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どうかブラックが飲めないきみのままで

「今度は2人でもデートしましょうね」

先日4人でテーマパークへ行った帰り、名前さんと糸を家まで車で送ったあと車から降りる名前さんにそう言うと、少しだけ顔を赤くして小さく頷いてくれた。初めて見る名前さんの表情につい口元が弛む。

「…お前俺がいるの忘れてない?」
「忘れてませんよ」

後部座席から一虎くんが呆れたようにそう言った。別に一虎くんの存在を忘れていたわけではない。

「なんせライバルが場地さんなんで…俺だって必死なんスよ」
「確かに手強いライバルだな」

つーかそれ千冬に勝ち目あんの?と、一虎くんが笑った。
それからすぐに名前さんに連絡をして、次の約束を取り付けた。もっと身構えられるのかと思いきや、あっさりと決まった次回の予定。たったそれだけで浮かれてしまいたくなる気持ちをどうにか抑えて当日を迎えたけれど、その日の夢に場地さんが出てきたから、俺なんか試されてんのかなって思った。


中学生の頃の俺は、とにかく場地さんにべったりだった。あの人が俺の世界の全てであるかのように思っていたし、まぁ実際そうだった。場地さんとケンカして、バイク流して、学校行って、団地の階段で朝まで駄弁って。あの頃の俺の世界は場地さん中心に回っていた。

「あ、場地さ、ん…」

ペケが上から降りてきたから、場地さんはきっと部屋にいるんだろうと思って窓から声をかけたけれど、返事はなかった。それからしばらくして団地の階段から場地さんの声が聞こえたから玄関から顔を出すと、そこにいたのは場地さんと名前さんだった。第二ボタンまで大きく開いた制服のカッターシャツから覗く白い肌や、長い髪を手櫛で直す仕草がやたらと色っぽく見えて、思わず息を呑んだ。

「あ、千冬くんだ」
「どうも…」

俺に気付いた名前さんが小さく手を振った。憧れの人の彼女をそういう目で見てしまったことへの後ろめたさで声が小さくなってしまった。今思えばあのときの2人は多分事後だった。我ながらまぁまぁ最悪なタイミングで声をかけたなと思う。

「じゃあまたね」
「本当に送ってかなくていーのかよ」
「うん、まだ明るいし」

そんな時間あったらテスト勉強しなよ、と笑う名前さんのおでこを場地さんが「うるせーわ」とデコピンした。どう見ても痛くなさそうなやつ。それから「バイバイ」と手を振ってから歩き出した名前さんの後ろ姿を見送った場地さんが、ふぅと小さく息を吐いた。そのときの場地さんの横顔を見て、この人は本当に名前さんのことが好きなんだなぁって漠然と思った。

「…なに?」
「あ、いや、なんかカッケーなぁと思って」
「はぁ?」
「女子高生のカノジョとか、普通に憧れますよ」

まぁ、それだけじゃないけど。いいなぁと思った。お互いに想い合う相手がいることを、純粋に羨ましいと思った。場地さんに想われる名前さんのことも、名前さんに大切にされている場地さんのことも。いつか自分にもそんな相手ができたらいいなって思った。まさか名前さんとそうなりたいと思う日が来るなんて、この頃の俺は想像もしていなかったけれど。今思えば、あの頃から名前さんに対しても憧れのような気持ちはあったのかもしれない。


名前さんとの約束は糸が小学校から帰ってくるまでの時間だけ、という条件付きだった。昼間の至って健全なデートだ。それでも名前さんが平日に俺に合わせて休みを取ってくれただけで、なんかもう言葉にならないぐらい嬉しすぎた。デートらしいデートなんてしたことがないと前に言っていたから、ありきたりだけど定番のデートプランを用意した。家まで車で迎えに行って、今話題の映画を観て、食事をして、テキトーにぶらぶらしてからネットで調べた人気のカフェに入った。

「何にします?」
「えー、悩む…」
「どれで悩んでるんすか?」
「このパンケーキと、こっちのケーキ」
「じゃあ両方頼んでシェアしましょうか」
「え、あ、うん…いいの?」
「いいよ」

すいません、と軽く手を挙げて店員を呼んで注文すれば、名前さんが「ありがとう」と笑ってくれた。俺が車のドアを開けたり、映画のチケットを買ってきたり、カフェでソファ側の席を譲ったり…そんな些細なことにいちいち反応して照れたように、でも嬉しそうに笑ってくれる名前さんが可愛くて仕方なかった。

「…今日夢に場地さんが出てきたんですけど」
「夢?」
「名前さんと出かける当日に場地さんの夢見るなんて、なんか試されてんのかなって思いました」

こんな日に場地さんの夢を見るなんて、もう牽制されてるとしか思えない。名前さんに対して独占欲の強かった場地さんらしいといえばらしいけれど。俺の話に名前さんは眉を下げて小さく笑った。

「いいなぁ」
「場地さんの夢、見ないんすか?」
「うん、あんまり出てこない」

この言葉はちょっと意外だった。そして同時に、こんな話しなきゃ良かったと思ってしまった。

「夢の中で場地は何してたの?」
「…名前さんと一緒にいる場地さんの夢、でしたよ」
「そっか。わたしの夢には出てこないくせに、千冬くんの夢には出てくるんだもんなぁ…」

少し拗ねたようにそう言って、窓の外に目を向けた名前さんの横顔に胸の奥が苦しくなった。名前さんの拗ねた顔なんて、あまり見たことがなかった。そしてその顔は、場地さんに向けられたものだから。今、目の前にいるのは俺のはずなのに。

「…想いが、足りないのかなって」
「想い?」
「なんかさ、わたし場地のことで思い出せないこと、もう結構いっぱいあって…日常の些細な出来事とかも記憶が断片的っていうか」

名前さんの目に、薄い水の膜ができていく様子をずっと見つめていた。綺麗だなって思った。名前さんが一度ゆっくり瞬きをして、長い睫毛が少し濡れた。

「1番辛いのはさ、」

「場地の声が、もう鮮明には思い出せない」

そう話す名前さんの声は震えていた。

「だからわたしの夢には出てきてくれないのかな…」
「名前さん、」
「お待たせしましたー」

名前さんの瞳から涙が溢れ落ちる寸前で、店員がさっき頼んだパンケーキとケーキと飲み物を運んできた。

「美味しそうだね」
「そうっすね…」
「写真撮ってもいい?」

パンケーキとケーキが並ぶ小さなテーブルの上、俺の前にホットコーヒーが置かれて、名前さんの前にはカフェラテが置かれた。泣きそうな顔をしている名前さんが、どうしたら笑ってくれるかなってずっと考えてた。

「俺さぁ」
「ん?」
「名前さんがブラックのコーヒー飲めないとこ好き」
「えっ…な、何急に…」
「コーヒーに砂糖とミルクいっぱい入れたり、なるべくカフェラテ頼んでるの可愛いなって思っていつも見てた」

顔を真っ赤にして固まる名前さんの目に俺が映る。それだけのことが、どしようもなく嬉しい。

「ずっと前から好きだったけど、俺今日1日でもっと名前さんのこと好きになったよ」

写真を撮ろうとして止まったままだった手を握ると、名前さんは恥ずかしそうに俺から目を逸らした。

「場地はさ、多分わたしがコーヒー飲んでるところなんて見たことなくて…」

赤い顔でちらりと俺の顔を窺うように見た名前さんが小さく俺の手を握り返した。

「だから、ブラックが飲めないわたしのことを好きなのは千冬くんだけだね」

そう言って恥ずかしそうに目尻を下げて笑う顔がどうしようもなく愛おしいから、やっぱり俺は場地さんに殴られてでもこの人のことを幸せにしたいと思ってしまうんだ。

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