「藤原さん! 夏油さんとの任務どうでした?」

灰原が今日も元気溌剌、春陽のような笑顔で挨拶してくれた。
素敵な部屋になりましたね。と気の利く言葉も忘れない。さすが灰原。目の付け所が違う。シャープだな。

「夏油がとってもかっこよかった」

そしていつものように夏油の話を始めようとするが、立ち話もなんだから、と言うことで家具が届きたての私の部屋に案内する。
ソファーにかけてもらって、冷蔵庫からたくさん詰められている水のペットボトルを差し出した。生憎、私の部屋に客人をもてなすような紅茶だとかそういうものは一切存在しない。
五条も私の部屋に入ってきたので、灰原と同じものを渡す。

灰原はいい後輩だ。私の夏油への気持ちを気持ち悪いと思わず聞いてくれる。
笑顔でニコニコと相槌を打つ灰原の隣で五条がニヤニヤとしていた。
最近気づいたのだが、五条も夏油の話を聞くのが好きらしい。私と灰原と七海が夏油について話している時、時々参加してくるようになった。でもいつもニヤニヤして話を聞くだけなので、そろそろ夏油の話題を振れよと思わなくもない。けど、夏油が好きな人間が増えるだけで、それはそれで嬉しいので無理強いするのはよくない。
自分の考えを他人に押し付けるのはよくない。心からそう思う。
今回の任務でどれだけ夏油がかっこよかったか、スマートだったか、優しかったかを存分に語らせてもらう。
語らせてもらったが、途中、息が詰まった。

夏油が怒った。

「私、夏油を怒らせてしまった…」

視界がゆがむ。目の前の灰原の輪郭があいまいになってきた。
今更になって涙が出てきた。こんな情けない顔を灰原に見せられないので自分の膝をこれでもかと凝視した。視界が滲んでは明瞭になるのが繰り返し起こった。

怒らせてしまった。夏油に負の感情を生み出させる原因をつくってしまった。それを自覚するともう涙が止まらない。次から次へと涙が私の膝を濡らしていく。
実を言うと少しだけ舞い上がった。夏油が怒っているところなんて見たことがないから。
でも、マイナスの感情を3日も継続させてしまったという事実。それによって生じたストレスを考えると、もう死にたくなる。
夏油には幸せになって欲しいのに。こんな些細なことでイライラして欲しくない。怒ったことによる無駄な体力を消費して欲しくない。ましてや、私が原因でそんなこと。

「え、あ、えと、夏油さんが怒った理由わかりますか?」

灰原が私に気を使いながら、質問をしてくれる。なんてできた後輩なんだろう。
私はわからないので、わからないと素直に答えた。灰原は唸り声を出した。

「傑はお前のことが心配だったんだ。まあ、泣き止めよ」

五条が慌てながら、タオルを顔に押し付ける。

「怒りの感情っていうのは想像以上にマイナスのストレスがかかる。長時間それにさらされると、高血圧や環状動脈硬化症、消化性潰瘍、偏頭痛、喘息、大量脱毛を引き起こす可能性がある。そんなリスクを夏油に背負わせてしまった」

夏油の幸せを1番に願っていると言っても過言ではない私が夏油にリスキーな条件を与えてしまった。
それを自覚するともう、自分の不甲斐なさが堪らなく不快で、今すぐ高専の1番高い屋根の上から飛び降りたくなる。

「は?」

五条がいつもみたいに間抜けな声を出した。

「今なら七海の言いたいことがよくわかる……」

灰原は言葉を噛み締めていた。

夏油が同級生を心配するなんてそんなの当たり前じゃないか。だって夏油は優しくてかっこよくて素敵な人なんだから。

「俺、傑が不備だとおもったのこれが初めてだわ」


:


任務から帰ってきた夏油を部屋の前で待ち伏せして、言いたいことを言ってしまおう。
わたしはあなたを死なせないために、あなたに幸せに生きて欲しいから、あなたの大切な仲間を守りたいから死んでも死なないし死ぬつもりはないと。

五条曰く夏油が私が弱くて死んでしまうことを懸念しているのであれば、その必要はないと安心させてあげることが大切かもしれない。
殺されても死にません。やるべきことをするまでは、と。
報連相は早ければ早いほうがいい。

そう思ったら夏油が任務から帰ってくるのが待てなくて、今日夏油を送り届けた補助監督生に連絡を取った。

そしたらもう任務が終わって高専に向かってきてると言うのだから驚いた。
めっちゃくちゃ強い夏油最高だ。やっぱりかっこいいな。全ての高専生の憧れでしょ、と思う。

「私は弱いけど、死ねない理由があるから死んでも死なない」

門先に止められた高専の車から降りた夏油に素早く近づいて要件を伝える。

「私の前で死にかけておいて?」

「どうしても幸せになって欲しい人がいて、守りたい人達がいて、だから、」

夏油を守りたいから、夏油ずっと笑顔でいて欲しいからなんて、そんなこと本人の前では恥ずかしくて言えないから、歯切れが悪くなってしまった。
西に太陽が沈んで、空が青や赤や紫といったような幻想的な色をしていて、それをバックにしている夏油が神々しすぎる。
私の唯一で無二の存在。絶対に幸せになって欲しい。私がその環境を作る。

「そこに、」

夏油が口を開いた。

「その守りたい人の中に伊吹自身は入ってる? 伊吹は強いよ。でも私より弱い。だから、私に伊吹を守らせて欲しい。私の大切な人だから」

うん? 私が夏油の仲間に入っている? ただの同級生とかではなく、夏油が守りたい仲間の中に私が入っているだって?
嘘でしょ。現実? こんなに私にとって幸せな現実が存在してしまっていいのか?

「今日は怒鳴ってごめん。私の目の前から伊吹がまたいなくなると思うと感情が抑えられなかった」

え、やっぱり私、夏油の大切な仲間に仲間入りしてしまった? 本当? 嘘じゃない?
夏油は誠実で優しいから、こんな酷い冗談は言わないだろうから、紛れもない真実なんだろうけど、受け入れがたい。
時間が欲しい。今すぐには私の頭と心は処理できない。
ほんとうに、ほんとう?

そっか。
私は夏油の仲間か。
なんだか体の底から元気がみなぎってくる。うれしいな。
恐縮だな。やっぱり好きだ。やさしくてかっこよくて強い夏油が。
今日は大変な記念日になる。いつもより豪華で大きいケーキ買おう。
大切な記念日になった今日にふさわしいケーキを今すぐに買いに行こう。

:

「伊吹って定期的にケーキを買うけど、好きなの?」

「記念日といえばケーキだから」

ケーキは好きか。そんな単純な質問に答えられない。
だって、私がケーキを買う時はお祝いするべき記念日なのだし、記念日といえばケーキを食べると相場がきまっている。
好きで買って食べてるわけじゃないのだから。
買うケーキだって、記念日に合わせて様々のものを買うし、1度として同じものを買ったこともない。だって、記念日という括りは一緒だけど、記念日の中身が違うのだから。

「記念日? なんの? 私も一緒にお祝いするよ」

「えっ、だめ」

「だめなの?!」

駄目ったら駄目だ。
だってこれは夏油がかっこよくて素敵で堪らない記念日なのに、本人と祝ってどうする。
もし本人と一緒に祝ったら、また本人と一緒にお祝いした記念日を開かなくちゃいけなくなる。そんなの一生毎日が記念日になってしまう。
いや、たしかに夏油が生きているだけでもうそれは記念日なのだけど、これとそれとは話が別物だ。毎日が記念日なんてまったくもって素晴らしすぎるけど、違うのだ。
とにかく夏油とだけは一緒に祝えない。

でも、せっかくの申し出は心臓が口から飛び出るほど嬉しかった。
だから少しだけ想像してしまう。
夏油と仲良く並んで、私が選んだケーキを一緒に頬張る。
私が推しの前で、推しに感謝の意を込めながらケーキを食べる姿を。
ないな。ないない。なしよりのなし。ありえない。
一種の拷問だ。嬉しさで社会的死のような表情をしているであろう私の顔を夏油に晒せるものか。


:


「伊吹って本当に夏油のことが好きなんだよね?」

「もちろん」

なに言ってるんだ家入。その質問はもう前に聞いた。二度あることは三度あるというから、そういうことなのだろうか。

「じゃあなんで、夏油から逃げてんの」

「なんで? 時間を無駄にして欲しくないから」

当たり前じゃん。
夏油の時間は夏油が夏油自身に使うべきものであって、私を構うためにあるわけじゃない。
夏油が自分の時間を使うことによって得られる経験とか関係とかその他諸々を規制する理由に私如きはなり得ない。
人が人を束縛するなんて、ましてや、私が夏油の幸せの時間を奪ってしまう可能性なんて信じられない。
だから、最近夏油が私を見かけたら、なにかしらと世話を焼こうとしているのが、本当に怖い。私が彼のチャンスを潰してるんじゃないかって。

確かに、確かに嬉しい。夏油がそばにいることは。
でも、私の嬉しさと夏油の心配性は比例関係であっちゃだめなんだ。

だって彼の守りたい世界の人たちに私はいてはいけない。私は本来ならカウントされていない側の人間なのだから。彼の心の平和を保つための本当の仲間ではない。
夏油は優しいから、守りたい人の中に私を入れてくれたけど、でもそれはきっと本当に優しいから言ってくれただけだ。
私は単純な単細胞なので、ついつい舞い上がって喜んでしまったけど。

彼の世界に私は必要ない。
だって私は本来ここにいるべき人間ではない。生粋の呪術師ではない。原作の人間ではない。彼らの横に並び立てるようなそんな人間ではない。
それは自分に言い聞かせていないとついつい忘れてしまうそうになる。

「難儀だねぇ」

硝子は紫煙を吐く。
なにが難儀なのか、なにが愉快なのか、それを聞いてもきっと答えてくれないことはわかった。

「お、伊吹いいところに」

「私は任務に行ってることになってる」

「は?」

「だから、私は今ここにいないことになってる」

五条が意気揚々と私の名前を大声で呼んだので、素早く、シッ! と人差し指を立てて口を閉ざすジェスチャーを送る。
私は夏油から逃げている真っ最中で、今日のところは、遠方の任務に行っていることになっている。高専に戻ってくるのは2日後の予定だ。
もし、夏油に何か聞かれたらそう言うように灰原と七海にも口止めしておいた。


「お前が任務サボって医務室にいようが別にどうでもいいけど、ちょっと聞いときたいことがあって」

五条が私に聞きたいこと? 珍しいこともあるものだと首を傾げる。
私が五条に教えられることはない。体術、座学、何もかも。1週間ぐらいの天気なら教えられるかも知れないけど、そんなの自分で調べればいいことだし。

「お前よくケーキ買ってるけど好きなの?」

「別に」

別に好きじゃない、と思う。嫌いでもないけど。
記念日だから買っているだけで、特別好きなわけじゃない。
甘いものが大好きな五条には悪いけど、ケーキについて何か新しい情報を教えてあげられるほどの興味はないし、関心もない。
悪いけど他をあたって欲しい。

「じゃあなんで?」

心底不思議そうな顔をしている。サングラスの奥の瞳が丸々としている様子を感じた。

「好きでもないのにそんなにしょっちゅうケーキ食うか?」

なんで、ってそりゃ、記念日以外理由はない。
もしかして、ケーキを食べる人間全てがケーキのことを好きだと思ってるんだろうか。

「記念日だから。記念日にはケーキを食べるでしょ」

「記念日? なんの?」

珍しい。
五条が至極どうでもいいような些末なことを掘り下げようとするのは。
今日は今から豪雨か雷雨にでもなる天気予報だっただろうか。朝のニュースを思い出そうとして、いや、快晴だったなと。全部画面がオレンジ色で埋め尽くされていたことを思い出す。
せっかくの機会だ。家入にも私の夏油への気持ちを疑われてしまったので、ここらでもう一度はっきり伝えておいた方がいいのかも。
私がケーキを買う理由、記念日とはそれすなわち。

「夏油がめちゃくちゃかっこよかった記念日、夏油がめちゃくちゃ優しかった記念日、夏油が今日も息してる記念日、夏油が後輩と仲良くしてた記念日、げとうが……」

「待て待て待て!」

「うわぁ…」

いや、まだまだあるから止めないで欲しい。
これまで買ったケーキと共に記念日の名前を全て伝えるつもりなのに。

「つまり、お前がケーキ食うのって、全部傑関係だってことか?」

「うん」

「はぁ〜! まじ〜!」

五条はおっきなため息を体全体を使って吐く。きっとここにあった酸素の4割ぐらいは今五条が取り込んでしまった。体がでかいのでもうちょっと取り込んだかもしれない。

「さいっっっこう!!!!」

まじ? やばいな! 気色悪! まじ最高だわ! 私に対する悪口を混ぜながら、ばっしばっしとデカイ手で私の背中を何度も五条が叩く。
痛い。この叩き方は、確実にアトができる。
身をねじって、五条の手から逃れたと思ったら五条は次に自分のお腹を抱えて部屋を出ていった。
何だあいつ。やっぱり優しさと配慮というものが欠けている。
本当に夏油の親友なのかと疑いたくなる。五条気遣いのきの時も知らないだろうに。
それに比べて夏油はやっぱり大人だな、と再確認できた。
最高だなと、やっぱり素敵だなって。


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