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砕けた星のかけらを抱いて眠る

「名前さん、俺と結婚しませんか」

こういうのを青天の霹靂って言うのかなって思った。きっと場地は漢字で書けないね。


千冬くんと海に行ってきたらしい糸の靴から大量の砂が出てきて玄関を汚した。「ねぇ、靴から砂出てきたんだけど」と怒ろうとしたとき「バイクの後ろ乗せてもらっちゃった」とあんまり楽しそうに話すから、怒る気も失せてしまった。

付き合い始めてすぐの頃、わたしも海に行きたいと場地にせがんで連れて行ってもらおうとしたことがある。バイクで迎えにきてくれた彼の背中につかまったところまでは良かった。恋人らしい距離感に、やたらとドキドキしたことをよく覚えている。しかしバイクがぐんっと走り出した瞬間に、わたしは場地の耳元で「えっ、怖い怖い!やっぱり無理!!」と叫んだ。結局海どころかどこにも行けなくて、「お前とはもう二度と乗せねぇ」と言われてしまった。それからしばらくして、場地の後ろは一時千冬くんの特等席になってしまったのだ。千冬くんと一緒にいるときの場地の笑顔が好きだった。一緒にバイクに乗ったり、ケンカしたり、わたしにはできないことができる千冬くんが、いつも羨ましかった。


場地の子どもを妊娠していることが分かって、産みたいと言えば両親には反対されてめちゃくちゃ怒られた。当たり前だ。わたしはそのときまだ高校1年生で、親に頼らなければ子どもを産むことはもちろん1人で生きていくことすらできないような歳だったんだから。もしわたしが高校1年生の糸に同じことを言われたら、絶対反対するだろう。それでもどうしても産みたいと泣くわたしにお父さんは「子どもも自分も絶対に不幸にならない生き方をしなさい」と言って折れた。わたしはそのとき初めて涙を流すお父さんを見た。場地のお母さんには泣きながら何度も謝られた。本当は産んでほしいと思っていたけどきっと言えなかったんだろうな、と今になって思う。でも、産まれたばかりの糸を抱っこして涙を流す涼子さんに「可愛い赤ちゃんを産んでくれてありがとう」と言われたときに、産んで良かったなぁって、この子はちゃんと望まれてこの世に生まれてきたんだなぁって思った。あのときの気持ちを、わたしは一生忘れない。

お父さんもお母さんも、もちろん涼子さんも、糸にいっぱいの愛情を注いでくれた。糸が産まれてからはひたすら慌ただしい日々だった。育児は想像よりもずっとずっと大変で、それでも宝物みたいな瞬間がいっぱいあって、場地がいなくなってぽっかり開いた心の穴を糸が埋めてくれた。多分糸がいなかったらわたしは今生きていなかったと思う。以前千冬くんにそう話したら苦笑いされてしまった。

千冬くんもずっと糸のそばにいてくれた。父親代わりのつもりは本人にはないんだろうけど、糸にとっては兄であり、親友であり、時には父親のような存在だったと思う。

いつか大人になったら場地と結婚して、子どもを産んで、家族で暮らすのかな、なんて漠然と想像していた未来。幼いわたしが思い描いた未来、ここに場地はいないけど、糸を産んだことを後悔したことは一度もない。糸は命よりも大切なわたしの宝物だった。

糸が初めて歩いたときのことを、よく覚えている。他の子より歩き出すの早くてさすが場地の娘だなって思った。

糸が保育園に通い始めたとき、預けるときにいっぱい泣いてる姿を見たらわたしまで泣きそうになった。場地が見たらバカだなって笑うのかな。

糸が初めてお母さんって呼んでくれた。場地がお父さんって呼ばれてるところも見たかったな。

糸が「大きくなったら千冬と結婚する」って言ってた。千冬くんが半泣きになりながら動画撮ってて笑ってしまった。場地が見たら「娘はやらねぇ」って怒るのかな。

場地にも糸を抱っこしてもらいたかった。大きくなっていく糸を、彼と一緒に見守っていたかった。



「名前さん、俺と結婚しませんか」

千冬くんからの突然のプロポーズに、わたしは多分真っ赤になっていたと思う。そもそも付き合ってすらないのにいきなりプロポーズってどういうことなんだろうか。

「えっ、と…千冬くんてわたしのこと好き、だったの?」

そういえば、いつか場地にも同じ台詞を言ったことがあったなって思った。彼はあのときなんて言ったんだっけ。

「…好きですよ。もうずっと、何年も前から」
「うそ…」
「全然気付かなかったんですか?」

頷くわたしに、「まぁ、名前さんは場地さんのことしか見てないから」と千冬くんは苦笑いした。あぁ、そうだ場地は「誰もそんなこと言ってねぇだろ!」と言って顔を真っ赤にして否定たんだった。わたしはその顔がなぜだか可愛く見えて、場地のことを好きだなぁって思ったんだった。

「名前さん、俺じゃだめ?」
「だめ、とかじゃなくて…」
「俺のことそういうふうに見れない?」

実際、千冬くんのことをそういう対象として見たことはない。わたしの手を千冬くんが優しく握った。男の人に手を握られたのなんて12年ぶりだ。じんわりと汗がでてくるのが分かる。「じゃあこれからは俺のことも見て」と千冬くんが真っ直ぐにわたしを見つめるから、恥ずかしくなって思わず目を逸らした。

「わ、わたしだけの問題じゃないし…」
「糸は賛成してくれてるけど」
「えっ」
「名前さんのお父さんとお母さんも」
「ま、待って、どういうこと?」

そういえばこの前糸が「千冬と海に行ってきた」と言った日にそのあとわたしの実家にも寄ってから帰ってきたと話していたことを思い出す。

「えっ、もしかしてわたし外堀埋められてる?」
「そういうこと」

千冬くんがわたしの手をぎゅっと強く握り直した。わたしの冷えた指先をじんわり温めていく。

「名前さん、俺場地さんに殴られる覚悟できてるよ」

柔らかく笑ってそう言った千冬くんの言葉に、鼻の奥がツンとして、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。

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