『今この前の公園にいる』

震える指先でメールを打ち、わたしが助けを求めたのは場地くんだった。


「はぁ…そんな身構えんなよ、オフクロもいるから」
「あ…そうなの…?」

今わたしは場地くんのお家の玄関の前に立っている。勢いで来てしまったが、こんな夜遅くに付き合ってもいない男の子の家に上がるなんていいんだろうか、と固まってしまったわたしに場地くんが声をかけた。


別れたいと告げると、強い力で手首を掴まれお腹を思い切り殴られた。蹲る私を何度も蹴りつける彼からなんとか逃げたわたしは玄関で家の鍵だけを掴んで外に飛び出した。すぐにわたしの名前を呼びながら追いかけてくる足音がして、追いつかれないように必死に走った。そしてバイト先のコンビニの近くにある公園のベンチの裏に隠れて、ポケットに入れたままだった、彼氏からの着信が鳴り響く携帯で場地くんにメールを送った。

場地くんはすぐに来てくれた。そしてきっとまだ彼がいるであろう家に帰ることもできず、助けてやる、と言ってくれた場地くんの言葉に甘えてこんなところまで来てしまったのだ。

場地くんと2人きりではないということに少し安心したけれど、お母さんがいるってそれはそれでどうなの?こんな時間に来て、非常識な子だって思われないかな…?って心配するわたしをよそに場地くんは玄関の扉を開けて中に入って行った。

「圭介帰ってきたの?って…え?」
「こんな遅くに突然お邪魔してすいません…!」

場地くんの後についてお家にお邪魔すると、居間にいたお母さんがわたしを見て驚いた顔をした。いや、そりゃそうだよ。こんな時間にいきなり誰か知らない人が来たらびっくりするに決まっている。わたしは慌てて深く頭を下げた。

「ちょっと、圭介」
「あー…色々理由があんだよ」

場地くんのお母さんが、説明しろ、という目線を場地くんに向けたが、場地くんはおそらくわたしのことを考えて言葉を濁したようだった。ペラペラと話すようなことではないけれど、さすがに何も理由を話さずこんな時間に押しかけるのは気が引けた。

「あの、場地くん…ちゃんとわたしから話すよ」

それから、これまでの経緯を話すと場地くんのお母さんは少し離れた場所に座っていた場地くんの背中をバシン、と叩いて「やるじゃん」と笑った。場地くんは「うぜぇ」と顔を顰めている。

「とりあえず今日は泊まっていってね」
「すいません、ありがとうございます」
「パジャマはわたしのを貸すとして、布団は…」

そう言って場地くんの方をチラリと見たあと、「さすがに圭介の部屋に敷くわけにはいかないから居間でもいい?」と言われたので、わたしはぶんぶんと首を縦に振った。


お風呂を借りて、場地くんのお母さんが用意してくれた服に腕を通すと、当たり前だけど場地くんと同じ匂いがした。この前バイクで海に連れて行ってくれたときはなんとも思わなかったのに、ふとさっき抱きしめられたときのことを思い出してしまい、顔が熱を持つのを感じた。ドライヤーで髪を乾かしてから脱衣所から出ると、居間には既に布団が用意されていた。わたしのあとに場地くんがお風呂に入り、その間に電源を切ったままにしていた携帯の電源を入れた。

「…っ」

100件を超える彼からの着信と、30件近いメール。内容は『今どこにいる?』『本当にごめん』『迎えに行くから帰ってきて』『心配だから連絡ちょうだい』といったものだった。どれも一見優しい言葉ではあるが、わたしにとっては恐怖でしかなかった。

携帯を見つめて震えるわたしの手からすっと携帯が奪われた。

「あ、場地くん…」

お風呂上がりで肩にタオルをかけた場地くんがわたしの携帯の画面を見て、うわ…と顔を顰めた。そして勝手に電源ボタンを長押ししてからわたしにそれを返した。

「電源切っとけよ」
「う、うん…」

場地くんから携帯を受け取った手は震えていた。でもこれはさっきまでの恐怖からくる震えではなくて。お風呂上がりで濡れたままの髪とか、ふわっと香ってきたシャンプーの匂いとか、普段は見ることのない無防備な姿だったりとか…今手が震えているのは、わたしがそんな場地くんにドキドキしているからだ。
まだ彼氏とちゃんと別れたわけではないし、場地くんのことを意識し始めたのだってつい最近なのに。わたしってこんなふしだらな女だったっけ、と少し自分に嫌気が差した。


電気を消して布団に入るがなかなか寝付けなかった。そのとき場地くんの部屋の方からごそごそと音が聞こえて、わたしは襖を軽く叩いてから少しだけ開けた。

「場地くん、まだ起きてる…?」

こちらに背を向ける場地くんに小さい声で聞くと「寝てる」と返ってきた。

「起きてるじゃん」

場地くんの答えにクスッと笑ってしまった。そっち行ってもいい?と聞くと、場地くんはもぞもぞと身体を動かし、こちらを向いた。わたしは押し入れで横になる場地君に、そっと近付いた。

「なんだよ」
「ちょっと、お願いがあるんですけど…」
「…なに?」
「あの、ね」

「もう1回、ぎゅってしてほしい、です…」

恥ずかしくなって場地くんから目を逸らしながらそう言えば、場地くんはわたしの頭を肩に押し付けるようにして、ぎゅっと包み込んだ。

「…これで我慢しろ」
「ん、ありがとう」
「早く寝ろよ」
「うん」

場地くんの腕の力強さと暖かさはわたしを安心させてくれる。態度や言葉遣いは乱暴だけど、この人はわたしを傷付けるようなことは絶対しない。なぜかそう思えた。

そっと身体を離した場地くんと目が合った。少しの間だけ見つめ合って、それからゆっくりと目を閉じると唇に触れるだけの口付けをされた。

きみのやさしいを咀嚼する

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