目が覚めるとよく見慣れた医務室の天井、ではなかった。
はて、と思う前に夏油の呪霊に乗せられていることに気づく。
物凄いスピードで夜空が後ろに流れていく。すごい! と感心している余裕はない。

「伊吹! 死ぬな! 今硝子がこちらに向かってる!」

なぜなら、夏油の顔が近いからだ。
多分、膝の間に私を抱え込んでいるようにしてるんだろう。なんだか恋人みたいでドキドキするな。なんて。
夏油はぎゅうぎゅうと私の掌を握ってるらしかった。らしかったというのは、ぼんやりした視野の中でなんとなくわかるけど、感覚がないから。
あれ、私痛覚以外の触覚も分からないようにしていただろうか。

必死そうな夏油の様子を見ていると、なんだか昔を思い出す。
あの時は確か、右腕がやばかったんだっけか。
夏油も補助監督生も決死の表情で私を励ましていてくれたっけか。
思い出すと、おかしくなって、笑みが溢れる。
もちろん、今回は前回と比にならないほど体が悲鳴をあげているが、大丈夫。私は死なない。
だって、夏油の大切な人たちを守ると、死なせないと誓ったのだから、それを守り切るまで死ぬ気も死ぬつもりも毛頭ない。
でも、やっぱり心配されるのは少し嬉しい。それに夏油の呪霊に乗って空中散歩だなんて、夢みたいだ。本当なら、きちんと景色を楽しみたいのに。

「……嬉しいな」

「は?」

目を開けていてもぼやぼやした明暗ぐらいしか認識できないから、目を瞑って息を吐く。

ああ、死なないでくれてありがとう。怪我をしないでくれてありがとう。心配をしてくれてありがとう。やっぱり夏油は優しいね。かっこいい。ますます好きだ。
よかった。本当によかった。
生きていてくれてありがとう。無事でいてくれてありがとう。それだけで私は十分だよ。

「ふざけるな……!」


:


目が覚めると今度こそ本当に見慣れた医務室だった。
でもいつもと違って家入はお冠だったらしく、私は最低限の治療を受けて、包帯でぐるぐる巻きにされて、ベッドに括り付けられている。

いや、動けないのにベッドに縛りつける意味はない。
動きたくても動けないし。
試しに右手を動かそうとしたら、物凄い激痛が走って声にならない呻き声がベッドのシーツに吸い込まれていったのに。
でも、痛みがあるって素晴らしい。
私の怪我って想像以上にやばかったんだな、と自覚できる。

家入はいつだって気怠げだが、今日は殊更にそうで、机に伏せた顔はそのままに、視線だけで私に動くなよと言った。
家入の殺気を感じて私は素直にうなずいた。
そもそもに、今回は頑張っても動ける気がしないから、釘を刺すほどではないと思ったけど、黙っておいた。

「夏油怒ってたよ」

家入を見つめる。
なに? 夏油が怒っていた? なんで? 私に? どうして?

「わかんねーの? 夏油かわいそー」

机の上に頭を乗せたまま家入はそういう。
わかんねーの? って、全然わからない。
あ、夏油の前で派手に怪我をしてしまったからだろうか。優しい彼は知っている人が傷つくのを快く思っていない。だからかな。

「ほんとにわかんないの?」

私が返事をする前に、私の眉間に寄せられたしわを見て家入は心底驚いていた。

「まあ、怪我治ってから夏油のとこにいってみることだな。今日は呪力切れでもう無理」

家入は半分だけ開けていた瞼をしっかりとじた。私の体が包帯でぐるぐるだったのは家入の限界が来たからなのか。そっか。

それはいいが、瞳を閉じる前の家入の言葉が消化不良のまま胸にわだかまりをつくる。
ほんとうに心当たりがないのだ。
夏油が怒っている理由が。
夏油との任務を振り返ってみるが、心当たりという心当たりはなく、強いて言えば、呪詛師を本気で殺そうと途中まで思って頭部を殴ったことだろうか。
もしかして、急性硬膜下血腫を起こしてしまって、事情聴取ができなくなってしまったのだろうか。もしそうならば、今後頭部を狙う攻撃は控えなくちゃいけないな。身柄を確保するためには向いてない。
言い訳をするなら、最悪の場合、あの呪詛師の残穢を辿って補助監督生の家族は保護できるし、死んでしまっても大きな問題ではないはず。
だからほんとに夏油が怒っているのがわからない。どうして怒っているのだろう。

一つの可能性に思い至り、心臓がヒヤリとした。
私が弱すぎることに怒っている可能性はないだろうか。あんな任務で致命傷を受けてしまって、呪詛師も満足に確保できなければ、呪霊修祓をほとんど夏油に任せてしまった。
そういうことなのだろうか。
このことに関して怒っていたりするのだろうか。
もしそうだとすれば、彼の大切な仲間を死なせないという目標を立てれないほど私は弱いということになる。
確かに腹を刺された後、ゆっくり休もうなんて甘い考えを持っていたし、その可能性が十二分にある。
強くならなきゃ。夏油がこの世界にこれ以上絶望しないために。大切な仲間が死なないように。彼の心配事を減らせるように。
もっと強く、夏油でさえも守れるぐらい。

:

私の体内組織は私が想像していたよりもダメージを受けていたみたいで、あの日を含めて完治するまでに3日もかかってしまった。やっぱり体力も完全に戻っていなければ自己治癒力もまだまだらしい。

医務室に夏油が来たらどうしようと、冷や冷やしていたけど、その心配はいらなかった。
私が怪我をするたびに、医務室で夏油とエンカウントしていたから、少し寂しいな、なんて。馬鹿なことを考えてしまった。
夏油は特級で強い。
私と比べ物にならないぐらい。だから、一緒の任務で足を引っ張った雑魚な同級生をわざわざ見舞うほど彼は暇じゃない。

私は医務室で疲れ切ってぐったりしている家入にお礼を言ってから自室に戻った。

:

「え! 伊吹?!」

寮に帰って自分の部屋の扉を開けたつもりだったが、何故かそこには夏油がいた。
あれれ、部屋を間違ったかな。

もしかして、自分の弱さに打ちのめされた私がみた幻想かも。きっとそうに違いない。はあ。
閉めた扉をもう一度開けた。
そこにはやっぱり夏油がいたけれど、その部屋の家具や調度品は私が以前夏油と買いに行ったものばかりだった。
まだ段ボールに入りっぱなしだったものや、受け取らなきゃいけなかったものも私が置きたかった場所にお行儀良く鎮座している。

えーと、もしかして夏油がこの部屋を整えてくれた?
そうだとしたらとんでもなく心苦しい。任務で足を引っ張って、部屋の片付けまでさせてしまって、申し開きがたたない。
どうしてそんなに優しくしてくれるんだろう。そんなに優しくされてしまったらつけ上がってしまう。
いやいや、彼はこういうことをスマートにやってのけるほどのできた人間だってことは前から知ってた。
危ない。今一瞬冷静にならなければ、自惚れてた。
夏油は優しくてかっこよくて強い。うんうん。

「硝子のやつ、教えてくれって言っておいたのに」

「わざわざ部屋を片付けてくれてありがとう。お手数おかけしました」

「待って、伊吹。私は君とじっくり話さないといけないと思っているんだけど、時間いいよね?」

いいよね。なんて都合を伺ってはくれたが、夏油の背後からは絶対に拒否させないというオーラを感じた。
私は夏油からの誘いを断るわけがないので、そんな雰囲気を出されなくても間髪入れずにもちろん! と肯定できる。だから、喜んで! とまでは言わなかったが、構わないと返事した。

「まず、先日の任務のことだけど、私はまだ怒ってる」

「えっ」

「どうしてかわかる?」

どうしてって、私の弱さに? 爪の甘さに?
夏油が数日経っても怒りを消化できないほどの不興を買ってしまった? あわわ。これは今すぐ切腹ものだ。

「私が弱いから?」

「いや。まず、私を庇って怪我をしたこと」

そうか、と頷く。
夏油はうっすらと傷痕の残る私の右瞼を優しく撫ぜた。

「それから、あと少し遅かったら死んでしまうかもしれないという一刻を争うときに笑ったこと」

なるほど、頷く。
夏油の顔が曇る。

「うなずいているだけだけど、それは話と言わないんだ。わかるかい?」

「うん」

夏油は大きなため息をついた。

「あの時、伊吹は私を庇って右目を損傷して、そのまま考えなしに相手に突っ込んで死にかけた。死にかけたんだよ? おまけに蛆の様に湧いてくる呪霊が邪魔で私もなかなか助けに行けずにボロボロになった。そんな状況でどうして笑った? もしかして死ぬつもりだった?」

「そんなつもりは毛頭無く」

「じゃあ、だったらどうして!」

夏油が大きい声を出した。
全身に怒りを纏わせる夏油に対してなにを言えばいいのだろう。
随分前の任務と状況が似てて思わず、なんて言ってしまうのはよくない気がした。
夏油はぎゅっと硬く拳を握り締めていて、その手は白く震えていた。どうしよう。
どうしてこんなに怒っているんだろう。だって、ただの同級生。それが死にそうになっただけじゃないか。
夏油は優しいから心配してくれているんだろうけどちょっと大袈裟すぎやしないか。だって、ほんとうにただの同級生なんだから。
経過は最悪だったが結果としては悪くなかったはず。結局あのクソ呪詛師にもきちんと尋問できたらしいし、補助監督生の家族も無事保護された。家入には無理をさせてしまったけど私の傷もきれいさっぱり治った。

でもここで、とえりあえず謝罪するのはもっといけない気がした。


:


今まで体験したことのない経験は五条によって打ち砕かれた。五条が夏油を任務に呼びにきたのだ。
夏油はため息を一つついて、私の部屋から出ていった。

夏油の姿が見えなくなったのをしっかり確認して、五条がふらりと近づいてきた。

「伊吹ってやっぱり雑魚だよな」

今日の空も青い、そんなトーンで五条がごく当たり前で私が受け入れ難い事実を突き刺してくる。
以前なら否定してたけど、今回ばかりは虚勢を張ってはいられない。素直にうんとうなずいた。

「傑めちゃくちゃ怒ってたな。俺あんな傑見たの初めてだわ」

ニヤっと呪術師最強である五条が楽しそうに目を細める。

いつもなら雑魚だなんて言葉、元気よく否定できていたが、今回はダメそうだった。
夏油に迷惑をかけてしまったし、何より私自身、自分の弱さを痛感してしまった。家入にも嫌いな徹夜を連日させてしまった。
反省どころか、指を詰めたほうがいいかも。それか頭を丸めるか?
はぁ、と地獄の果てみたいなため息がでしまう。
五条に反転術式を教えてもらおうかな。でも、五条は天才で奇跡の存在だから、説明出来ない感覚派だろうし、無駄かも。
横目で五条を恨めしくみると、五条はなにやら焦った顔で、いや、なに、その、なんてきょろきょろ周りを見渡して一人劇していたので、無視しておいた。


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