星も降らない夜だから
「名前さん、デートしましょ」
糸は学校行事の振替休日で、わたしはたまにある平日の仕事休みだった。朝のまだ早い時間にインターホンが鳴って、こんな時間に誰だと思ってモニターを見たらそこにいたのは千冬くんだった。千冬くんならまぁいいかと寝巻きのまま出たら、突然「デートしましょ」と言われた。最近の千冬くんは色々と突然すぎる。わたしは思わず「はぁ?」と言ってしまった。それも寝起きのガラガラの声で。
「糸も一緒だけど、いいですか?」
「えっ、あぁ…うん」
「2人きりじゃなくてガッカリした?」
「…してない」
千冬くんってこんなこと言う子だったっけ、と思ったけれど、そういえばわたしは先日彼に告白をすっ飛ばしてプロポーズされたんだったと思い出す。
「2人でも出かけたいけど、今日は糸のリクエストだから」
そう言って千冬くんが取り出したのはテーマパークのチケットだった。
まだ寝ていた糸に千冬くんがパークに連れて行ってくれるって、と言うと飛び起きてすぐに準備をし始めた。わたしと糸が準備している間、千冬くんにはリビングで待ってもらっていた。わたしより先に支度を済ませた糸が千冬くんとソファに並んでスマホを見ながら、あれ乗りたい、これ食べたいと話している。本当に兄妹みたいに仲良いなぁ、もういっそ千冬くんと糸の2人で行ってきたらいいのに。そう思いながら、アクセサリーケースからお気に入りのピアスとネックレスを取り出した。
「え、3人で行くの?」
「うん、そのつもりだけど」
「えっやだよ、一虎も呼んでよ。一虎が無理ならタケミっちでもいいから」
「なんで?」
「3人で行ったらわたしが2人の邪魔してるみたいじゃん!」
糸の言葉にわたしは持っていたピアスを落としてしまった。それを慌てて拾ってからちらりと千冬くんの方を見ると、わたしと同じように顔を赤くした千冬くんと目が合った。勘弁してほしい。
「ほんっとにさ、なんなの?この前から」
「一虎くん、ごめんね…」
結局一虎くんも呼び出して4人でやって来た。お店は定休日らしい。なんだかんだ文句を言いながらも休日にわざわざ出て来てくれるあたり、一虎くんも糸には甘い。
「一虎!わたしあれ乗りたい!」
「えぇー」
糸はいいよね、一虎くん大好きだもんね、来てくれて嬉しいよね。家にいた時より5割増しぐらいでテンションが上がった糸が一虎くんの腕を引きながらぐいぐい歩いていく。少し前から伸ばしはじめた糸の髪は、今は肩よりも少し長いぐらい。場地と同じ少しだけ癖のある黒髪。いや、本当にわたしの遺伝子はいったいどこに行ってしまったんだろう。糸は何年経っても変わらず場地にそっくりだ。女の子は男親に似るというけれど、わたしの要素が見つからなさすぎて少し寂しいぐらいだった。後ろから見てると糸と一虎くんが同じ髪型になってるなぁ、なんて思いながら、2人の後ろを手をポケットに突っ込んだまま歩いた。千冬くんはわたしの隣を歩いている。
「こういうとこ、場地さんとも来たりしました?」
「…場地がこんなところ連れて来てくれると思う?」
「あー…それは想像できないっすね」
「でしょ?」
場地とテーマパークって…似合わないにも程があるな、と想像して思わず笑いそうになった。そもそも場地とはデートらしいデートなんてあんまりしたことがなかった。
「デート自体そんなしたことないかも」
「そうなんすか?」
「うん、基本どっちかの家にいることが多かったかなぁ」
「あぁ、確かによく場地さん家で会いましたね」
まぁ家にいればすることなんて限られているんだけど。あぁもう、こんなこと言わなきゃ良かった。
「あのさ、千冬くんはさ…」
「ん?」
「わたしのこと、その…好きって言ってくれたけど、元彼とのこんな話聞くの嫌じゃないの…?」
隣を伺うようにチラリと見ると、千冬くんはこの前と同じ柔らかい笑顔でこちらを見ていた。
「いや、まぁ…相手が場地さんじゃなかったら絶対聞きたくないですけど」
場地とはまた違う、千冬くんの優しい笑顔。
「俺にとっても場地さんはすごく特別な人だから、名前さんと場地さんの話できるのは嬉しいですよ」
「そっか…」
そんな話をしながらのんびり歩いていたらとっくにお目当てのアトラクションの前に着いていた糸と一虎くんに「遅い」と怒られてしまった。
散々遊んで食べて、また遊んで食べて、ひたすらその繰り返し。糸がすごく楽しそうだったから、いつもならわたしはもうそれだけで満足なんだけど、今日はそれだけじゃなくて。
「はい、名前さん」
「……ありがとう」
千冬くんが買ってきてくれた飲み物を受け取る。今日は千冬くんがずっとわたしの隣にいて、何かと気を遣ってくれた。段差があると「危ないですよ」ってサラッと腰に手を当てたり、ちょっと疲れたね、なんて言うと「座って待ってて」と食べ物や飲み物を買ってきてくれる。糸が3人で行くのは嫌だと言った理由が、今になってよくわかった。娘と友達同伴だけど、これってデートなんだ。朝千冬くんが家に来たときに「デートしましょ」と言っていたことを今更思い出して顔が熱くなる。
デートなんて一体何年振りだろう。そもそも場地とだってほとんどしたことないのに。でもこういう特別扱いは恥ずかしさもあったけれど、やっぱり嬉しいとも思ってしまうもので。それは十数年振りのデートに少なからず浮かれてしまっているからなのか、それとも相手が千冬くんだからなのか、それはまだ分からなかった。
夜のショーも見たいけどお土産も見たいと言う糸に「場所取りしとくから行っておいで」と言うと嬉しそうに一虎くんの腕を引いてお店の方へと歩いて行った。千冬くんと2人で並んで立って、わたしは相変わらずポケットに手を突っ込んだままぼーっと遠くを見つめていた。
今日、楽しかったなぁ。糸も楽しそうだったし、一虎くんもなんだかんだ楽しんでたよなぁ。2人がお揃いの被り物してるのも可愛かったし。「名前さんも付けたら?」と言って勝手にわたしの分まで買おうとする千冬くんを止めるのはちょっと大変だったけど。千冬くんがわたしのことを色々気にかけてくれるのも、恥ずかしかったけどやっぱり嬉しかった。
「千冬くん…あのね、」
「ん?」
「わたし、今日楽しかったよ」
色々ありがとね、そう感謝の気持ちを伝えると、千冬くんは、はぁーーーと大きく息を吐き出した。
「今日は結構無理矢理連れ出しちゃったから…名前さんちゃんと楽しんでるかなってずっと気になってて…」
隣を見ると、千冬くんは赤くなった顔を隠すように手で口元を覆っていた。「あー、ダサい…」と言う千冬くんにそんなことないよ、と返す。
「どうせ朝は糸と2人で行けばいいのにとか思ってましたよね」
「はは、バレてる」
「やっぱり…まぁでも、楽しんでくれたなら良かった」
そう言って千冬くんは1日中ポケットに入れていたわたしの手を取り出してきゅっと握った。糸と一虎くんが今いなくて良かったなぁ、と思った。
こんな顔、絶対2人には見せられない。