「は?ダメに決まってんだろ」
「そうだよ、やめときな?」
「えぇー…」

場地くんのお家に泊めてもらった翌日、家に一度帰ろうと思う、と告げると場地くんと場地くんのお母さんに反対されてしまった。でも、財布なんかの貴重品も置きっぱなしだし、もしこのままお世話になるにしてもさすがに一度帰りたい、と告げるとはぁ、と大きな溜息を吐かれてしまった。

「平日だし、今は家にいないと思うけど…」
「もしいたらどうすんだよ、バカ」

どうしても行くなら俺も着いて行く、と言う場地くんに、場地くんのお母さんもそれならと賛成した。

「圭介も連れて行って、それでもし彼が居たらついでにちゃんと別れ話しておいで。その手の男は自分より強そうなやつには何も言えないから!もし引っ越しが必要になりそうならしばらくうちに泊まってもいいんだからね?」

快くそう言ってくれた場地くんのお母さんには、本当に頭が上がらない。この親子は本当にどこまでも良い人たちだ。



場地くんと一緒に1人暮らしのマンションの部屋の前まで来た。深呼吸してから鍵を開けると部屋の中からバタバタと足音が聞こえてきた。昨日のことを思い出してひゅっと喉の奥が鳴る。
ガチャ、とドアが開く音がして恐る恐る顔を上げると、目の下に隈を作った彼氏がいた。

「仕事、行かなかったの…?」
「名前が帰ってこないのに、行けるわけないだろ!」
「そう…」
「なぁ、昨日どこにいたんだよ。なんで俺を心配させるようなことすんの?」
「やっ…!」

わたしの腕を掴もうとした彼の手を、場地くんが掴んだ。

「…誰、ですか?」
「そうやっていつもこいつのこと殴ってんのか?」

場地くんの鋭い視線と低い声に、彼は思わず目を逸らした。

「今すぐ消えろ」
「は…?」
「俺が、お前のことぶん殴る前に。そんで二度とこいつの前に面見せんな」

中学の頃にやんちゃしていた、と聞いたことはあった。でもこれはちょっとやんちゃしていたレベルの人に出せるような声じゃないよね…と思いながら場地くんの言葉を聞いていた。
彼は悔しそうな顔をして、わたしをチラリと一度見たあとで部屋から出て行った。場地くんのお母さんが言った通り、わたしにはいつもすぐに手を出すくせに、自分より強そうな人には何もできないんだなって思うとなんで今までこんな人に囚われていたんだろうと、何かがスッと冷めていくのを感じた。
こうしてわたしが思っていたよりずっとあっさりと、彼氏との関係は終わった。



「久しぶりだね」
「引越しは終わったのか?」
「うん、おかげさまで」

今度おばさんにもお礼持っていくね、そう言って笑う名前の腕にはよく見るとまだうっすらと痣は残っていたが、もう長袖は着ていなかった。

ロクでもない元彼が名前の部屋から出て行ったあと、「とりあえず今すぐ引っ越せ」という俺とオフクロの言葉に名前は素直に頷いた。部屋が見つかるまでウチにいても良いとオフクロは言ったが、「さすがにそこまでお世話になるわけにはいかない」と言って、こいつはバイト先にも事情を説明し、一旦実家に帰った。家族にも事情を話し、無事先日引っ越しを終えた名前は今日からバイトに復帰したらしい。

「バイトも辞めた方がいいんじゃねぇの?」
「えー、でもここなら場地くんが助けてくれるでしょ?」
「厚かましい女だな」
「それほどでも」
「褒めてねんだよ」

こんなくだらないやりとりに笑う名前の顔にホッとした。

「場地くんさ、このあと時間ある?」

いつものように慣れた手つきでペヤングと割り箸と、この前のお礼ね、とペットボトルのコーラを袋に入れた名前が俺にビニール袋を手渡した。




「ね、海行きたいんだけど」

近場でいいから海が見える場所に行きたい、連れてって!とバイト終わりの名前が俺に言った。

「はぁ?お前ほんっとに厚かましいな?」
「それほどでもー」
「だから褒めてねんだよバーカ」

一度うちにバイクを取りに帰ってから名前のリクエスト通り、海の見える公園に行った。なんだかんだこいつに頼まれると断れないあたり俺はやっぱりチョロいな、と思った。バイクを降りた名前が前と同じように伸びをしてから、海を眺めている。

「また病んでのか?」
「えー、違うよ」

「場地くんと海に来たかっただけ」

そう言って俺を見上げて笑う名前から、まだ告白の返事はもらっていない。いや、もう正直返事なんて分かりきっていたけど、まだ名前が言葉にしていないだけだった。

「場地くん」
「…なんだよ」

名前が俺の手を取って指を絡めてきた。少し恥ずかしそうにしながら笑う顔が、夕日で赤く染まる。

「助けてくれてありがとう。場地くんがいてくれて本当に良かった」

そう言ってから、片手で口元を隠した名前が、あーごめん、ニヤける、と言って俺から目を逸らした。

「何ニヤニヤ笑ってんだよ」
「えー、もう、なんか笑っちゃう」

チラリと俺の顔を見た名前はだらしなく口元を緩ませている。

「だらしねぇ顔だな…」
「だってさぁ、なんか改めて言うのって恥ずかしくない?」

何を、とは聞かなくても名前が何を言おうとしているかは分かった。緩く絡められた指先に少しだけ力が込められる。

「好きだよ」

言っちゃった、と笑う名前は少しだけ伺うように俺の顔を覗き込んだ。

「あのさ、わたし前の彼氏と別れたばっかりだけど…こういうのってはしたないとか思う?」

名前の質問には返事をせずに、さっきからずっとニヤけている口に自分の唇を重ねた。一度目は触れるだけ。それから角度を変えて少し長い時間、再び唇を押し付ける。

「お前さぁ、目閉じろよ…」
「えー、ちょっと場地くんの顔見たくて」
「やめろバカ」

相変わらず口元を緩ませてそんなことを言う名前の目を手で覆って、もう一度だけ触れるだけの口付けをした。

「こんなわたしだけど…場地くんの彼女にしてくれる?」
「絶対大切にする」
「うん…」

名前の肩を抱き寄せて言えば、俺の胸元で名前が少し肩を震わせた。

「笑ったり泣いたり忙しいなお前は」
「ん、ごめん…ちょっと前まで病んで海見て泣いてたのに、今こんなに幸せな気持ちになれてるのがちょっと信じられなくて…」
「いちいち泣くな、バカ」
「場地くんはバカって言い過ぎだよ」

指で涙を拭った名前を、今度は正面から強く抱きしめた。俺の背中に回された名前の腕の痣が綺麗になくなって、そして二度と傷付くことがないようにと強く願いながら。

三分間即席ロマンス

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