つくづく


深津くんに会いにきたけれど、彼はバスケ部から呼び出しがかかったらしく、席を外していたので、アンちゃんと廊下に出て深津くんを待つ。別に一目見るだけで休み時間が終わったとしてもいいのだ。私はなんの用事もなく深津くんを訪ねてもいいという権利を濫用できるのだから。

「え? まだキスもしてないの?」

どこまでいったの? というあけすけな質問に口を開けないでいると、その顔を見たアンちゃんはそう結論づけた。

「それは……えーと……」

意味もなく廊下の天井を見上げる。それからアンちゃんに視線を戻そうとして、落ち着かず自分のつま先に向けた。
アンちゃんに言ってしまおうか。でも、仮初の今だけの関係であっても深津くんと付き合っているというのは紛れもない事実であるし、その特別感をまだ独り占めしていたい。
本当は虫除けをしてもらっているだけで、きちんと告白して両思いなわけじゃないと言ってしまったが最後、否が応でももう線引きをはっきりさせてなければ、と自分自身に言い聞かせなければいけないし、アンちゃんにも心配されるに違いない。
もうこうなったらいい恋だった、いい思い出だったと振り返った時に満足できるぐらい、やりきったと言い切れるぐらい尊い思い出にしようか。中途半端な傷を重ねるよりも、一度大きく致命傷を受けた方がショック療法で立ち直れるのも早いかもしれない。

「みょうじさんに俺のペースに合わせてもらってるピョン」

「深津くん!」

すぐ近くから声がしたと思ったら、私の腰に深津くんの手が回される。
その自然な動作にドギマギして名前を呼んでしまった。

「え~、本当~?」

アンちゃんは私の腰に回された深津くんの手をみて訝しそうにしていたけれど声は弾んでいた。

「アップアップだピョン」

そういって静かに手を離した。
深津くんはいつもそうだった。手を繋ぐ時以外、私の体に断り無しに触れる時は、一瞬だけで、サラリと離す。
その紳士さに悲しくなる。これは付き合っている、というのを周りに認知してもらうためのパフォーマンスと言わんばかりの仕事ぶりだからだ。
その大きな手で触れてほしい。側にいると暖かい彼にもっと近くにいてほしい。
けれど、彼は困っている友達を助けるために付き合っているというのもあるので、これ以上の接触は酷というものかもしれない。
少し沈んだ気持ちを引きづりながらすぐそばに立っている深津くんを見上げる。
なんと深津くんもこちらをみていた。目が合うとは思わなかったので、不意の嬉しさに心が温かくなる。もしかしたら顔に少し出ていたかもしれない。

「呼び方も余所余所しくない? 付き合ってるのに名字で呼び合ってるの?」

「2人きりの時はなまえって呼んでるピョン」

「本当?」

深津くんに突然名前を呼ばれて心臓を鷲掴みにされたかと思った。
手にひどく汗をかいていることがわかる。アンちゃんは嬉しそうにしていた。そのまま「本当? なまえちゃん?」と期待がこもった眼差しを向けられた。

「本当だピョン」

そうだろう、と言わんばかりにもう一度「なまえ」と隣の深津くんがいうので、酷い手汗を誤魔化すためにスカートを握り込み深津くんを見る。

「……深津くん」

名前呼びなんてしてしまったら、それはダメかもしれない。そうなったら、3月に深津くんにみっともなく泣いて縋ってしまう想像ができた。なんという負担、なんというわがまま。
一瞬にしてそれらが脳裏を掠めてしまい、私は結局彼の名前を呼ぶことはできなかった。
私はバスケが1番である彼の重荷には絶対になりたくないのだ。 

「名前で呼び合ってるのは嘘ピョン。俺には早すぎるピョン」

理性が弾けるピョン、なんてまた真顔で冗談を言うのでアンちゃんは笑っていた。

:

12月末に東京で開催されるウィンターカップは、深津くんの彼女として堂々と応援しに行ける立場けれど、応援しに行く、というその言葉を伝えられずにいた。

アンちゃん含め周りの女友達は受験や今後の進路のことに関して書き入れ時であるし、バスケを一緒に応援しに言ってくれる友達がいない。
1人で行ってもいいのだが、いかんせん深津くんには推薦をもらっていることを今だに言っていないので、受験勉強に集中しているはずの私が試合会場にいると不自然だろう。私の行きたい学科がある都内の大学は一般受験で受験するとなると、生半可な勉強量で行けるようなところではないのだし。勉強をせず東京で応援に勤しむ私の姿は見せられない。一緒の大学に行くのを楽しみにしている何も知らない彼の期待を裏切ることになってしまう。悲しませてしまうだろう。
それに、下宿先の内見も兼ねているので、余計に言い出しづらい。
東京にいることを突かれでもしたら、推薦入学が決まっていることを話してしまうだろう。そうなると、いつまでも受験生のふりをしていた理由まで話さなくてはいけなくなる。深津くんと一緒にいる時間が少しでも多く欲しいから。練習中の彼を遠くから観るのではなく、正面に座って私を見守ってくれてる彼が愛おしいから、と。別れが決まっている相手に言っても意味のないことなのに。

けれど、ウィンターカップもIHと同じく観客は多いと聞く。それなら私服を着てコートから1番遠い場所から応援していればバレないかもしれない。
うん、きっと大丈夫。私が会場にいたことは気付かれない
そうやって心を宥めてニット帽を深く被り、ホテルを出た。結局のところ試合を見に行くことを決めて東京に来たのだろう。私にとっては下宿先の確認も深津くんの公式戦も同じぐらい大切なことだった。

:

会場はとてつもなく広かった。
バスケットコートが4面もあって、それに比例して観客席も多く、8校も一斉に試合を行うのだから人の多さも熱気も想像以上だった。
山王バスケ部はどのコートだろう、と見渡すとチーム応援席に同じTシャツを着て、坊主頭が綺麗に並んでいる塊がすぐに目に入った。
真ん中のコートか、とそこに近い自由席を探したが、山王バスケ部というブランドは知名度が高く、彼らの試合が見やすい席はほとんどが埋まっていた。前席なんてぎゅぎゅうだ。
まだ決勝でもなんでもない緒戦なのに、と驚いたがその緒戦敗退を今年のIHで見せつけられた観客たちの熱の入りようは部員以上の圧を感じた。
座れそうな席で小さくなって応援しようと思っていたが、席を確保するのは諦めた。立って観戦するのは全く考えていなかったが、立ち見の観客も結構数いて、これなら座って応援しても立って応援しても一緒だと安心する。
山王のベンチ側は避け相手チームのベンチの後ろ側の二階席の奥に立つ。今は試合前のウォーミングアップのようだ。やはり山王のバスケ部は遠くからみると皆同じに見えてしまう。河田くんや野辺くんのようにすごく大きいとかそういう特徴がなければ深津くんぐらいの身長の部員は多いし、広い会場ではコート上にいる選手の表情はわからないほど遠い。けれど、不思議と彼のことは目に入った。
ゼッケンをつけておらずSANNOHとだけ書かれたTシャツなのに、それなのに深津くんだとわかってしまうのは、これまで私が深津くんをずっと見続けていたからなのだろう。
だから、ちょっとした癖や仕草で集団の中からすぐに彼を見つけることができる。
両校とも粛々とシュート練習を終えて山王のいつものスタメンがTシャツを脱いで、コートに入り、いよいよ試合が始まった。

試合の展開は圧巻だった。
まるで赤子の手をひねるかのように点差があっという間に開いていき、退屈を催したファンが「河田に決めさせろー!」と叫んだ。観客を楽しませるための試合ではないが、それぐらいのパフォーマンスを要求し応えるぐらいの余裕は十分にあった。
だから、それに呼応した深津くんは相手のコートにボールを運びながら、客席に人差し指を立てた。山王を応援しているであろう客席の端から端までをきっちり指さしして、その間にボールを奪おうとする相手選手のアタックは華麗に避ける。
深津くんはコートにいて私は二階の客席の奥に立っている。距離がずいぶんとあるのに彼のいつもと変わらない落ち着いた表情がはっきりとわかった気がした。ああ、本当にここまでくっきりわかるなんてだいぶ浮かれてしまっている、と両手で頬を包んだ。頬が上がっていたのを自覚して、恥ずかしくなる。

深津くんは観客にアピールした通りに河田くんにボールを回し、アリウープを決めさせた。「いいぞー!」「さすが深津!」「河田ー!」と、どっと歓声が沸き、深津くんを褒め称える応援が会場内に満ちた。
喝采が鳴り止まないまま、深津くんを含めたスタメンはコートを後にし、ベンチを温めていた選手が代わりにTシャツを脱ぎ入れ替わる。
控えの選手とタッチを交わしベンチに腰掛けた深津くんはマネージャーに渡されたタオルで汗を拭い、青いボトルから水分を得る。それから、側を離れたマネージャー呼び戻して自分自身はコートの方に手を伸ばし、口を開く。マネージャーはうなづきながら深津くんが示す方を確認した。
深津くんはベンチに下がってしまったということはもう出番がないのだろう。以前の練習試合の時もそうだったように、もう相手側に勝機はない。
深津くんは終始かっこよかった。派手に得点を決めるタイプの選手じゃないことは今までのことから知っていたし、深津くんがいることで周りが活き活きとプレイすることができると沢北くんが絶賛していた。彼のパスは山王の酸素なのだ。山王にいい流れが来ている時は深津くんのゲームメイクがあるからこそだと、沢北くんが目を輝かせていたのも思い出す。
改めて彼の役割の凄さを実感し、引き続き山王の流れとなっているゲームを眺める。
深津くんが作った流れを保ったままに交代したメンバーは点数を重ねていく。初めて公式戦を試合が始まる前からきちんと見ることができて、心残りが一つ潰れたことに胸を撫で下ろし、私はやっと息を吐いた。

深く息を吐き、腕時計で時間を確認し、早すぎる気もするけどお昼にでもしようかとコートに背を向けた時、山王バスケ部の部員が2人も私の前に立っていた。
驚きのあまり飛び跳ねそうになったけれど、前を通ります、というふうに顔を下げて通り過ぎようとすると「ベンチで応援しましょうよ」と。
思わず顔を上げてしまった。

「キャプテンが」と続ける彼らの言葉に目を丸くする。
深津くんは、観客へのアピールのあの瞬間に私を見つけ出し、ベンチに下がった時にマネージャーと話していたのは、試合の展開に関する指示出しではなく私を連れてくるためのもの、だったのだろうか。
彼はいつから私に気がついていたのか、それともたまたま部員が私を見つけて深津くんに進言したのかはわからないけれど、深津くんにとって私は山王バスケ部の応援席に座るべきだと思ってくれていることにむず痒くなった。

「顔が見れて嬉しいピョン」

チーム応援席につき、まさかの最前線に座ることを勧められ、部員でもないのに、と断っているとベンチの深津くんがベンチを立ち上がり私の目の前に来てそう言った。
もう、そう言われて深津くんの静かな瞳と目が合ってしまえば「私も」なんて口から出ていた。

次の日も男子ウィンターカップは1回戦目だった。出場校が多いからいつも1回戦目は2日間に分かれるそうだ。
だからウィンターカップ2日目の今日は山王バスケ部は練習日となる。オフの日なんぞ存在しない。東京に来たからと言って観光に行くなんてこともない。
午前は次戦チームの研究、午後はその上での練習らしかった。とは言っても試合の前日なので、そこまで遅くは行わないとのことだった。私はならば、と深津くんに練習後に会う約束を取り付けた。
深津くんは相変わらず私の提案に「嬉しいピョン、楽しみだピョン」と返してくれた。

特に東京で会ったからといっても私たちも観光はしない。深津くんが泊まっているホテルのすぐ近くの喫茶店で少しばかり彼氏彼女っぽいことをするだけだ。一緒に軽食を食べてお喋りをして遅くならないうちに解散する。

「大学の寮に入ることに決めたピョン」

飲み物を注文した後、バックヤードに下がる店員を見届けるたあと、深津くんはそういった。
大学の寮は人気だから倍率が高いと聞いていたがスポーツ推薦で来ることが決まっている彼には最優先で寮室を当てがわれる権利があるらしかった。

「1人部屋だピョン」

嬉しそうに教えてくれる。

「相部屋嫌なの?」

「高校3年間で懲り懲りピョン」

「それもそうだね」

「ピョン」

やっぱり応援に来て、深津くんの顔を見れて良かったな、と自分の行動力を褒め称える。深津くんのいつでも落ち着いた話し方、それから愉快な語尾、やっぱり好きだ。
深い色の瞳を見つめていると安心感すらも湧き起こる。じっとみていると深津くんも私をじっと見つめ返してくるので、恥ずかしくなて笑みを返す。全く動じていない深津くんは頷いた。

「下宿先、いいところ見つかったピョン?」

私は運ばれてきたホットケーキを切り分け、深津くんはピラフをスプーンで突いているところだった。
ナイフを動かす手を止めて深津くんをみる。深津くんはピラフを大きく一口を頬張ったところだった。彼は知っているのだろうか、と嫌な汗をかく。
深津くんは咀嚼し嚥下したあと、ポケットから折り畳まれた紙を取り出してテーブルの上に広げる。
そこには小さな赤丸と、大きくいびつな青丸がいくつか書き込まれている進学先の大学周辺の地図らしかった。
ここ、と指差されたのが大学で、横に短く移動した指先には赤丸があり、深津くんの下宿先と。
その小さな赤丸を含めた青丸をなぞり、ここは学生が多くて治安はそんなに悪くないけど、夜うるさい場合があるピョン。
指先はすっと移動して、別の青丸はこの辺はファミリー層が多くて終日賑やな傾向にあるが、買い物するなら便利な場所ピョン。
また別の青丸は、駅から近く駅付近も結構栄えており遊びに行くのには便利だが、女の子1人で住むとなると防犯面が少し心配ピョン
、と説明をし終えて、どの辺ピョン? と首を傾げた。
私は深津くんが1番目になぞった青丸と2番目に差した青丸の境を指し、この辺り、と付け加えた。
深津くんは瞬きを一つしてから、家が近くて嬉しいピョン、と。

「知ってたの?」

「みょうじさんの担任が、同じ大学決まったぞ、よかったなって言ってきたピョン」

「いつ?」

「海に行った日には知ってたピョン」

「そうなんだ」

深津くんは、私が大学の推薦を貰って受験勉強しなくてもいいのをずっと知っていたということだ。しかも推薦が決定したのを知ったのはほぼ私と同時期だ。
それなのに図書館に籠る私に付き合ってくれていたことになる。不思議でたまらなかった。

「知ってたのになんで?」

「近くでみょうじさんのことをもっとみていたかったからピョン」

「えっ!」

おかしなことを言ったか? と言わんばかりの様相だったおかげで私は手からこぼしそうになったナイフを握り締め直した。そうだ、彼は平気でそういうことを言う人だったと息を深く吸い込んで、動揺を抑え込む。

かわいいピョン、と繕おうとした気持ちに波風を立てるような一言を付け加えてきたので、私はカトラリーを置いて今度こそ自分の顔を覆った。

「深津くん……!」

「ピョン」

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -