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『じゃあこの前の公園で』

土曜日の午後、松野くんから指定された公園へと向かう途中、川沿いの桜が満開に咲き誇っているのを見て綺麗だなぁと思わず立ち止まって写真に収めた。ついこの前まで荒んだ心で睨みつけていたことを思うととんでもない心境の変化である。

昼間の公園は子どもがたくさんいて、土曜日だからか家族連れも多かった。明るい時間はこんなに賑やかなのに、夜になるとあんな変質者が出るなんて…とあの夜のことを思い出し少しゾッとする。本当に、あのとき松野くんがいてくれて良かった。

「みょうじさん!」

この前と同じベンチに座りぼーっと周りを眺めながら待っていると、約束の時間5分前に松野くんが小走りでやってきた。

「待たせてすいません」
「まだ5分前だよ」

走って乱れた前髪を手で軽く直す仕草にちょっとだけどきっとした。明るいところで見ると改めてド派手な金髪だなぁ。会社ではまず見ることのない髪色に改めて彼の若さを感じてしまう。


「松野くん、この前は本当にありがとう」
「あ、いえいえ。あれから何もないですか?」
「うん。あの、これ良かったら…」

深く頭を下げて先日のお礼を言うと、松野くんは顔の前で小さく手を振った。それから朝から近くの有名な洋菓子店で買ってきた可愛らしく包装された箱が入った紙袋をすかさず彼の前に差し出した。

「この前のお礼ってことで受け取ってもらえると嬉しいです」
「気にしなくていいのに」
「ここのお菓子美味しいんだよ。良かったらお家の人と食べて」
「なんか逆に気遣わせちゃいましたね、すいません」

そう言いながら紙袋を受け取ってくれた松野くんは公園の時計をチラリと見てからわたしに向き直る。

「みょうじさんまだ時間ありますか?」
「あ、うん」
「もうちょっとお話しません?」

そう言って松野くんはこの前わたしが飲んだくれていたベンチを指さした。


公園の入り口近くに設置されている自販機でそれぞれ飲み物を買って、数日前と同じように2人で並んでベンチに座る。散り始めてはいるものの、大凡満開に近い桜の下で、ちょっとしたお花見気分だ。欲を言えばお酒が良かったけど。

「なまえさん、って呼んでもいいっスか?」
「いいよ」
「なんであんな時間に外で1人で飲んでたんすか?」
「あー…実は彼氏に振られて」
「あ、なんかすいません…」
「いいよ、もう気にしてないし。別れて正解、みたいなクズ男だったから」

なんすかそれ、と松野くんが笑った。突然の名前呼びと可愛い笑顔にたまらずきゅんとなるわたしの心臓はやっぱりちょろい。まだ彼氏と別れてそんなに日数も経っていないのに、なんだかすっかり笑い話にできる程に吹っ切れているのはやはりこの隣に座る彼に少なからず惹かれているからなんだろうか。

「…二股かけられててさ、しかもわたしの他に本命がいたの。全然気付かずに半年無駄にしちゃった」
「それは確かに別れて正解のクズ男っすね」
「でしょ?松野くんは?」
「あ、千冬でいいっすよ」
「じゃあ、千冬くん。彼女とかいないの?」
「いたら土曜の昼間から人の愚痴聞いてませんよ」
「すいませんね…」
「冗談です」

苦笑いしながら千冬くんが言った言葉に、少なからずホッとしている自分がいた。そっか、彼女いないのか。そっかー、え、どうしよう。


春の暖かい陽気のせいなのか、千冬くんの隣にいるのがなんだが居心地が良くてつい長話してしまった。いつのまにか日は傾きかけている。たくさんいた家族連れもほとんど帰ったのか、もう人もまばらだ。公園の時計を確認するともう4時をすぎていた。

「わ、もうこんな時間。そろそろ帰ろっか」

とっくに中身が空になったペットボトルを公園に設置されたゴミ箱に捨てようと立ち上がる。

「千冬くんと話してるの楽しくて時間あっという間に過ぎちゃったな」
「送ります」

あとから立ち上がった千冬くんも、飲んでいたペットボトルを少し離れた場所からゴミ箱に投げた。カランと音がして、ペットボトルはゴミ箱に吸い込まれるようにして入っていった。

「いいよ、まだ明るいし」

本当はお言葉に甘えて送ってもらいたいし、もうちょっと一緒にいたいと思っていたけれど。つい遠慮してしまったのは、多分わたしが彼よりも大人だからだ。年下の男の子にどう甘えていいのかが分からなかった。

「なまえさんからなかなか連絡来なかったから、あのとき無理にでも連絡先聞いときゃ良かったってめちゃくちゃ後悔しました」
「え…」
「もう連絡来ないのかなって諦めてたらメール来て、めっちゃ嬉しかったっす」

少し離れた場所にいた千冬くんがわたしの前までゆっくり歩いてきて、手をきゅっと握られる。

「俺もっとなまえさんのこと知りたいって思ってます」

「また会ってもらえますか?」

不安げに見つめてくる澄んだ空色の瞳から目が離せなくて、気付けばわたしは小さく手を握り返し頷いていた。



「ふふふ」

土曜日の出来事を思い出してはつい顔がにやける。元彼が気まずそうに受付の前を通るのも全然気にならない。先輩に「良いことあったの?」と聞かれると「ちょっと聞いてください!」と食い気味に話してしまうほどには浮かれていた。

あのあと千冬くんはまたわたしのマンションの前まで送ってくれた。公園からの帰り道、手は繋がれたままだった。マンションの前についてもしばらく手を離してくれなくて、どうしようと思っていたら千冬くんが徐に口を開いた。

「今度いつ会えますか?」
「あ、えっと…次の週末なら…」
「ん、また連絡しますね」
「分かった」

じゃあ、と名残惜しそうに手を離した千冬くんは先日と同じようにわたしがマンションに入るまで見送ってから来た道を戻って行った。

もうそれからは千冬くんのことしか考えられなくて、早く会いたい、早く週末になればいいのに、次会うときはどこに行こう、なんてそればっかり。仕事中も口元がにやけないようにするのが大変だったし、多分目尻はだらしなく下がっていたと思う。4つも年下の男の子なんて…と悩んでいたのはなんだったのか。

その日はたまたま休日出勤の代休で平日だけど休みだった。せっかくの平日休みだしきっとどこも空いているだろうから街に出て買い物でもしようと駅に向かう途中、見たことのある金髪の男の子を見かけた。まさかこんなところで会えるなんて。しかし声をかけようとしてあげた右手がピタリと止まる。よく見ると、彼はなぜか制服を着ていたのだ。

「え、千冬くん…?」
「なまえさん!?」

声をかけると千冬くんは明らかに動揺して、やばい、という顔をしていた。シャツにネクタイまではいいとして、ローファーにスクールバッグ…これはもうどこからどう見ても高校生だろう。

「えっなまえさん今日仕事は?」
「今日休みなの。そんなことより千冬くん、それ高校の制服、だよね?」
「あーーーー…はい…」
「ん?ていうかもうすぐ12時だけど学校は?」
「……寝坊?みたいな?」

いや、12時ってもう寝坊って時間じゃなくないか?歯切れの悪い千冬くんの受け答えについイラッとしてしまう。

「千冬くん、本当はいくつなの?」
「高3の17歳…」
「前20歳って言わなかった?」
「そ、れは否定も肯定もしてないっす」

目を逸らしながらそう言う千冬くんに確かに言われてみれば、20歳ぐらい?と聞いたわたしに彼は否定も肯定もしなかったと思い出す。いやでもだからって高校生って…17歳って…まだ未成年じゃん…。わたしが手を出したら犯罪じゃないのこれ?

「黙ってたのは、すいません」
「…とりあえず千冬くん今すぐ学校行きなよ」
「は?まだ何も話終わってないですけど」
「わたし今は何も話す気ないよ」

千冬くんの学校が終わってからまたあとで話そうと言うと、彼は渋々学校へと向かった。4つどころか6つも年下だった男の子の背中を見送りながら、わたしはしばらくその場に立ち尽くしていた。
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