2人で海に行ってから1週間後、ようやくバイトに出てきた名前はマスクをしていた。

「風邪か?」
「うん、ちょっと咳が長引いちゃって」

でももう大丈夫だよ、そう言った名前の顔はマスクで隠れて目元しか見えなかったが、恐らくいつものように笑ってはいなかった。
1週間前海に行った時は半袖のTシャツを着ていたのに、名前はまた長袖の服を着ていた。

大丈夫ってなんだよ。全然大丈夫そうに見えねぇんだよ。大丈夫だって言うならちゃんと笑ってろよ。

ずっと気になっていた。なんで1週間も休んでいたのか、なんでこんなクソ暑い中長袖の服を着ているのか。油はねとか、コンビニのエアコンが寒いとか、日焼け対策だとか言ってたけど、この前海行ったときは半袖のTシャツ着てたじゃねぇか。

俺の足りない頭で思いつくような理由は、ひとつしかなかった。


「はい、いつもありがとう」

俺の後ろに誰も並んでいないことを確認してから、いつもと同じように俺にペヤングと割り箸が入った袋を渡そうと出された名前の腕を掴んでシャツの袖を捲り上げた。

「んだよ、これ」
「…転んだの」
「は?そんなわけねぇだろ」
「転んで、ぶつけただけ」
「おい、マスク取れよ」
「…やだ」

名前は慌てて腕を引っ込めたが、白い腕にはいくつもの痣が出来ていた。殴られたか、蹴られたか。殴られそうになった顔や体を庇ってできたもののように見えた。恐らくマスクの下の頬も腫れているんだろう。見なくても想像がつく。

腹の底から怒りが湧き上がって来た。誰も殴ったことのないような優しい顔でこいつと手を繋いでいたあの男が、こいつを傷付けていたことに。それに気付かなかった自分に。

「バイト終わるまで待ってるから」
「…っ」
「逃げんなよ」

それだけ言って俺はコンビニを出た。



「場地くん」

それから30分ほどコンビニの前で待っていると、バイトの制服から着替えた名前が出てきた。さすがにコンビニの前でするような話ではなかったから、俺たちは近くにある公園へ場所を移した。

「あのね、本当に転んだだけだから」

寂れた公園にあるベンチに座ってすぐに、心配しないで、と俺の目を見ずに名前が言った。それは今まで聞いたことのない冷たい声だった。でもその声はわずかに震えていて、ずっと俯いている名前が今どんな顔をしているかは分からないが、どうせまた泣きそうな顔でもしているんだろうと思った。

「…転んだだけでそんな痣できんのかよ」
「お願い、場地くん…転んだってことにさせて…」
「お前いい加減にしろよ」
「…っ場地くんには関係ないじゃん!」

突然声を荒げた名前はハッとして顔を上げた。やっぱり名前は今にも溢れてしまいそうなほど、目に涙を溜めていた。

「ごめん…場地くんが心配してくれてるのは分かるけど…でも、わたし彼のこと好きなの」

名前の口から出た好き、という言葉が胸に突き刺さる。

「…なんでこんなことされてまだ好きでいられんの?」
「理屈じゃないんだよ、そういう気持ちって。理性でどうにかできるものじゃない」
「じゃあ理性で抑えられなくなって自分の女殴るのも理屈じゃないってことかよ」

名前は再び俺から目を逸らして俯いた。

「だって…だってちゃんと謝ってくれるもん…わたしのこと叩いちゃっても、そのあといつも手当してくれるし、優しくしてくれるし、わたしのこと好きだって言ってくれるし…」
「おい…」
「わ、わたしのことがっ、必要だって、名前のこと好きだから心配になるんだって…っわたしが、悪いのっ…いつも、彼を心配させたり、不安にさせるようなことしちゃうから…っ」
「おい!」

小さな子どものようにひっくひっくとしゃくりあげながら、ぼろぼろと溢れてくる涙をシャツの裾で何度も拭う名前の手首を掴む。思わず強く掴んでしまいそうだったのを、ギリギリのところで手の力を緩めた。

心配させたから、不安になったから殴る?そんなの普通じゃない。少し考えたら分かることだ。でも名前はもう追い詰められてそんなことすら分からなくなっているようだった。

「いい加減目覚ませよ」
「ねぇ、もういいでしょ?場地くんには関係ないって言ったじゃん」
「…関係なくねぇよ」
「関係ないよ。もう放っておいて」

関係ないってなんだよ。放っておいて、なんて言うなら俺の前で泣いてんじゃねぇよ。

「…好きな女が!こんなことなってんの、放っておけるわけねぇだろ!!」

頼むから、俺の前でぐらい、いつもみたいに笑ってろよ。助けてって言えよ。

突然大きい声を出した俺ににビクッと肩を揺らした名前が、消えてしまいそうな小さな声で「ごめんなさい…」と言った。

愛では済まされないものの幾つか

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