たまのお


やっぱり深津くんが好きだ。
付き合うようになってその気持ちがさらに大きくなった。
けれど、彼とお付き合いできるのも卒業まで。
4月からはスポーツ推薦で都内の大学に行ってしまう。そうなったら、高校生活では作らなかった彼女も作ろうという気になるかもしれない。
大学は今より女の子が多くなるのは確実で、バスケがうまくて気遣いがべらぼうにできる深津くんを好きになる女の子が続出するのも仕方がない。すぐに想像できてしまって嫌になった。
彼は忘れ物をした時や、あんまり体調が良くない時とか、眠くて眠くて堪らない時なんか、落ち着いた声で話しかけてくれるし、必要であれば机をくっつけて教科書を一緒に見せてくれたり、保健室に行くことをすすめてくれたり、眠ってしまわないように絵しりとりに付き合ってくれたり、とにかく親切なのだ。クラスが離れた今だって、体調の機微には敏いし、髪型を変えたとか、やリップの色を変えただの、そういうのにいち早く気づいてくれる。

深津くんのそういう細やかな気配りができる魅力に、優しさに気がつかないわけがない。
きっと多くの人が彼の良さに気がつくだろう。そうなったら、深津くんは今の時のように限られた女子の中から彼女を見繕わなくて済むし、困ってる女友達の虫除けになる必要もない。
私は、私はこんなに深津くんのことが好きになってしまっている。彼と朝登校するのだって、お昼を一緒に食べるのだって、休み時間に会いに行くのだって、放課後に一緒に勉強するのだって、全部全部がかけがえのない思い出で、何度か一緒にお出かけした時の映画の半券やメモ書きなんかも、もう全てがたまらなく愛おしくて、綺麗なお菓子の缶に保管しているぐらいなのだ。それぐらい特別。
けれど、それは今だけなのだ。

ふと、中庭で一緒にお昼を食べている光景を思い出す。
葉の影が深津くんの顔にちらちらと映るその顔の穏やかなこと。おかずを分けてあげたり、少し肌寒くなっていたが食後のデザートにアイスを食べて、おいしいね、なんていつもより特別に甘く感じるアイスを口の中で溶かす。購買でいつも売っているなんら変わらないはずなのにも関わらず美味しく感じるそのアイスは、すぐに食べ終わってしまう。食べ終わったアイスは袋に入れて、後でゴミ箱に入れれるようにまとめておく。
深津くんは最後の一口を口に含んだところだった。私は、深津くんのあの静かな瞳を見るのが好きだ。穏やかで薙ぐことのない安心感をくれる眼差しだ。その瞳を見ていると、ゆるゆるとはにかんでしまう。それに気づいた深津くんがピョン? と返事をしてくれるからそれにも堪らなく嬉しくなるのだ。
みょうじさんが楽しそうだと俺も嬉しいピョン、なんて言って大きな手で私の手の形を確認するようにギュッギュと握ってくれるのは、少し、いやだいぶ照れてしまうので、私は深津くんから目を逸らし、自分のつま先を見つめる。
かわいいピョン、と繋がれた手を弄びながら小さく囁くので、くすぐったくて笑い声が出た。

こんなことだから、3月になって彼から別れ話を切り出されて潔く身を引くなんてできないところまで来ていた。

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私は定期テストと内申点のおかげで都内の大学の推薦を勝ち取っていた。これがまた、深津くんが通う大学と同じで、生活圏内がかぶる可能性は十分にある。よく行くスーパーとかが被ってしまうかも。けれど彼にはまだ言っていない。だって言う必要がないからだ。その時は私たちは恋人じゃない。

3月になって深津くんと別れてから、心の傷を抱えたまま心機一転、新環境に飛び込んで痛みを忘れるぐらい目まぐるしく生活すればなんとかなるだろうか。
もし、大学内でばったり出会ったとして、どうすれば冷静を保てるだろうか。
このところ、どうすれば負った傷を癒せるだろうかと予習ばかりしている。

「順調ピョン?」

「うん」

放課後、いつものルーティンと化した図書室の勉強会で深津くんはぽつりと問う。
嘘は言っていない。推薦はもらった。もう受験勉強なんてしなくてもいい。順調そのものだ。受験勉強に関しては。
だから、早々に大学推薦が決まっていた深津くんに勉強に付き合ってもらう必要はない。
けれど、私はなかなかそのことが言えずにいた。
だって、同じ大学に進学しても今と春では彼氏彼女という関係は終わってしまっているのだ。
大学では男女比率は今みたいに極端ではなくなる。男子が数少ない女子に集中して告白してくるなんてこともない。だから虫除けはいらなくなる。
深津くんも大学にいるおしゃれで可愛い女の子と付き合いたいと思うかもしれない。私としてはそんなことになるのならゲロを吐くぐらいの厳しすぎる練習で大学生活を埋め尽くして彼女を作る時間なんて抽出しないで欲しい。けれど、そんなことが言える立場でなくなる。

「みょうじさんと一緒に進学するの楽しみにしてるピョン」

「うん」

すっかり指定席になった図書館の勉強スペースでは今日も私たちと同じ3年生がひしめき合っていた。私の持っている参考書もすっかり柔らかくなってくたびれている。
表紙をひと撫でして、参考書もノートも開いたが、ちっとも手が動かなかった。
正面には月刊バスケットボールをパラパラと読む深津くんがいる。
私はシャーペンを握り直し、目が滑ってしょうがない参考書にもう一度目を向けた。

「心配事でもあるピョン?」

「まあね」

ここでないよ、と言っても深津くんは気づいてしまうので正直に返事をした。
心配事はある。これからの大学生活のこととか、残りの高校生活のこと、悩みは次から次へと色々浮かんでは消えていくけれどその根っこには深津くんがいる。
今は英語の問題を解いていて、そうそう問3のひっかけ問題に取り掛かっていたはずだ。何を問われていたっけ、と英文をもう一度読もうとするとパタリとシャーペンが倒れた。ああ、今日は本当にダメな日らしい。全く集中ができない。勉強をしているフリをするのも難しい状態のようだ。

「今日ぐらい気晴らしするピョン」

深津くんは読みかけの雑誌を閉じ、私の参考書とノートを閉じて寝転がったシャーペンを筆箱にしまった。
瞬く間に身支度を終えてしまった。せっかく深津くんと一緒に入れる放課後だったのに、このまま帰ってしまうなんて勿体無い。深津くんと一緒にいればいるほど、今後の別れが辛くなるのはわかっているけれど、それでも今この瞬間の嬉しさを噛み締めたいのだ。

「寄り道しようよ、海行かない?」

深津くんはもちろんだピョンと返事した。

歩いて30分程度、途中大きな公園を横切った先に防波堤がある。そこから静かに波が押し寄せる海が見えるはずだ。深津くんと同じように静かに穏やかな海が。
公園は時間帯のせいか人がほとんどおらず、私たちはゆっくりと歩いた。
まだ完全に冬ではないとはいえ、マフラーをぐるぐるに巻いて身を寄せ合って手は固く繋ぐ。触れ合っている部分からお互いの体温を分け合った。
広く植物が生い茂る公園だけれど、生えているのは全てが黒松林なので、ずっと景色は変わらない。落葉樹が色づいて素敵な色の絨毯を作るなんてロマンチックなことは起こらない。
視界がずっと緑なのは変わらない。けれど、海はだんだん近づいているのは匂いで分かった。緑の匂いに微かに潮の香りが混じりはじめた。

「放課後デートだピョン」

白い息を吐きながらけろりという深津くんにぎょっとしてしまう。
ああ、そうだ、彼は真顔でそういうことを言う人だった、と今までのことを振り返らなければ必要以上に動揺していただろう。

「季節外れの海だけどね」

だいぶ寒いね、と両手で深津くん腕をゆるく抱きしめてみる。寒いというのを免罪符にして。
深津くんは大きく息を吸って細く吐き出していた。
それからギュッとその大きな手で私の手を握り直してくれる。

「みょうじさんとならどこでも嬉しいピョン」

深津くんは、彼は、期間限定で仮初の関係だということをわかっているのだろうか。
学校の外にいるから、彼氏彼女に必要そうな会話は必要ないはずなのに。でも、それでもこういうことを言ってくれるのはたまらなかった。
深津くんは私の提案にいつも嬉しいと言って賛成してくれる。きっと純粋に友達として誘っても同じことを言ってくれるだろうけど、それでも、今の私には特別だった。
長い黒松林を抜けた先はすぐに海があった。
ちょうど夕日のお尻が沈んでいくところで、そこだけはすごく赤い色をしていて太陽から離れるにつれて紫色が濃くなっていた。

「綺麗だね」

ね、と深津くんを見れば彼はじっと私のことを見ていた。夜のしじまのようなその深い瞳はいつもと変わらず美しかった。
深津くんは同意をするかのように小さく顎を引いた。
上着のポケットに入れられていた深津くんの手が伸びて私の頬にふれる。
その手が想像以上に熱くて、思わず顔を寄せてしまった。すると遠慮がちに差し出されていた手は私の頬をきちんと包み込んだ。

「冷え冷えピョン」

「でも深津くんといるとあったかいよ」

ぐっと引き寄せられる。
頬にあった手は背中に回されていた、繋がれた手はそのままだった。強い力だったので深津くんの胸に飛び込むようにして頭を預ける。けれど、ポンポンと、軽く背中を叩かれたあとすんなりと解放された。

「帰るピョン」

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