霧の出る夜




 微かに霧が出ており、月も分厚い雲の後ろに隠れている暗い夜。
 ガロットは悪魔の姿で大きな翼をはためかせ、とある貴族の敷地内に向かっていた。といっても貴族に用事がある訳ではない。
 冷たい空気に目を細めながら飛び続けていると、暫くして目的地に到着した。ぼんやりと明かりが灯っている。
 そこはガロットがもう十年以上も世話になっている、小さな古びた診療所だ。
 古い扉を軽く数度ノックしてみたが、中から反応は返ってこない。ガロットは首を傾げながらドアノブを掴みそのまま押しやると、診察室の更に奥。自室であろう部屋で、大きな肖像画の縁を飾る額縁をそっと撫でている主治医の姿が見えた。ガロットからしてみると、もう見慣れた光景である。
 微かに聞こえる歌声に暫く耳を傾けた後、開けたドアに寄り掛かりながら次は強めにノックをした。

「今晩は、お邪魔しますよ」
「……フフッ、予定の時刻より随分と早くに来たものだね。ガロットの坊や」

 ふわりと、髪を空気に遊ばせるようにニコラスが振り向く。
 まるで気が付いていたと言わんばかりのその物言いに、「相変わらずな人だ」と溜息をつきながらガロットは扉を閉め診察室へ歩を進めた。それと同じようにニコラスもカルテを片手にこちらの方へと向かってくる。そして慣れた動作で、互いに向き合うように椅子に腰を下ろした。

「坊や、あれから変わりはないかい?」
「ええ、痛みもありませんし頭痛や吐き気なども特には」
「成る程。確かに角ももう魔力のお蔭でほぼ元の大きさに戻っているねぇ」

 手元のカルテとガロットの額に生える紅い角を交互に眺めながら、ニコラスがクスリと小さく笑った。その目元は涼やかで、しかし悪戯に弧を描いている。

「僕に角を削ってくれと言ってきた時は、てっきり安楽死でもしたいのかと思っていたのだけれど」
「違います」
「フフッ。けれどアレは坊やの強い魔力の塊のようなものだ。あの欠片を一体何に使ったのかい?」
「それは――……」

 過るのは主であり恋人であるベルホルトの顔。きっと自分の紅い魔の欠片は現在あの人の指に、指環として身に着いている事だろう。
 そう、クリスマスの時にペアリングとしてプレゼントしたものだ。
 ガロットの手袋の下に隠れている片割れの指環は台座こそ同じ形に作られているが、付いている石は魔力も何もない普通のアメジストである。
 以前誕生日の時に渡した物は己から遠ざける為の物であったが、今回は違う。ガロットの強い魔の力の欠片を、聖性のあるベルホルトの身に着けさせる。そうすることで魔力を感じられる者にはベルホルトを『魔を従わせている聖性をもつ者』と認識させ、弱い下級の魔物などを近寄らせないようにする為だ。平和な国とはいえ用心するに越したことはない。
 そのような小細工が効かない強者がもしもベルホルトの前に現れたその時は、ガロット自身がなんとしてでも守ると心に決めて。
 それとはまた別に、悪い虫を近寄らせないようにするためでもあり、ベルホルトが以前「指環が欲しい」と言っていたからでもある。

 そういえば、まだベルホルトにこの話をしていなかったような。今度はきちんと説明もしておかねば。そんな事をぽやりと考えていたガロットの顔を見て、ニコラスが呆れたように、揶揄うように。そして興味が無さそうに笑った。

「まぁ君の考えそうな事は何となく分かるさ、言わなくて構わない。それよりもその尾はどうしたんだい?この前来た時は見せなかったけれども、少しばかり歪んでいる気がするね」
「こ……これは、大丈夫です」

 つい、とニコラスの細く白い指が伸ばされ、いつの間にか飛び出ていた尾先に触れそうになるのをそれとなく動かして避けた。ここを誰かに触れられるのは苦手である。
 少々歪んだそれは今では少しも痛くないし、記憶はないが自分が暴走した時に主が止めた痕らしいので戒めも含めそのままにしている。
 玩具を見つけたような目で未だに尾を見詰めるニコラスから逃れるように、ガロットは窓に目を向けながら問い掛けた。外に見えるのは真っ暗な空である。

「……それよりも血の方は宜しいので?もうそろそろお時間でしょう」
「おや、だから今日は早くきたのかい?フフッそうだね……」

 じゃあ、と言いかけた所でポツリ、ポツリと雨音が聞こえ出した。その内に段々と音は強くなり本降りとなる。ニコラスは外に目を向けたまま、恐ろしいまでに美しく、どこかひやりとしたものを感じるような笑みを浮かべた。

「雨だね。今日はもうお帰り、店じまいだ。代金の血は次来た時に纏めて貰うとするよ坊や」
「……ええ」

 さて、この大雨の中を帰って風邪を引かなければ良いのだが。
 ニコラスと同じように空を見上げながら、ガロットは溜息をついた。




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ツミキさん宅(@tumiki_kikaku)ニコラスさん

お名前のみ
るるさん宅(@lelexmif)ベルホルトさん

お借りしました!

2016/2/2


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