「藤原さん、灰原ですけど、ちょっといいですか」

部屋の扉を控えめにノックされて目が覚めた。
夏油の前から走り去ったあと、そのままベッドで寝てしまったみたいだった。

「どうぞ」

「失礼します」

そういえば、夏油が私の介護をするようになって灰原と話す機会が全然なくなってしまったので顔を合わせるのも久しぶりだった。

「夏油さんと何かあったんですか?」

べつに、なにも。何もなかったよ。
ただ私が自覚しただけ。夏油のそばにいつまでも図々しくいるのが烏滸がましいと言うことに。

「別に何もなかったよ」

「本当ですか? もしかして夏油さんのことをきら…」

「それはない! 夏油のことは変わらず大好き。その気持ちに嘘偽りなはい」

「最近の様子を見る限りそんなふうには、とてもじゃないですけど、」

「夏油のことが好きで堪らない。それは本当。でも、夏油の優しさをに甘えて側にいようとする私が嫌い」

大っ嫌い。大っ嫌いだ。こんな私。
夏油のそばにふさわしくないのだ。
夏油の優しさにつけこんで自分のことばかり考えるエゴイストの私なんて本当に夏油と並び立っていれるようなそんな人間じゃない。
五条のように夏油と並び立てるほど強くないし、家入のように夏油と並び立てるほど貴重な能力を持っているわけでもない。
それでも夏油は優しいから、同じ仲間として見てくれるだろうけど、私はそこまで価値のある人間ではない。
誰かの優しさや強さに縋って生きるしかない寄生虫のような醜さしかもちあわせていないのだ。

「藤原さんは一度夏油さんと腹を割って話す必要があると僕は思いますね!」

それじゃあ任務があるので失礼しました! と元気に挨拶して灰原は出て行った。

忙しい合間に顔を出すだなんてよくできた後輩だ。
でも、夏油と話なんか、することない。
まず一体何を話すというんだ。
夏油は優しいからきっと私が夏油にそばにいることが相応しくないだなんて思ってると吐露しても、受け入れてくれるし、そんなことないと否定してくれる。
わかりきっている。夏油はそう言う人だ。
優しい。優しすぎる人だから。

誰の目から見ても古いアパートに住んでいた同級生の心配をナチュラルにできるし、怪我をしたら真っ先に駆けつけてくれる。
心配だからと言って電話もしてきてくれるし、やっぱり夏油は出来過ぎだ。
もっと五条と家入と仲を深めて、後輩2人のいい手本でより下の後輩にもいい影響を与えられる素敵な人なのに、こんな紛い物である私も気にかけてくれる素晴らしい人だ。

はあ、そう考えるとますます私がここ、つまり高専にいるのがおかしいとさえ思えてくる。
そもそも本当におかしいことなんだけど。

高専を、何も言わず出て行ってしまおう。
私は非呪術師を殺したわけでもなんでもないから、高専から指名手配なんてことは起こらないとは思う。ただ、要注意人物として見られる可能性はあるかもしれないけど。きちんとした手続きを踏めない些細な問題児として。
私はこのままじゃ、夏油の優しさに包まれたまま高専生活を過ごすことになってしまう。
確かに夏油と一緒に卒業はしたかったが、夏油のお荷物になる気は全くない。
いつまでも甘えていられない。

:

思い立ったが吉日。
灰原が部屋を出ていってそう時間が経ってない今、私は通帳と印鑑だけ持って高専の門を出た。
途中で高専の馬鹿みたいに長い階段を登る七海にあって、ヒヤリとしたけど、夏油さんと一緒じゃないなんて珍しいですね、一人で買い物ですか? なんて都合のいいふうに言ってくれたので、頷いておいた。
とりあえず渋谷のネカフェを今日の宿として、近くにいる雑魚な呪霊を祓いつつ、フリーでやっていけるように計画を立てよう。

電車に揺られて渋谷に出た。
そしたらそこには夏油がいた。

夏油はにっこり笑って、私の手を掴むとJRにのって池袋に行って、西武池袋線に乗り換えてとしまえんへ私を連れて行った。

:

なんだかそのまま流れに従って、カルーセルエルドラドに夏油と膝を合わせて乗ることになった。

「どうして渋谷に?」

「どうしてだと思う?」

夏油はまっすぐこちらを見ていった。
たまたま任務帰りだったんだろうか。いや、そうじゃないと思う。

「もしかして、灰原か七海?」

夏油はにこりとしている。肯定なのか否定なのか教えてくれる気はないようだ。

「私はね、今度こそ伊吹が目の前から居なくなってしまったらどうなってしまうかわからない」

「うん?」

どうして? 私なんかが居なくなったところで夏油になんの影響があるんだろう。
高専から離れて夏油のそばを離れても相変わらず私は夏油の守りたい人たち、大切な仲間たちのために、夏油の幸せのために、心の健やかさのために、呪霊を祓っていくつもりでいるから、そこは安心して欲しい。

「わからないって顔をしてるね」

夏油は肩をすくめる。

「伊吹には申し訳ないけど、高専に伊吹を連れ戻すのを決めたのは私なんだ。土地神の呪いがかかったままでも、呪霊が見えなくなる以外なんの被害もなかっただろう? むしろそっちの方が幸せでいられたかも…」

そんなことないと言い切ろうとして、口を開くのをやめた。
それを口にだして言ってしまったら、声に出してしまったら、高専を黙って出てきた意味がわからなくなる。未練がたらたらだ。浅ましい。
私は、夏油の元に戻ってこれたのは嬉しかった。舞い上がるほど。
それを夏油本人の考えだからと言われてさらに昇天しそうに今なった。
でも、ただ夏油の元にいる私の存在が許せないだけで、夏油の健やかな顔がみれるのは本当に幸せだった。誰がなんと言おうと。

「伊吹の意思関係なしに高専に連れ戻したのは私のエゴなんだ」

エゴという言葉を聞いて思わず夏油の顔を見つめる。
今エゴといったか? 夏油が? なぜ?

「私のそばにいて欲しかった。一緒に生きて欲しかった」

夏油は、眉をハの字に曲げていた。
ちらりと私の目をみて、自身の膝の前で緩く組まれた手に視線を落とした。

これは夢か。
私は私にとって都合のいい夢ばかり見すぎてはいやしないか。
優しくてかっこよくて、強くて全人類が見習うべき素敵な人間の代表である夏油が、私と一緒に人生を歩みたいだなんて、そんな。

知らないうちに気づかないうちに、何かの術にかかっているんじゃないだろうか、見知らぬ残穢がないか、見知らぬ呪力がないか、集中して探してみる。
いつまでも止まらないメリーゴーランドのせいでうまく集中できないから、飛び出そうとして、夏油に引き留められる。

夏油が心底びっくりしている表情をしていた。
表情の作り方、力の入れ方、大きくて温かい手は紛れもない。
これは十中八九、まぎれもない本物の夏油。
それに私が夏油を見間違えるはずないのだけど、こんなに私にとって耳障りのいい言葉だけを言ってくれるなんておかしい。だって私は私のエゴばかりを押し通すことばかりを考えて生きてきたのに、それが報われるだなんてあるのか。
そんな奇跡みたいなこと。

今すぐ夏油の手を振り払って元凶を見つけなくては、私をこれ以上惑わすなと。
でも、強くはないが確実に振り解けない塩梅の力で掴まれた腕を無理やり振り解くことなんかできない。
だって、私は夏油が大好きだ。大好きだから、彼を否定するような言動なんか取りたくない。でも、取らなくちゃいけない。
意を決して、震える片手で夏油の手を掴む。

わかっている。これは私が術式にかかっているんじゃなくて、本物の夏油で、現実で起こっていることなのは。
でも、それを受け入れることができるほど私は覚悟ができてない。
なんの、と言われれば口籠ってしまう。

「危ないのでお座りください」

スタッフの人に注意を受けた。
私の代わりに夏油が返事をして、夏油は私の肩を持つと、そのまま座るように促し、私はストンと腰を落とした。その隣に夏油が腰掛ける。
私の右手は夏油に拘束されたままだ。
ピッタリといつの日かの任務帰りみたいにくっついて座っている。
私は視線を夏油がさっきまで座っていた座席に固定した。夏油の顔は見れない。

「もし、あのまま、非呪術師のままでいれば、今も五体満足で、怪我の後遺症なく、私のような粘着質な男に一生関わることはなかったかもしれない」

夏油と繋がった右手には熱を感じる。私の体温が上がっているのか、それとも夏油が緊張しているのか。

…夏油はやっぱり気付いていたのか。私が以前と全く同じように体が動かせなくなっているということを。私が自分のキャパシティ以上の任務を続けてやっていることに対しての残念な結果を。いや、四六時中足手まといの介護をしていれば嫌でも気づくか。

「考えたよ。伊吹が非呪術師のまま誰かと結婚して家庭を持って呪霊なんかと関係のないところで生きていくことを。そうしたら、伊吹の隣に私以外の誰かが立つだなんて許せなかった」

うん?

「私のそばにいて欲しい。同じ世界を共有して欲しい。そう思ってしまった。私のわがままだよ。それを伊吹の意思関係なしに押し付けた。手放す気はないし、逃す気もない」

えーと、それはつまり。

「呪詛師にならない?」

「もちろん」

「猿は嫌い?」

「うん? 猿?」

どうして突然、猿? 心底不思議そうな顔をする夏油を見ていると心がいっぱいいっぱいだ。
本当に? 私の押し通したエゴが、夏油の感情を全く考えずに押し通した身勝手が、許されてしまった。本当にいいの?
夏油が自分のわがままで、自分の意思で、私を引き留めようとしてくれている。夏油の優しさと博愛からではなく、彼個人の執着の一つとして。
そんなに私にとって嬉しいことがあるのかな。
喜んでしまっていいのかな。

「こんな話を聞いて、私のことまだ好きでいてくれる?」

「もちろん」

もちろんだ。だって夏油のことは何があっても好きだ。

「信じられないほど、言葉に言い表せないほど大好き」

後遺症が残ったのはフリーになる上で痛手だったなと思っていたけど、もうどうでもいい。
だって、私がここまで頑張ってきたからこそ、夏油が今ここでこうやって私を抱きしめてくれてることになった。こんな後遺症なんていう不自由もうどうだっていい。
私の心配は気鬱だった。私が夏油の気持ちを無視してエゴを通したが、夏油も私と同じように自分のエゴを押し通して私の存在をよしとしてくれた。
私が無理やり捻じ曲げた事実は、変わらない。でも、それを後ろめたく思わなくてもいいらしい。

夏油は、自分自身のエゴを押し通したと、私の気持ちを無視したと申し訳なさそうに言った。
えへへ。なんだ。私たち似た者同士だったんだね。

たまらなく愛おしい気持ちがむくむくと湧き上がってきて、夏油を力一杯抱きしめた。夏油は優しく抱きしめ返してくれて、小さな声で、私と出会ってくれてありがとう、と囁いた。


:


ありがとう。本当にありがとう。
高専に戻してくれて、一緒にいることを許してくれて。一緒に卒業しようね。

夏油が五条とより友情を深め、家入と五条のお守りをして、灰原と七海のいい先輩で、伊地知の苦労を労っていくのを目の前でみることができる。

私を大切な仲間としてくれてありがとう。それも、優しさの延長じゃなくて、きちんと夏油の意思で、私を選んでくれてありがとう。

涙が出てしまう。嬉し涙だよ。前に断ってしまったけど、今度一緒にケーキを食べてくれる? 実は、前回断ったこと後悔してたの。
夏油と一緒にケーキを食べてみたいな。夏油の好きなケーキを教えてね。夏油のことをもっとたくさん知りたいの。もしよかったら、ケーキ以外の好きなものも教えてくれる?

これからは、夏油がこれからを生きていくために、心配事が少しでも少なくなるようにもっともっと頑張ろう。
彼の大切な仲間を死なせないために。
夏油が世界にこれ以上絶望しないために。彼の平和を守るために。
私は私自身を犠牲にしないで、夏油が大切にしている私のことも労って生きていく。

ありがとう。夏油。私に生きる意味をくれて。本当にありがとう。


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