「満は私のことが好きだったもんね」
 
「うん」
 
 横に並び立つ夏油がなんの前触れもなく言った。五条が戯れで口にしたことを覚えていたらしい。
 
「現在進行形で好きですが」
 
「理解に苦しむよ」
 
 夏油はうんざした様子を隠すこともせず、苛立ちさえ見せ始めた。
 
「理屈じゃないんだよなぁ」
 
 好きなことを、好きな人を好きというのに理由がいるだろうか。そんなに難しいことだろうか。
 私は倫理観が欠如してしまっているのか、夏油が私の目の前で殺人を犯したのにも関わらず、まだ夏油のことが好きなのだ。そばにいたいと願っている。
 目の前で私にとって耐えがたい現実を突きつけた呪詛師である夏油と、誰も信用できなかった心を救ってくれた優しい夏油は同一人物で、前者は私が嫌悪し受け入れがたい存在であり後者は私の根幹を優しく包んでくれ、肯定してくれた存在だ。そのひどい矛盾は私の中に収まるのだ。
 夏油は私の呟きを拾っただろうが、それには返事をせずに前方に見えた美々子ちゃんと菜々子ちゃんの元に歩いて行った。
 二人は私たちにやりとりを目を丸々として見ていた。そうだね。私は夏油のこと好きだと言ったのに、夏油はそんな気さらさらないどころか、私を嫌っている様子だ。二人が驚くのも無理はない。
 しかし、彼女たちが私に対して疑問を浮かべたのは一瞬で、瞬きすれば近づいてくる大好きな夏油に満面の笑みを浮かべ、彼を出迎えた。
 
 双子と手を繋ぎ私からどんどん離れて行く夏油の背中を眺める。
 
 :
 
「学校に行きたくないの」
 
「猿が通うところなんて耐えられない」
 
 そう教えてくれたのは数日前の双子だった。
 彼女たちは夏油と歳が同じで、自分たちとも一番歳が近い私のことを慕ってくれるようになった。
 私たちが仲良くなれたきっかけは、夏油に救われたことがあるという点だ。
 
 でもまだ義務教育でしょ、と返事するのは私の中ではピンと来なかった。だって、私がそうだったように、非呪術師の中に一人紛れて生活するのはとても肩身が窮屈だから。二人は双子だからお互いを支え合い励まし合って、私が送っていたような孤独な学生生活は送らないだろうけれど、それでも、理解できる人がいない環境というのは、堪える。
 うんうんと少しだけ考えてみて、及第点をやれる回答を探し出す。
 
「学校には行った方がいい」
 
 二人は私の言葉に対して口をへの字に曲げた。
 
「なぜなら、猿の社会を知っている方がいいから。私たちが生きている社会は非呪術師たちによって構成されていて、呪術師は圧倒的にマイノリティで、私たちだけで生きて行くのは難しい。それに、敵をよく知ることは大切だと思わない? 敵の実力や思考回路がわかれば、物事を私たちの有利な方に持っていけることもあるし」
 
 二人はポカンと私を見上げていた。あっ、言葉のチョイスが上手くなかったかも、と思って二人にわかりやすいように噛み砕いて説明し直すと今度は神妙な顔つきになって、私たちが猿と関わることで、猿の社会を知ることで夏油様のためになるなら、となんとか、義務教育を辞退しようとする二人には考え直してもらうことができた。
 
 それを二人から聞いたであろう夏油からは「啓蒙的だね」と鼻で笑われた。
 それに対して「彼女たちは知見を深め自分の人生の選択肢を広げる権利があるから」と真面目ぶってみたら「君がいうと説得力がある」とやたら”君“という私個人を指す言葉を強く発言されたので「嫌味?」と返してしまった。
 そうだ。私は考える自由と選択できる権利を持っていたから、夏油のもとに転がり込んだ。
 高専所属の呪術師という肩書きを捨てたこと、七海に誘われたのに大学入学を断ったこと。これは私が選んだ選択だ。呪詛師になった夏油について行くということは。
 
 そしたら夏油は目を丸々とさせて、フフっと拳を口元に当てて笑いを堪えていた。
 その仕草が、笑い声が懐かしくて私はついつい頬が緩んでしまった。
 けれど次の瞬間、深く息を吐いた夏油の表情はまるで先ほど笑っていた人とは別人のように冷たくて、私の顔を一瞥もせずに去っていった。せっかく垣間見えた夏油の素があっというまにとりつくろわれて、私もため息をこぼした。
 
 :
 
 施設が変わればそこに通っている信者の性質も違う。
 私が初めて潜り込んだところは、自分自身こそが夏油に選ばれたものだと信じてやまなくて、夏油に出会ったのも必然であると疑わなかった。
 彼らの特別はもちろん夏油で、夏油の特別も我々だと思うようなちょっぴり自意識が過剰な人たちが集まっていた。
 今日夏油にひっついて訪れた施設は夏油にであったのは何かの縁ではあろうけれど、実際にはあらかじめ決められていた必然的出会いだという点に関しては変わらなかった。でもまあ、必要以上に夏油に傾倒している信者が集まっている点では少し異なる。
 わかりやすく例えると、夏油が黒も白になるし、白も黒になると言えばなんの疑いも持たずに黒を白と言い張り、白を黒と断言する人々だ。
 
「私、感じるんです。そういう、なんていうんですか。人の目には見えないものが。精神疾患を疑われて幾度となく病院にかかりましたけど、そういうんじゃないんです。断じて。だってこれは私の脳内で作り出しているものじゃないんですから。性格から起因するものでもありません。本当に存在するんです。姿は見えないことが多いですが蠢く気配はいつもそばにあります」
 
 彼女は硬く小さな声音で教祖夏油に向かって言葉をこぼす。
 私は彼女の肩にへばりつく呪霊を見つめる。彼女は自分の肩にくっついている呪霊を目視した時どんな反応をするだろう。醜く薄汚く蠅頭にも満たないような呪霊。見えなくてよかったと悲しむだろうか。それとも自身の異常性は病気からくるものではないという証拠ができて喜ぶだろうか。
 
「両親に言っても理解してくれなくて。何度も何度も訴えましたが、その度に大きな病院に連れて行かれるだけで。入院を強制させるだけでした。だから、黙って。何でもないようなふりをしていました。でももう限界です。だって感じるんです。そこにいるんです。目に見えない、説明のしようがない何かが。本当なんです」
 
 夏油は真面目腐った面持ちで彼女の話を聞いた。聞いていたように私からは見えた。
 
「つまり、両親含め周りの人には感じられない何かがいつも自分のそばにまとわりついているというわけですね」
 
「はい」
 
「確かにあなたのいっていることは嘘じゃない。あなたは異常なんかじゃありません」
 
 怯えを滲ませた視線が僅かに揺らぐ。
 
「動かないで」
 
 夏油は右手をかざした。
 相手の呪霊を取り込むためだ。弱く蠅頭にも満たないような小さな呪霊が最も簡単に夏油の手のひらに吸い寄せられる。
 
「これであなたを脅かすものは取り除かれました」
 
 にこり、と胡散臭い笑顔を貼りつけて夏油は退室を促した。
 
「すごい……! 何だか視界が明るくなりました。今まで聞こえていた不気味な音も聞こえません! それに何だか心なしか体も軽く! ありがとうございます」
 
「いえ、困った時はお互い様です。またいつでも頼ってください」
 
 彼女は何度も何度も夏油にお礼を言って頭を下げて施設を後にした。
 夏油は彼女から作り出した呪霊玉をいつまで経っても飲み込まないので、横からそれを奪って自身の呪力で祓った。
 
「手癖が悪いね」
 
 言葉の割に夏油は大した戦力にもならない呪霊が手元からなくなったことに対してはどうでもいいらしかった。
 
「あの人またくるよ」
 
「また来たいのさ。自分の不幸を自慢しにね。次回からは対価を貰おうかな。いくらがいいと思う?」
 
「そんなにお金を持っているふうには見えなかったけど」
 
「金を持っていようがいなかろうが持って来させるんだよ。塵も積もれば山となると言うだろう」
 
「搾り取る気なの?」
 
「人聞きの悪い。お布施さ。心ばかりのね。それに、飼い慣らせば四級以上の強い呪霊を運んできてくれるかな。いや、でもあの器じゃ無理か」
 
 彼女は非呪術師だ。悲しいことに。何があっても。
 感じる、見える時もあると言ってはいたがそれは彼女にくっついた呪霊が面白半分でそうさせているだけだ。呪霊が憑いていなければ彼女はなにもできない。夏油の言葉をかりるなら、ただの猿だ。有害でしかなく、人にもなれない猿。
 彼女は今の自分を何とかしたいという建前で話していたものの、彼女の肩にくっついていた呪霊からは、彼女の意志で呪霊を呼び寄せていることがわかった。
 人とは違う特別な自分、というものに心底酔いしれていた。誰からも理解されないが、それがむしろ彼女が欲している特別感を与えていた。可哀想な自分に酔いしれているところさえある。
 最も簡単に夏油がそれを祓ってしまって戸惑ったかもしれない。でも彼女は周りから不幸に見られる特別な能力がある自分が大好きだ。確実に彼女は自分の不幸を再度嘆きにやってくる。
 
「極悪人だ」
 
「いいや。相手は猿だから私は極悪人にはならないよ。人じゃないからね」
 
「そっかぁ」
 
 彼女が本当に呪術師であったらな、その資質がカケラでもあったのならば、彼女が持つ肥大化した自尊心というものは慰められただろう。
 夏油は、夏油は私が嫌いな呪詛師のど真ん中にいた。心の弱い人たちを騙して自由を奪い、お金をせしめる。そんなひどい呪詛師に。
 でも、それでもあの頃私を救ってくれた夏油のことが忘れられないのだ。
 それに、夏油は結構おしゃべりで、最近はよく話をしてくれるようになった。でも、高専の時の話は一切しない。するのは目の前にいる猿が醜悪だというものだけ。私はその話が降られるたびに軽いキャッチボールをするように心がけた。今の夏油のことを知らなければならないから。どれだけ耐えがたい現実が転がされようとも、見たくもない醜態が展開されようとも、夏油と同じものを見て、感じたいと思っているから。そう決めたから。



 
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