様を指差した。ナックルは虚を突かれたように、一瞬無防備な表情をちらつかせる。

「あれだけ大量のジャンクフードを、一日で食べたのは初めてだ。……何と言うか、今まで毛嫌いしていたが、意外と悪くなかった」

 ナックルは少し目を丸くして、すぐにシュートに目線を戻した。
 かつては“化学調味料の味がする”の一点張りでジャンクフードを食べようとしなかったシュートが、自分の持ってきた物を確かに食べ、そして悪くないと思った。その真実を噛み締めるように僅かに俯くナックル。思わず、早口でまくし立てるように言った。

「……お、おうっ! やっと完食かよ、遅せーってんだよ」
「無茶を言うな。点滴以外の方法で栄養が取れるようになったのは、つい一週間前なんだ」
「……ったく、んな呑気なこと言ってるうちに、オメーなんか置いてオレはどんどん出世しちまうぞ」
「なんだ、また大きな任務を終えたのか?」
「まあな」

 キメラアント討伐任務を終えてからというもの、ハンター協会におけるナックル=バインのビーストハンターとしての注目度はうなぎ上りだった。彼はたちまち忙しくなり、今では数々の重要な任務を任されるようになっている。

「チャルタ湖っつー湖に凶暴なナマズが居てよ、こいつが辺りの生態系を滅茶苦茶にしちまうからどうにかして欲しいって、とある環境保護団体から依頼が来てな」
「ああ」
「捕まえるとこまでは良かったんだが、その湖からそいつを移すのに丁度いい水域を探すのがとにかく大変だった。しかも起こった問題はそれだけじゃねぇ!」

 歴史上の英雄が己の冒険譚を幼い子どもに語り聞かせるかのように高揚しきった口調で、ナックルは遂行した任務について事細かに話し始めた。今に始まったことではないが、彼の語り口はいつでも、物事の説明としては幾らか個人的感情に拠りすぎており、大いに主観的要素が盛り込まれている。しかしその辺りは、密度はともかく、付き合いの長さこそが物を言う系統の話だ。シュートの方も、ある程度己の中で微調整をする術をいつのまにか身に着けていたため、特段の問題は発生しない。

 思い返してみれば、討伐任務以前の二人は、専門分野が大きく異なるという理由もあったとはいえ、互いの任務内容などまるきり興味の対象外であった。任務内容どころか、そもそも相手の存在そのものに関心がないと言った方が近い。
 以前はそれぐらい冷え切った間柄だった筈の彼らだったが、討伐任務が終わってからというもの、自分の任務について嬉々として話すナックルと、穏やかに耳を傾けるシュートという光景は既にそう珍しくないものになっていた。また、その変化を少なからず快く思っているのは二人とも同じだった。もっとも、今の二人は自分の気持ちの変化に着いていくことに精一杯で、まだとても、相手の心情の変化にまで気を回せる余裕はない。

 ここのところ入院生活を強いられているシュートにとっては、優秀な医療従事者たちを除けば、ナックルが訪ねてくる以外、滅多に人と顔を合わせる機会がない。そうなると彼にとっての新しい情報は、必然的にナックルの口から紡がれるものに限られる。そういった事情も相まって、シュートは今ではすっかりナックルの話を楽しみにしているのであった。しかし如何せん感情表現が苦手な性格が災いしてか、本人に面と向かってそういう態度を取るようなことは間違っても出来なかった。ちなみにそれは、実は一方のナックルにもそのまま当てはまることだった。

「成程。お前も、結構な手傷を負わされたのか」
「ああ、援軍が来るまで一人で持ち応えている間は、相当きつかった。特にハコワレの効果が切れちまったときなんか、マジでありえねーぐらい焦ったな!」
「それはまさに大ピンチだな……。その後、どうしたんだ?」

 シュートが尋ねると、ナックルは勢いよく鼻を鳴らした。どうやらナックルの話の核心は此処にあり、冒険譚はこれから最高の盛り上がりを見せるようだ。よくぞ訊いてくれたとばかりに、ナックルは鼻の下を指で擦りながら得意気に椅子に座りなおした。一連の動作を観察しながら、至って真面目な顔をしてシュートは言ってのける。

「そのガキ大将を思わせる仕草は、もうすっかり絶滅危惧種といったところだな」
「? 絶滅危惧種?」

 唐突に登場してきた、解りやすいような解りづらいような、何とも言えないシュートの独特の表現は、あいにくあまり伝わらなかったらしい。怪訝な顔をして鸚鵡返しをするナックルに対し、シュートはすぐにやるせない思いになりながらも、小さな声で手短に解説をした。

「鼻の下を指で擦る行為は、昔の漫画ではガキ大将はきまってやるありふれたものだったが、最近はあまり見かけなくなった……という意味だ」
「……おう、そうか」

 自分なりに機転を利かせたつもりだった表現を、より簡単なもので言い換える作業ほど羞恥心を掻き立てられるものはない。一応は腑に落ちたらしいナックルの曖昧な表情を見ながら、数秒前の己の謎の茶目っ気を恨むばかりだった。

「……なんつーかお前……」
「……何だよ」
「変なところでチャレンジ精神出すんだな」
「……っ、もういいだろう、その話は終わりにしてくれ」

 目線を真下に落とし、心の底から自己嫌悪に陥っているらしい様子のシュートを前に、一方のナックルはだんだん愉快になっていた。元々任務の話をして既に気分がノッていたところに、これまた面白いネタが舞い込んできたのだから仕方がない。悪趣味と言われては返す言葉もないが、落ち込むシュートをいびるのはなかなか楽しいものである。嫌がるシュートをよそに、真っ白な歯を覗かせながらナックルはわざとその話を続けた。

「“絶滅危惧種”なんて言い回し、一回も聞いたことねーよ。お前どこでそんなの憶えたんだ?」
「あのな……」

 懇願しているような、疲れ果てているような、なんとも情けない声が不健康そうな喉仏から発せられた。嫌々出発させられる巨大な船の鈍い汽笛のようなやるせなさを帯びている。

「今のオレの言葉に、誓って大した意味はない。……いいからもう忘れてくれ」
「忘れるったって、“絶滅危惧種”をか? あいにくだが、仕事柄オレはよく使う大事な言葉だからな。そう簡単に忘れる訳にはいかねーよ」

 ケラケラと笑いながらシュートをからかうナックルの楽しそうなことと言ったら、シュートがとうとう反論を諦める程であった。一気に疲労感が押し寄せ、がっくりと肩を落とす彼は、ふとそこで一つの可能性に気づく。
 今ナックルが何気なく指摘した、“絶滅危惧種”という言葉と、ビーストハンターを業とするナックルとの強い関連性。なんてことだ、あらぬ誤解を受けるより前に、この男に目ざとく突っ込まれるより前に、早く釘を打っておかなければ――咄嗟にシュートは伏せていた面を上げ、唐突に猛々しく宣言した。

「一つ言っておくが、断じて! ビーストハンターのお前と、絶滅危惧種とを、“掛けた”訳じゃないぞ!」

 自分にはそのようなつまらない謎掛けをする趣味などさらさらなく、そんな不名誉を負わされるのは絶対に御免被る、との凄んだ気迫を双眸に感じさせるシュート。
 何のことか解らずぽかんと口を開けているナックルは、暫しシュートと目線を合わせていたが、持ち前の素早い頭の回転でシュートの思考の流れを理解した。たちまち、あまりの馬鹿らしさに堪えきれないといった具合で、口角を吊り上げた。続いて、いかに自分が空回っていたか、ようやく気づいたシュートは、一度は羞恥のあまり唇を噛み締めて顔を思い切りしかめる。しかしナックルの自然な笑みにつられるようにして、次第に痩せた白い頬を緩めた。

「「……ぷっ……」」

 ここにきてようやく、初めて二人の笑い声が重なる。笑い声と呼ぶにはナックルのそれはあまりに短く、シュートのそれはあまりに控えめだ。実際に声が重なった時間だって、精々一秒にも満たないだろう。
 それでも、二人の間に些細なものであれ、感情の同調が生まれたことは確かであった。そのことは二人の気持ちを揺り動かし、彼らは何気なく目線を合わせ、どちらからともなく曖昧に口元を歪めて、思い思いの場所へと目を逸らす。その間、何の言葉もなく、平たく言ってしまえばそれは沈黙以外の何物でもなかった。しかし居心地は決して悪くなく、窓から零れている控えめな陽光も、二人を何となく照れさせるのに、一役買っていた。

「……なぁ、ナックル」

 流れる沈黙をゆっくりと押し開くように、ささやくような声音で、シュートはナックルの名を呼んだ。何気ない喜びを共感できたという事実が、弱気な彼の背をそっと後押ししたのだろうか。シュートは、普段より少しだけ素直になれた。少しだけ、強気になれた。ベッドの上から僅かに身を乗り出し、名を呼ばれて無垢に顔を上げているナックルの瞳を見つめる。

「随分と話題が逸れたが、その……続きを、聞かせてくれないか? お前の話を聞くのは、楽しいんだ」

 多少のぎこちなさは拭えずとも、シュートの口からおずおずと告げられたのは、紛れもない本心だった。
 忙しい身でありながら、何とか合間を縫って大量の食料を買い込み、大きな籠に入れて持ってきてくれるナックル。疲れているだろうに、病室から出られないシュートの為に沢山の土産話を聞かせてくれるナックル。本当はこれ以上ないぐらい、シュートにとって有難い存在だった。今日はどんな食べ物を持ってきてくれるのだろう、今日はどんな話を聞かせてくれるのだろう――シュートがいつも彼の来訪をどれだけ楽しみにしていることか、ナックルには知る由もないのだ。

 直接的な言葉にすることにどうにも慣れていないせいか、シュートはナックルに対する感情表現を、今までずっと曖昧にしてきた。自分の気持ちの変化を正直にナックルに打ち明けてしまえば、今新たに生まれ始めている関係がたちまち消えてしまうのではないかと、怖くて堪らなかった。
 けれど先程、ナックルは共に笑ってくれた。何ともくだらない内容であったが、言うなれば、自分の無茶苦茶な主張を、彼は拒むことなく笑って受け入れてくれたのだ。
 だから、今こそ、シュートは改めて本心を明かすことができた。自分の身勝手な望みを、拒絶されるのを恐れることなく、ナックルに伝えることができた。勇気を出して踏み込んだ、ささやかでも偉大な一歩。

「……っ……!」

 大きく両目を見開きながら、音を立てて息を呑み込むナックルの反応もまた、本物だった。信じられないといった表情で下を向き、僅かに肩を震わせている。シュートからしてみれば強者に見える彼だって、いつでも強気でいられる訳ではない。ナックルもまた、ほかでもない、シュートと同じ思いを抱えていたのだ。自分がシュートにしていることは、本当に彼にとってプラスに働いているのか、不安で仕方がなかった。シュートが自分の行為をどのように受け止めてくれているのか、シュートの立場になって威勢よく決断を下せるほど、ナックルはシュートのことを未だよく知らなかった。そのことが、ますます彼を悩ませていた。実際は只の独り善がりなのではないかと、疑わずにはいられなかった。しかし今、勇気を出したシュートの小さな一歩によって、その不安はみるみるうちに溶けてなくなっていく。そうして澄んだ温かい水に姿を変え、それは無機質な病室の床に滴り落ちていく。

「ナックル……?」
「……っ今の言葉、後悔すんなよ、コラ! 日が暮れるまで聞かせてやるから、覚悟しろ!!」

 ぐいっと袖で片目を擦り、ナックルは怒鳴るように語気を強めて言った。声がところどころ裏返っていたが、そんなことはお構いなしといった様子である。意味があるとは到底思えない場面でもむやみに強がりたがるナックルの姿は、かつてシュートには苦々しく見えてならなかったが、今では穏やかな気持ちで見つめることができるようになっていた。
 シュートの視線を受け、一瞬だけ下を向いてはにかんだナックルだったが、すぐに語り部としての勇ましい表情に切り替わる。床に落ちていった雫からスッと目線を上げ、シュートも負けじと強気な表情で頷いてみせた。




読んでくださってありがとうございました♪
初ナッシュSSです!!ハマったのは少なくとも3年前ぐらいだったはずなのに、どうしてこんなに遅くなってしまったのか。反省。
書きたいものをとにかく詰め込んだら、支離滅裂になりました。自覚はあるんです、はい…(笑)
でもこの主観と客観が無造作に混ざり合ってる感じも、初々しい二人の雰囲気には合ってるような気もしないでもない。
一回書いて感覚つかめたので、もっと色々書いてみたいです。ナッシュふえろー!!


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