夏油は私のことを大切だと言ってくれた。
もうそれだけで十分かもしれない。いや、十分だ。
今ここが、この時が潮時かもしれない。
ベストな引き際かもしれない。

むちゃくちゃな主張を繰り返し、発狂している呪詛師は、私と相性が悪い。

きっと私だけと相性が悪い。

やつの思い込みの強さが、私の術式を受け入れない。
やつは、私が夏油に騙されている。自分が救わなきゃという大義名分を掲げて私を救済するとほざいている。
だから私が自分に抵抗するのは、悪い男に惑わされて適切な判断ができないからと思い込んでいて、自分の感情を一方的に押し付けている。
気持ちが悪い。
興味のない人間から向けられる好意の不快感。
私の気持ちが、感情が、行為がまるまる否定される。
別に私を否定しようがしまいがどうでもいいが、今回ばかりはそうは行かない。
目の前の相手を殺さなくてはいけないのにそれができないから。

夏油を悪くいう、その腐った思想を排除しなくてはいけないのに。

「伊吹さんを傷つけたいわけじゃないんだ。ただ目を覚まして欲しいだけで」

そうやって眉を下げていかにも悲壮感を漂わせる男の口を今すぐに閉じさせたい。が、今の私にはそうする術がない。

目立った外傷はないが、肢体が自由に動かせない。腱が切れてしまっているかも。反対側の手で支えながら動かせはするが、支えなければ動かせない。

オーバーユースか。こんなところで。こんなタイミングで。
仕方がないから呪力を練って術式で何とかしなくちゃいけない。

ああ、祓っても祓っても、祓えない。
先日受けた右目の奥がジクジクと痛む。

やつの隙をつけないかと使い続けた術式のおかげで呪力はもうほぼ底を尽きている。
そもそも私に呪術師としてのセンスはない。術式を最大限生かせるような柔軟な思考回路も乏しい。

ひょっとして死ぬのだろうか。
いやいや、夏油の平和な世界を守るため、大切な仲間を守るために死なないと決めた。
きめたけど。

夏油がその大切な仲間に私を入れようとしてくれている。それはおかしい。
私はただの同級生で。私のエゴで夏油が呪詛師になるきっかけを消して。灰原を何とか助けて。
全て私のためにしたことをこれ以上肯定して受け入れられるのは耐えられない。
夏油が本来生きるはずだった未来を壊してしまったのは私。可能性を狭めたのも私。
覚悟はしていた。エゴを押し通す限り、受け入れないといけない事実だということを。夏油の人生を無理やり変えてしまったという真実を。

私は自分勝手をするなと夏油に怒られたかったのかな。
私自身の人生を無茶苦茶にするなと。

でも、夏油は優しいからまるっと私の存在を受け入れようとしてくれている。きっと私が内にため込んでいる気持ちを吐き出してしまっても受け入れてくれるだろうし、許してくれるだろう。だって彼は優しいから。
それが怖い。

私の一方的な行いでさえ受け入れようとしてくれている。それはおかしい。だって私のしたことは相手のことをまるっきり無視した非難されるべき卑劣な行為だと思うから。

だって、私がやっていることは目の前のクソ野郎となんら変わりない。
自分の主義主張を相手に押し付ける。何がなんでも自分のわがままなエゴを通そうと頑張っている。

私は今まで夏油が生きて欲しいということばかりを考えて、環境を整えようとしてきたけど、それは果たしてよかったのかな。
私からすれば大成功だけど、その過程で夏油の気持ちを蔑ろにしていたんじゃないかな。
夏油の優しさに甘えて、夏油のことを全く考えれてなかったんじゃないかな。

そのことにはっきりと気付いてしまった。
薄々気付いてはいたけど、見ないフリが概ねできていた。
これ以上夏油が私を仲間だと深く思う前に、消えた方がいいかも。かもじゃなくて、消えたほうがいいんだろうな。
仲間は誰1人欠けてない。数が多くて大変だった任務もわりとこなしてきた。しばらくは階級不相応な任務が後輩や夏油に割り振られることはないだろう。次に呪術師の人数不足が嫌になるほど任務が増えてくるころには、きっと彼らは立派に成長しているだろう。

自ら呪術師になった、多分酔狂の分類に称されるだろう私だ。優しい夏油ぐらいはちょっぴり心を痛めてくれるかもしれないが、他のみんなは、呪術師がまた1人死んだ。その認識で終わるはず。

呪術師なんて呪われた仕事、死ぬときは1人なんだから、死に際ぐらい自分で選ばせて欲しい。
せめて、死体は残らないように。
中途半端に残ってしまったら後処理が大変だ。

目の前の相手は心底ムカつくから道連れにしてから、私もこの世界にさよならをしようかな。胸糞が悪いけど。

私は、もう夏油から十分優しさを分けてもらった。
あとは本来なら存在しなかった邪魔者である私がいなくなれば全て解決する。
そう思う。

携帯が震えている。左手で右手を支えて、右のポケットから取り出すと、聞き慣れた着信音なことに気づいた。
夏油からの着信だ。
夏油がわざわざ自分専用の着信音を設定して、このメロディが聞こえたら必ず受けるように、と散々言われた。
夏油の言うことだからと、わかったと素直にうなずいて、律儀に電話に出ていた。
夏油が任務で忙しいだろうときも、疲れているだろうときも、暇を見つけてはかけてきてくれて、嬉しかった。
夏油が優しいなぁってしみじみ思って、毎回ルンルンで受けていたのに、もうそれをすることが、不相応なことだと理解した。

いつもそうだ。
こうやって心残りを作らせようとするかのようなタイミングでに、かかってくる。確信犯かも、なんて、ちょっぴり嬉しくなってしまったけど、もうその感情も要らない。捨てるべきだ。私の意志薄弱っぷりに反吐が出る。何度決意を固めてようとして、揺らいでいるんだ。

「一方的な好意ほど気持ち悪いものはない」

私はこの任務で学んだ。

「お前は私だったのか、」

私のことを視野に入れてるくせに何も私のことをわかっていないやつは、半狂乱で攻撃を続ける。
お前の攻撃は私によく効いた。肉体ではなく心に。
そして、確かに、私を目覚めさせてくれたよ。

私が夏油の隣で肩を並べて歩けるような人間ではないと。
私は本来ならばいるはずのない存在するはずのないバグなんだということを。

感謝はするがお礼は言わない。
一生気づかなければ、馬鹿みたいに能天気な顔をしてしれっとそばにいられたのに。
ああ、この未練でさえも烏滸がましい。

ごめんね夏油。今まで図々しくそばにいようとして。でも本当に幸せだったよ。
大好きだったし、生きていてくれて嬉しいよ。
ただ私が、本来いるべきでないポジションにぬくぬくと居座って分不相応な願いを抱いてしまってごめんね。


:


目を覚ますと暗闇だった。
死にぞこなった。
やっぱり私はびびりだ。死ぬこともまだ怖がってるなんて。
死なんて意識の消失でしかないのに。痛みには慣れてるのに、何が一体そんな怖いんだ。怖いものなんかもうないだろうに。

死ねないのなら高専から出よう。
まだ戦えるからフリーの呪術師にでもなろう。
そうやって影からみんなを支えよう。
そうするのが今の私にできる最善策。そうでしょ。

暗闇を見つめてぼんやり。
静かなところは思考がまとまる。
まとまらせる思考なんかないけど。
思考するよりいますぐ行動を起こさなくちゃいけない。高専を出る手続きを。

「先生! 藤原さんの意識が戻りました!」

名前を呼ばれたと思ったらバタバタと部屋の中に看護師さんが入ってきて、私の意識レベルの状態を確認する。

「自分の名前わかります?」

「藤原伊吹です」

「よかった!」

真夜中だったということもあって、看護師さんたちは必要最低限をこなすと、私の体を労って病室を出て行った。
ここはどうやら私が任務でクソ野郎と対峙した大学病院で、私はなんと1週間も意識がなかったらしい。そのまま意識が戻らなければよかったのになどとは看護師さんの安堵した顔を見てしまったので、口が裂けても言えなかった。

翌日、院内を普通に歩く私を見て看護師さんがギョッとしていた。普通ならそんなにすぐには動けないんだけど、ともごもごしていた。
大けがの翌日にはもう任務に行くなんてことが普通だった私は、この程度のことは慣れてるから、そうですか、と相槌を打ってコンビニで充電器を買って電話をしてもいいブースで充電しながら携帯の電源をつける。
でも携帯は電源がつくものの、うんともすんとも動かなくて、着信とメールが死ぬほど入っていたけどのがわかっただけだった。力一杯操作すると、タイムラグはあれどなんとか動き始めたので、通知の全て無視をした。
伝えたいことがあったけど、それを誰に伝えたらいいのかわからない。
誰にかけていいのかわからなかったから、とりあえず夜蛾先生に電話した。

携帯を耳に当てて呼び出し音を聞いていたら、補助監督生が泣きそうな顔でおそらく私の名前を叫びながら院内を走っている様子が見えた。ギョッっとした看護師さんたちに取り押さえられていた。
そそっかしい補助監督生だな。
院内では走ってはいけないのを知らないのだろうか。

「私、高専を辞めてフリーになりたいんですが」

すぐに繋がった電話は、私が未成年だからそれは認められないとキッパリと断られてしまった。
電話口の向こうはなんだか騒がしくて、また五条が駄々をこねていたんだろうか。
電話を切る頃には補助監督生が涙を流しながら私にしがみついて、看護師さんが怪我に触るからと補助監督生を窘めて、私は心配する補助監督生の圧によって病室に連れ戻された。


:


必要最低限の治療が終わって、これ以上の治療は家入の管轄だということで、高専に運ばれた私は、家入が煙草をふかしながら、暫くは補助監督生の仕事ぐらいじゃないとできないな、という言葉を黙って聞いていた。
幸いなことに、大けがを負ってしまったことに対してのお咎めはなかった。誓約書まで書いて、ボイスメッセージも取らされていたので、覚悟していたのに、その覚悟はいらなかったみたいだ。ほっと一息ついてしまった。

今回腱が切れてしまったのはオーバーユースが問題だ。
今後の業務の制限に関してわかったと言ってはおいたが、果たして私に事務作業はできるのだろうか。

「伊吹! 無事でよかった!」

夏油が医務室の扉を壊さんばかりに強い力で開けたのか、ひどい音がして扉が開いた。

「よかった、本当によかった…」

私の顔をペタペタと触って、夏油はハグをしてくれた。
いつもなら天にも登る気持ちで嬉しかったのに、素直に喜べない。
私は夏油の優しさに漬け込んでここまでのうのうと生きてしまった。
そして未だに夏油の優しさを分けてもらえる立場に甘んじているクソ野郎なんだ。
だから、もうやめて。もうそんなに心配しないで。安心した顔をしないで。もう優しくしないで。その優しさは私ではない誰かに向けてあげて欲しい。お願い。

「やめて」

夏油に初めて、否定的な言葉を言ってしまった。
夏油は目を丸々として、私に謝ってから、病み上がりなのに悪かったとまた謝って、出て行った。
違う違う。謝らなければいけないのは私の方だ。私が悪いんだ。
心が張り裂けそうに痛い。夏油は何も悪くない。私だ。これも私のわがままなんだ。私がすべて悪いのに。夏油にそんな顔をさせたいわけじゃないのに。
でも、お願いだから、ひどい仕打ちをするこんな私を許さないで。


:


怪我をしてから家入の治療を受けるまでに間が空いてしまったからか、それとも私がオーバーワークを続けていた結果なのかわからないが、リハビリというものをすることになった。それはいい。それはわかるのだが、夏油が私のリハビリ補助としていつもそばにいるようになった。
本当に意味がわからない。

「夏油、本当にやめて欲しい。心の底から。お願い」

「そのお願いは聞けない」

私は体が満足に動かないから、夏油から逃げ出すことができない。
だから夏油から施される優しさを享受するしかなくて、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれる夏油のされるがままになっている。
嬉しいけど嬉しくない。この感情は殺さないといけない。もういくつこの感情を殺しただろう。殺しても殺してもどこからか湧き上がってくる。それほどに夏油が素敵だと実感してしまって、参る。

ちょっと体の融通が効くようになってきた頃には夏油は私でもできる補助監督生の仕事を持ってきてくれて一緒にしてくれる。
自分一人でできるからと言っても、うんともすんとも引いてくれない。
私は夏油から逃げ出すほどの体力も筋力もやっぱりまだ戻ってないので、やっぱり夏油のしたいがままに従うしかない。
ちょっとでも一人で何かしようとすれば、どこからか夏油が駆けつけてくる。いったいどうしたものか。

もうしばらく経って、体が回復したのにも関わらず、夏油は一人で何かすることを許してくれない。
補助監督生がする仕事のうち、高専内で出来ることのみしかさせてくれなかった。
もうこの頃になると、しょうもない任務に行って低級呪霊は余裕で払えるぐらいにはなっていたけど、それでやっぱり夏油はいいとは言わなかった。

そもそも、私の意思が反映されず、全て夏油を通して私に任務や雑務が与えられる。
おかしいと家入や五条、夜蛾先生に言ってみたが、夏油と相談してくれ、の一点張りだ。

「伊吹、次の休みとしまえんにでも行こうか」

夏油の誘いは今までは全てイエスもしくは、はいで答えていたが、それをしてはいけない。
すぐさま、行かない、行きたくない、と伝えて逃げるように自分の部屋に引っ込んだ。

夏油のことは相変わらず大好きだ。
かっこいいい素敵だし、優しい。でもそれを受け取る対象が私なのは大嫌いだ。解釈違いだ。許せない。
夏油は自分のために時間を使うべきだし、私は私のエゴで手に入れた夏油の仲間という偽りを正さなくてはいけない。


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