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今まで女子と付き合うときは、大抵付き合うちょっと前からなんとなく良い感じになって「三ツ谷のこといいなって思ってるんだけど」「じゃあ付き合う?」みたいな流れが多かった。恋愛ドラマや少女漫画のようにライバルが現れたり付き合う前になってやたらすれ違うような展開はない。
俺も苗字のことが好きだと自覚して、苗字も俺のことが好きで。まあ、今もそれなりに良い雰囲気ではあると思う。しかし、じゃああとは告白して付き合うだけ…とはならないのが苗字名前というやつらしい。
「苗字ってほんっとメール返さねぇよな」
「すいません…」
相変わらず気まずそうに目を逸らす苗字は、昨日も俺とのやりとりを2通で切り上げた。かと思えば、忘れた頃にいつの返信だよっていうようなメールが届く。苗字は天然人タラシの素質があると思う。
「この前幼馴染にも同じことで怒られたんだよねぇ…」
最初は、へー苗字も幼馴染いるんだな、ぐらいにしか思わなかった。それは多分自分にとって幼馴染といえば八戒で、周りを見てもマイキーと場地みたいに同性同士が多かったからだ。
しかし「今日部活ないんだけど一緒に帰らねぇ?」と誘ってみれば「あー、ごめん。今日幼馴染と会う約束してて…」と返され、「そんなんカバンに付けてたっけ?」とルナとマナの好きそうな白いキャラクターのキーホルダーを指差して聞いてみると「この前幼馴染がゲーセンで取ってくれて」と返された。
苗字と話していると少しずつその気配を増す"幼馴染"に、だんだんと嫌な予感がしてくる。
「テストの日一緒に映画観に行ってたのって、」
「そうそう、幼馴染」
「ほんとに仲良いんだな」
「小さい頃からずっと一緒だからね」
元々母親同士が仲良くて、と幼馴染の話をしてる時の苗字のいつもより楽しそうな顔にやけにイラついた。そして直感する。これはあまり良くない状況だと。
「その幼馴染ってさ、」
「ん?」
「…男?」
「うん」
あーーー…やっぱりな。
いつもメールしてる相手も多分その"幼馴染"、なんだろう。
「苗字の幼馴染ってうちの中学?」
「ううん。わたし中学入る前に引っ越したから」
「へー、知らなかった」
よく考えると俺って苗字のことほとんど何も知らねぇんだよな。どこに住んでいるのかも、誕生日も血液型も好きな食べ物も知らない。知っていることといえばメールの返信が恐ろしく遅いことと、意外と足が速いことと、あとは英語と数学の授業中によく眠そうにしていることぐらい。
多分その幼馴染はもっと苗字の色んなことを知っていて、それは、なんというか……面白くない。
幼馴染ってずるくね?だってその関係だけでもうそれこそ恋愛ドラマか少女漫画じゃん。隣の席だってありがちなシチュエーションではあるけども、苗字の隣の席はあと数ヶ月後には俺じゃなくなる。ずっと小さい頃から苗字と一緒にいて、当たり前に放課後遊んだり映画を観に行ったりできる関係にある幼馴染が正直羨ましい、なんて俺らしくもないことを考えるほどには焦っていた。
じゃあどうするかっていうと、もう自分から攻めるしかないわけで。
「苗字、12日って空いてる?」
「空いてるけど…」
「え、マジで?」
どうせまた幼馴染が…と、断られると思っていたから思った以上に間抜けな声が出てしまった。
「じゃあ12日は俺に1日ちょーだい」
「え?」
「デートしよ」
「でっ…!?」
ぶわっと一気に顔を赤くした苗字のその顔が、ずっと俺だけに向けられていればいいのに。
「い、いいの…?」
「なにが?」
「だってデートって…その、わたしなんかでいいの…?」
「苗字が、いいんだけど」
「あ、はい…」
「はいって」
こいつ、意味分かってんのか。
授業が始まってから、カバンから取り出したスケジュール帳に何かを書き込もうとした苗字の手がふと止まる。ハッとしてこちらを向いた苗字が「み、三ツ谷くん…」と恐る恐る、小さな声で聞いてきた。
「12日って、6月の12日で合ってる…?」
「うん、合ってる」
「えっ、あの、だって…」
知っていてくれたらいいなとは思っていたけれど、本当に知っていたとは。それだけでさっきまでの幼稚な感情がみるみるうちに萎んでいく。
いつのまにか苗字の反応に一喜一憂している自分に驚きつつも、こういうのも悪くないなと思った。たまには俺にだって少女漫画みたいな展開があったっていいんじゃねぇの?
その日の放課後、たまたま立ち寄ったコンビニで苗字を見かけた。
「苗字」
「えっ、み、三ツ谷くん!?」
お菓子を選んでいる苗字の背後にそっと近づき肩をポンと叩くとビクッと大袈裟に身体を跳ねさせた。「驚きすぎ」と笑うと、赤くなった顔を手で扇ぎながら「三ツ谷くんが驚かすからじゃん」とじとりと睨まれた。
「苗字の家ってこっちだっけ」
「ううん、今から幼馴染の家に行くところ」
出た、幼馴染。つーか頻繁に会いすぎじゃね?
どんだけ仲良いんだよ。
「おい、名前早くしろよ」
そのとき、頭上から聞こえた苗字を呼ぶやけに聞き覚えのある声に顔を上げると、予想外の人物がそこにいた。
「場地…?」
「おー三ツ谷じゃん」
「あれ、2人知り合いなの?」
「同じチームなんだよ」
な?と俺を見る場地に声には出さずに頷いた。えー、全然知らなかった!と驚く苗字の数倍、俺の方が驚いている。
「名前と三ツ谷も知り合いなん?」
「今同じクラスなの」
「マジかよ。世間狭いな」
場地と苗字という意外すぎる組み合わせにも驚いたけれど、それよりもただの友人にしては近すぎる2人の距離感の方が気になる。場地の持つカゴの中を覗き込む苗字の楽しそうな顔に、心臓がどくんと嫌な音を立てた。
コンビニから出た場地が苗字の頭にヘルメットを被せて、苗字も慣れた様子でバイクの後ろに跨り、前に座る場地の腰に腕を回した。俺とはほとんど身長差がない苗字が、場地と並ぶとなんだか絵になるのもムカつく。
「じゃあ、また明日学校で」
「また集会でなー」
2人がバイクで走り去っていった方を見ながらしばらくぼーっと突っ立っていた。
なんであの2人が…だって場地の幼馴染といえばマイキーで、マイキーから一度だって苗字の話を聞いたことはない。「元々母親同士が仲良くて」と言っていたからマイキーとは繋がっていなくて、ただ俺が場地の交友関係を深く知らないだけなのかもしれないけれど。
「あーーー、マジかよ…」
少女漫画のような展開があってもいいとは思ったけど、こんな展開は望んでねぇんだよ。
どうか場地が苗字のことを好きじゃないようにと願ってしまった自分のダサさに深い溜息が溢れた。