とこしえ


深津くんはずるい。
私が同じ大学に行くのを知っていて、期間限定の関係とはいえ、それを言わなかったのを責めることなく下宿先の治安について心配してくれる。
わがままを言っている自覚はあるけれど、どうしてそれを教えてくれなかったのだろう。

彼は私が勉強をしている姿が見たかったから、と言ってくれたが、本当かどうかわからない、ただそれだけの理由で放課後に付き合ってくれるものだろうか。
だって私たちはタイムリミットの決まっている関係で、深津くんの優しい言葉は行動は、虫除けのパフォーマンスなのに。
ああ、でも、わかっていても深津くんの一挙一動で浮かれてしまう私も私なのだけれど。

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年がそろそろ明けようかという時間帯、私はあと3ヶ月しかないのか、と暗澹たる気持ちでリビングのソファに腰掛けていた。先ほどまでつけていた年末用の番組は音量をどれだけ小さくしてもうるさく感じたので消してしまった。
ただ、天井を見上げてただ呼吸を繰り返す。
今の気分はあまり良くない。どこまでも暗く光を通さない墨みたいだった。じわじわと黒く滲んで、平静を保てていた領域をも侵食していく。それが悲しいのか辛いのか、持ちうる感情のどれに当てはまるかわからなかったが、深い色と同じぐらい暗い気持ちなのは確かだった。
年が明けて3学期が始まるとすぐに自由登校だ。進路先が決まっている私がわざわざ登校する理由はない。
きっと深津くんはバスケをしに毎日欠かさず登校するだろう。着崩すことなく制服をきちんと着て、コートとマフラーと帽子を身につけ、白い息を吐き出しながら。東の空から西の果てまで薄くたなびく陽の光と共に。
私が暖かい布団に包まれ覚えてもいない夢を見ている時間帯、体の芯から縮こまるような凍てつく早朝に彼はまだ暗い通学路を歩くだろう。

どれぐらいの頻度で登校しよう。
自由登校とは言っても試験がすぐそばに控えている友人は、毎日学校の図書館に缶詰になり一心不乱に勉強に励んでいるだろう。家や喫茶店でやるより、切羽詰まった集団の雰囲気に呑まれながら自分自身を追い込むつもりだろう。
そんな雰囲気の中、空気を読まずに話しかけに行くのは憚られる。
学校でできない選択肢を次々と消していくと、私ができることは深津くんと一緒に過ごす、にたどり着いてしまう。彼は大学が決まっているし、一応は彼氏であるし、何も問題はない、という言い訳と共に。
暇な新聞部にはイチャイチャを見せつけてくる、などと書かれるかもしれないのはさておき。

されど、果たして、それは赦されるのだろうか。
登校すれば深津くんに会える。
でも私が登校しなければ虫除けの必要もない。私の虫除けのための煩わしい行動を一切せずにバスケに打ち込めるはずだ。
いや、でもそれを了承した上でのお付き合いのはずだ。だから、深津くんは私にどこまでも甘い。誰の目から見ても甘いように接してくれている。
そのせいで本当に彼氏彼女なんじゃないかと錯覚させられる。私はその浮ついた考えを頭を振って追いやるのにいつも苦労してしまう。
正直なところ、深津くんの彼氏っぷりは嬉しい。いつの間にか口角が上がっていて、はっとして口を窄めることは多々あった。私自身が気づいていないだけでニコニコしっぱなしだったこともあるだろう。
深津くんは私が笑っていることも怪訝そうな顔をしていることも指摘しないけれど、きっとわかっているだろう。彼はよく気がつく人だから。
でもそれに慣れてしまうのは良くない。別れが決まっているのにさらに惚れ直るなんて本当に、どうしようもない。救いがないとしか言いようがなかった。

付き合い始めて暫くしてからは身を切るような北風のおかげで私たちはお昼に中庭に行くことをやめた。食堂かどちらかの教室かで過ごすことにした。
体を冷やすのはよくないピョン、といつも深津くんは自分のマフラーを私の膝掛けにしてくれる。食堂であればストーブの近く、教室であれば自席にストーブを近づけて、風邪をひかないように、としてくれる。
1番初めにそれをされたときの衝撃は今でも忘れられない。戸惑っているうちのあれよあれよと、世話を焼かれて、席に座らされ、正面に腰掛ける深津くんの冷静な顔をまじまじと見つめる形になった。深津さんは私の視線に照れるように「ピョン」とだけ口を開いた。それがむず痒くて深津くんの照れが移った私も顔に熱が集まるのを感じた。そんな私を見て深津くんは満足そうだった。
本当にずるい。
深津くんは彼氏を演じているだけに過ぎないのに、これ以上好きになってしまって一体どうすればいいの! と怒ることもできない。

仕方がないから、幸せを噛み締める。
深津くんのことを思い出すといつも温かい気持ちになる。
付き合い始めたばかりのようにソワソワと心が膨らんで、いや期間限定なのだから、と冷たい現実を取り戻そうとしてもあっという間に現実がいなくなってしまう。残るのは深津くんと過ごした眩い日々だけだった。

年が明けてから私が登校するのを控えると深津くんは彼氏っぽいことをしなくてよくなる。
深津くんがさも当たり前のようにそうしてくれることに私の心は締め付けられ、きゅうきゅうと、その積み重ねは私の心に強く眩しく残る。でもその辛い現実を自覚するのは一瞬ですぐさま地に足のつかないふわふわとした気持ちで満たされる。もう、どうにもできない。

深津くんに対する恋心はまるで、静かに降り積もる雪のようだ、と思ったことがある。しんしんと、音もなく高さを重ねて、もう崩すことができないほどになってしまって、崩壊させると命に関わる。
私は、そんなにも、深津くんのことが。
彼からするとこういう動作ひとつひとつは虫除けの行為にすぎない、のだろう。彼氏の演技に過ぎない。
けれど、私自身にも効果覿面だった。深津くんに対する気持ちは日に日に増していくばかりだ。ふわふわともう広がるに広がり、最果てを見つけられない。
けれどこれも、今だけなのだと、そうやって言い聞かせ、宥めなければいけない。雪が、降り積もった壁のような白い雪が、時間を経て音もなく侘しく溶けるのを待つしか術がないのだ。

年が明けるのがひどく憂鬱だった。ほんとうに、心の底から。深津くんとの別れを考えると真っ二つに心が引き裂かれそうだ。
ソファの上に足を上げて抱え込む。膝に顔を押し当てて小さくなった。私が小さくなるのと同じように深津くんに対する愛おしさも、好きだという自覚も小さくなって仕舞えばいいのに。
うんうん、と顔を膝に押しつけていたが、夜だからよりネガティブになってしまうのだ、と漫然とした動作で顔を上げる。
チラリと時間を確認すると、もう年は明けていた。
日が変わる瞬間を今か今かと待ち侘びていたわけではないが、見逃したというその事実でさえも悲しくなってくる。何一つとして思う通りにはならないと諭されているようで気が滅入った。
初日の出を待とうという気持ちはいつの間にかすっかり冷めていた。

もう、日の出を待たずに寝よう。
そう決めて、ソファから立ち上がると軽く眩暈がした。
ああ、体調が良くなかったのかも。だからいつも以上に悲観的になってしまっていたに違いない、とリビングを出て静かな廊下に足を踏み出す。
昼過ぎまで寝てダラダラ過ごして、それで、やり残した課題がないか確認して、それから、とできるだけ深津くんのことを考えないようにスケジュールを建てようとするが、深津くんはバスケ部のみんなで初詣に行くんだろうか、とか深津くんも課題出されたのかな、とかついつい考えている自分に呆れてしまった。

もう、何も考えずに寝る。
思考した際についつい立ち止まってしまっていた足を再び動かすと、丁度その時電話が鳴った。
今電話に1番近い場所にいるのは私しかいないから、仕方がないのでリビングに戻り、静かに鳴っている受話器を取る。

「はい、みょうじです」

「夜分遅くにすみません。深津です、ピョン。なまえさんはいますかピョン?」

「……」

驚きすぎて言葉が出なかった。もう今日は考えないと決めていたのに。

「みょうじさん?」

二の次が告げないでいると深津くんがそう続けた。
深津くんはそれだけで電話口の相手を私だと確信したようだった。

「明けましておめでとうピョン。今年もよろしくお願いしますピョン」

「……明けましておめでとう。こちらこそよろしくね」

お決まりの挨拶にお決まりの返事を返した。こんなに夜深くの時間にまさか電話がかかってくるなんて、うれしくて、どきどきしてしまう。
非日常感にそわそわしてしまいそれからお互いに少し緊張しているのか、沈黙が満ちた。
けれど、それがなんだかくすぐったくて。
せっかく電話をしているというのに無言でいるのは、いつもの私たちのようだ。深津くんがすぐそばで静かに立っているような気にさせた。
少し顔を上げて横を見れば、肩を並べた深津くんの深い瞳と目が合いそうな気さえする。
そんなわけはないのに。けれど、そう思えるほど私は深津くんの隣に立っているのが自然になっていた。
さっきまで悲しい気持ちでいっぱいだったくせに、そうさせていた本人の声を聞くとたんに冷えた心が温かくなった。ああ、なんて単純なのだろう。
これだから深津くんはずるい。

「今から出れるピョン? 一緒に初詣に行きたいピョン」

「も、もちろん!」

「寒いから暖かくして欲しいピョン。迎えにいくピョン」

「うん、待ってる」

先程まで指先が冷たくて布団に潜ってもすぐには寝れないだろう。湯たんぽひとつで足りるだろうか、と静かな廊下に踏み出した時はそう思ったのに、あともうしばらくすれば深津くんの顔がみれるのか、と実感すると笑みが溢れた。
日の出が見える時間帯は酷く寒い。
私は深津くんの心配に答えるように分厚いセーターの上にダウンコートを羽織って首の上まで閉める。雪がいつ降ってもいいようにフード付きだ。
それから手袋を身につけ、靴下は2枚履いて雪用の靴を下駄箱から取り出して、私と深津くん用のカイロも準備して玄関の段差に腰掛ける。
これで深津くんがいつきてもすぐに飛び出せる。

じっとしていられなくて、パタパタと足を動かし、深津くんが電話の後に寮から出たとしたら後どれぐらいでこちらに着くだろう、と下駄箱の上に置いてある時計を見ながら計算しようとするとチャイムが鳴った。
まさか、と思い慌てて玄関を開けると、玄関ポーチに寒さと共に深津くんが立っていた。
オレンジ色のポーチライトで照らされた深津くんはうっすらと血色が良く、白い息を吐き出している。

「はやいね?!」

「走ってきたピョン」

「寮から?!」

「ピョン」

「ほんと?!」

「ウソピョン。それは流石に無理だピョン」

玄関から飛び出してきた人物を私だと確認した深津くんは大きく白い息を吐きだしながら私の両手をぎゅうぎゅうと握り、そのまま話し始めた。お互い手袋を身につけているが、開いたり閉じたりを繰り返すうちに深津くんの熱が私に移ってきそうだ。
私は深津くんの好きにさせたまま、瞳を見つめる。
冗談を言う時もそうでない時も眉ひとつ動かさないから、私はいつも騙されてしまう。
寮から走ってきていたらもっと時間がかかるってことは考えなくてもわかることなのに。

「みょうじさんの最寄駅から走ってきたピョン」

「え、じゃあ電話は最寄りの公衆電話から?」

「そうだピョン。……冬休み、あれから会えなくて寂しかったピョン」

会いたいな、と思ったら駅にいたピョン、なんて言ってくれるものだから、じっと見つめ返してくれていた深津くんの瞳からゆるゆると視線を外し、そのまま彷徨って、何とか手元に落とす。なんて恐ろしい言葉なんだ、と息を呑み込んだ。
深津くんは掌握運動に満足したのか、私の両手を自身の両手で握ったままに落ち着いていた。

「……も」

「ん?」

会えない時は不安で不安でたまらない。そんな気持ち不相応なのに。期限付きの関係だと知っているし、わかっている。自分自身にそれを警告をしなくてはならない。
けれど、それでも深津くんの顔を見て仕舞えば、声を聞いて仕舞えば、手を握ってくれれば、たちまちその気持ちが解けてしまう。

「聞こえなかったピョン」

上から深津くんの声が降ってくる。落ち着いた優しい声だ。きっといつものように夜みたいに静かで穏やかな瞳でこちらを見つめてくれているに違いない。

「……私も」

一度言葉を切る。

「……会いたかった」

深津くんに包まれた両手をギュッと握る。深津くんは息を吐いてから「一緒で嬉しいピョン」ととびきり優しい声で囁き、私をダウンコートの上からふわりと抱きしめた。
それからポンポンと背を叩き、すぐさま離れる。

「そろそろ行くピョン」

突然抱き締められたことにドギマギする暇もなく、深津くんは私の手を引いて歩き出した。
やっぱり大好きだ。それからなんてずるい人だ。

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