ゆゆしい


「自由登校はあんまり学校来る気ないピョン?」

「そうだね。行ってもやることないし」

「俺は毎日バスケしに行くピョン」

「やっぱりそうなんだ」

「ピョン」

神社に向かう道中、視界のさらに奥には鳥居が見えている気がするが、まだまだ日は登っておらず真っ暗な中ぽつりぽつりと話しながら歩く。寒いので腕を組み、手は固く握ったまま。
やはり深津くんは毎日バスケをしに行くようだ。本人の口から改めて聞かされると、卒業までに後何回見れるだろうか、と彼女という権利を濫用してでも毎日見に行った方がいいのではないか、と思ってしまう。彼が山王の4番を着て試合に出るのも、強豪バスケ部のキャプテンっぷりを見れるのももう僅かしかない。
彼を目の前にすると事前に決めていた気持ちが無駄になるのがほとんどだった。

「毎日会いたいピョン。どうせ授業は自習だから授業中も一緒に過ごしたいピョン」

言い終わると同時に手を引かれ、腰を引き寄せられる。思わず「わっ」と声が出た。
一体全体何事かと動揺したまま深津くんを見ると「ぶつかりそうだったピョン」と私の後ろに視線を向けていた。
行動に合点がいった私は素直にお礼を述べる。なんだ、そうか、そうだよね、と無駄に落胆してしまった。いや、落胆するべき箇所なんてないのに。
けれどそれが顔に出ていたのか「かわいいピョン」と口が半分空いている私を見つめてくる。私はとたんにカッと体が燃えるほど暑くなった。
確かに神社の境内が近づくにつれ人が増えて、境内は溢れんばかりに参拝者が詰まっている。日の出が出て徐々に周りが見渡せるようになってきたとはいえ、夜目に慣れていない私は随分と頼りない足取りだっただろう。
だから他意はないのだ、とわかっていても深津くんのスマートさにいつまで経っても慣れない。

「2月は大学の合宿でこっちにいないピョン。3月はお互い引っ越し作業とか色々あってきっと会えないピョン。だから今のうちにたくさん会いたいピョン」

「そうだね、今のうちに」

深津くんは、私たちは卒業式と同時にこの関係に終止符を打つことは、きちんと覚えているのだろうか。
いや、覚えているだろう、だって深津くんが虫除けは卒業式まで、と言ったのだから。

:

結局1月はほとんど通学してしまった。
休み時間は全て深津くんの元へ通い、放課後もバスケ部を見学して、深津くんと共に帰宅する。深津くんは学校で私の姿を見かけるたびに「会えて嬉しいピョン」「今日もかわいいピョン」と目をじっと見つめて伝えてくれた。私はいつもいつもそれにタジタジになって口を固く結び、深津くんの目を見ていられなくなって視線を落とす。
すると頭上からフッ、と小さく笑う深津くんの息遣いが聞こえて、私は思わずぐぅ、っと唸ってしまうのだ。
ずるい、大好き、勘弁してよ、と泣きたくなった。
この1月は付き合った今までの中で1番恋人らしかったと思う。自他共にそう認めざるを得ないだろう、と思っていた。
それを裏付けてくれる新聞部の記事はアンちゃんに聞けていないので結局私には分からずじまいだったけれど。

2月は深津くんが言っていた通り大学の合宿でほとんど会えなかった。
最初で最後のバレンタインのチョコレートを受け取って欲しかったが大学側が狙ったかのようにバレンタインの時期に合宿を重ねてきたのでタイミングを掴み損ねてしまい、言うに言い出せず、一大イベントが終わってしまった。
それに、山王バスケ部の最終引き継ぎもあって、2月の深津くんは多忙を極めていた。
深津くんのいない生活に早くなれなければいけない、という焦りといよいよいなくなってしまうんだ、というひどい喪失感が押し寄せ私の感情をぐちゃぐちゃにする。
深津くんの会えて嬉しいという言葉が呪いのように私を苛んだ。思い出ではなく彼本人からその言葉を聞きたくて仕方がなかった。
その気持ちを一刻も早く手放さなくてはならないのに、未練がましく大切に抱きしめてしまっている。

そして3月。もうこの頃になると私は毎日起きるのが億劫だった。寒さもだいぶ和らぎ、陽が昇るのも随分と早くなった。なのにだんだんと起きれなくなっている。
深津くんとの関係が終わってしまうからだ。
夜は、一応布団にくるまって深呼吸を繰り返すが、それでも眠気はやって来ず、今まで楽しかった思い出ばかりが脳裏に浮かび、刻一刻と近づくタイムリミットに吐き気がする。
虫除けのために、と始まった関係だったが、それは私にとったらとんでもなく嬉しいことだった。けれど、深津くんはきっとそうじゃない。困っている女友達を自分の時間を犠牲にして助けてくれたにすぎない。

山王では女子の数が少ないから、深津くんが数少ない女子の中で好きになった子がいなければ、こんな荒技なんてできなかっただろう。
その点ではこの特殊な環境に感謝するべきなのかもしれなかった。でなければ私も虫除けの恩恵に預かれなかったのだから。

あぁ、もう数時間もすれば卒業式だ。
目覚まし時計の針が規則正しく時刻を刻む音が憎い。時が止まればいいのに。
何度も何度も寝返りを打ち、本来の起床時間まで一眠りしようとするも、どうにも、落ち着かない。

卒業式は意を決して深津くんには別れを告げなければ。
大学生になったら今より女子の数が増えるし、深津くんの好みの女の子がキャンパス内にいるかもしれない。彼が今後恋人にしたいと思える人に出会ってしまうかもしれない。

私は、深津くんが私を好きになってくれる自信がなかった。今も、これからも。
深津くんが私を好きになってくれる理由も見つからない。
バスケが詳しいわけでもない。きっと深津くんの好みのタイプでもないだろう。好みのタイプなんて恐ろしい問答はしたことなんてないけれど、きっとそうだ。
もっと可愛い子や綺麗な子は都内にいればごまんといるだろう。

彼氏彼女の関係をしている間は深津くんはひょっとしたら私のことが好きなんじゃないか、なんて勘違いするようなことをいっぱい言われたし、手だってよく繋いだ。
時には抱きしめられたりもしたけれど、それは一瞬だったし、手を繋ぐ以上のことはしなかった。仮初の関係だから、と言われて仕舞えば納得するしかないのだけれど、きっと本当に好きならそれ以上のことをしたと思うのだ。それが全くなかったのだから私は脈なし、なんだろう。
あれは素晴らしい彼氏としてのよくできた演技だった。

良くて1番仲のいい女友達、悪くてよく喋る機会があっただけの同級生。
きっと私はその枠組み中に収まっている。

明日は、いやもう今日だけれど、ありがとう、といってさらっとお別れしよう。
それから気持ちを整えて春から大学生をしよう。学部と学科がとんでもなく多い大学だから授業も被ることはないだろう。それにきっと深津くんはスポーツに関する学部学科だろうし、ひょっとするとキャンパス内ですれ違うこともないかもしれない。

暗闇で瞬きすると目尻からポロリと涙が溢れた。
明日は泣かないようにしないと。

:

約束をしていたわけではないが卒業式が終わった後、深津くんがバスケ部のみんなと集まる前に私たちは自然と2人になっていた。卒業証書を抱えて胸に花を刺した同級生達と少し距離を取り、誰にも会話を聞かれないよう気を配って私は第一声を発する。

「深津くん、別れよう」

とてもじゃないが向かい合って話せる覚悟はなかったので横に並んで、自身の両手を固く握り合わせる。
卒業アルバムにメッセージを書いてもらうために奔走する同級生を視界に収めていた私はやおらに瞬きをした深津くんを目の端で捉えた。

「今までありがとう。本当に助かった」

ひとつ呼吸をする。

「迷惑かけてごめんね」

再び口を開こうとしたが、なんと言っていいのか、これ以上何を言ってもいいのかわからなかった。
きっと再び話しかけてしまったら私の決意が、心が崩壊しそうだった。
もっともっと言いたいことがあったし言ったほうがいいこともあったはずだ。感謝の気持ちも迷惑をかけた謝罪ももっときちんと丁寧にしなくちゃいけなかったはずなのに、もう震えだす唇ではそれは叶わない。

隣の深津くんが上半身を折り曲げて私の顔を覗き込もうとしたので、踵を半分回転させて背を背けた。咄嗟の行動だった。危なかった。
心臓が耳元で鼓動しているんじゃないかというほどうるさかった。
私に背を向けられた深津くんは、数秒その場に止まり、そっと姿勢を戻した、そんな気配がした。

「別れたいピョン?」

「うん」

深津くんの声は悲しがっているわけでも嬉しがっているわけでもなくただただ静かに事実確認を求めていた。
それは部活動で指示出しをするような事務的なものだった。

「なんでピョン?」

なんで、そんなことを言ってくるとは思っもおらず、予期せぬ言葉に戸惑う。
なんでって、そりゃ、私たちの関係は期間限定で、虫除けは卒業までだから、だ。

「卒業までって俺が言ったからピョン?」

震える唇ではうん、のその一言を言うのでさえも難しそうで、大きく頷くことでなんとか返事をした。

「そうか、ピョン」

しみじみとした返事だった。
自分が期間限定だと言い出したのを今のいままで忘れていたかのような口ぶりだった。

「今まで楽しかったピョン?」

大きく頷く。

「それはよかったピョン」

ポツポツと間が開く会話は居心地を悪くさせ、呼吸が短くなる。
義務で、女友達を助けるための優しさだとしたら深津くんの行動は賞賛以外の言葉はないだろう。
それほどまでに優しくて、温かい気持ちにさせてくれたしたし、何よりも安心感を与えてくれた。
いつまでも一緒にいたいと、そう思った。肩をくっつけて歩いて、手はいつもぎゅっと固く結ぶ。代謝がいい深津くんの手のひらはいつもしっとりしていて、私の手に吸い付くように馴染んだ。
顔を上げ大好きな瞳を覗き込めばそれは黒いだけではなく、よくよく見れば陽の光を取り込んで静かに輝く虹彩の色までもが穏やかで、落ち着いた色をしていた。
不思議な語尾は彼の印象を丸くさせ、親しみやすさを纏わせる。
深津くん以上に信頼を預けられて安心できる人間はいないだろう。

「別れても、大学では引き続き仲良くしてほしいピョン」

頷くことも声を出して返事をすることもできないまま「深津ー、そろそろ行くぞー!」と一之倉くんの呼び声に深津くんが「ピョン」と返した。

「4月に大学で会おうピョン」

深津くんはざり、と踏み出した足を止め、いまだに背を向ける私にそう言って駆けていった。

唾を飲み込んで、固く握っていた両手を解く。指先が信じられないぐらいぎこちなくしか動かせなくて、雪のように白かった。
開ききった手のひらは汗がひどく春風がひどく染みた。
涙は出ていなかった。

ああ、あれが私が焦がれた大好きな人だった。

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