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彼氏がいる女子に無理やりキスをしたら嫌いだとはっきりと言われた。死にてえ。思い出すだけで罪悪感とか羞恥心とかありとあらゆる負の感情に殺されそうだった。そんなことを考えていたとき、クラスの女子たちの会話を聞いて更に死にたくなった。

「ねぇ名前の彼氏来てる!」
「え、嘘!?他校生でしょ?」
「さっきゴミ捨て行ったとき校舎裏に2人でいるの見ちゃった」
「こっそり入ったってこと?」
「えーなにそれ少女漫画じゃん!」

保護者以外の一般来場はできないからおそらくどこかの塀でも登って入ってきたんだろう。呆れてしまうような行動なのに、苗字の為ならさらっとやってのける千冬に嫉妬すら覚える。苗字が呼んだんだろうか。今頃泣いてる苗字を慰めているんだろうか。抱きしめてキスでもしているんだろうか。俺が苗字にしたような独りよがりなキスじゃなくて、ちゃんとした……あー、消えたい。割とガチで。今までとは比にならないぐらいの自己嫌悪だった。その日、文化祭が終わってから手芸部の展示の片付けをしていた時、先日一緒に帰った後輩に告白をされて断った。期待を持たせるような態度を取ったのは自分だって分かっていたから、後輩の泣き顔を見ながらまた自己嫌悪で死にたくなった。

「三ツ谷、手芸部の後輩と別れたってマジ?」
「…そもそも付き合ってねぇから」
「お前ら前もそんな会話してなかった?」

ちらりと女子のグループに目を向けると、ふと苗字と目が合った気がした。文化祭以降、苗字には避けられている。目が合っても挨拶をしないどころかすぐに逸らされてしまい、なにも話せないまま謝ることもできずにずるずると時間だけが過ぎていった。自分のしたことを考えれば仕方がないとは思うけど、好きな子に避けられているというのはなかなかにキツかった。


それからあっという間に2ヶ月が経って、季節は秋から冬に移り変わろうとしていた。壁にかけられた上着を羽織り家を出ると、いつのまにか冷たくなった風が頬を撫でて冬の気配をより近くに感じた。血のハロウィンのあと病院に運び込まれた場地はなんとか一命を取り留めた。一時は死の淵を彷徨ったが数日後に意識を取り戻し、先日ようやく一般病棟に移ったと聞き見舞いに行ったのは平日の昼間だった。もちろんサボりだ。

「よっ」
「おー三ツ谷、学校は?」
「んー…自主休校?」
「お前もかよ」

留年しても知らねーぞと続けた場地に「そんなことになんのはお前だけだから」と返す。すっかり元気になったその姿を見て心底ほっとした。場地が背中を預けているベッドの隣に簡易的な椅子が一脚置いてあり、その上に小さな女物の鞄があることには気付いていた。しばらく他愛のない話をしていると、よく知った声が聞こえてきた。

「場地くん、お花ってこんな感じでいい、の…」

花瓶を持ってノックもせず病室に入ってきたのは苗字だった。俺がいることに気づき、一瞬顔を引き攣らせたけれどすぐに何事もなかったかのようにベッドの隣の小さな棚の上に花瓶を置いた。

「なんでもいーわ。どうせ花なんて持って来んの名前ぐらいだし」
「いいじゃん、お花。テンション上がらない?」
「全然」

花瓶に生けた花はどうやら苗字が持ってきたものだったらしい。確かにピンクやオレンジなんかの明るい色合いの花は場地の病室にはなんだか不釣り合いに見えた。ペヤングの方が嬉しい、と言う場地に「まだ食べれないじゃん」と苦笑いする苗字がちらりと俺に視線を向けた。

「三ツ谷くんも来てたんだね」
「あー、まぁ…苗字もサボり?」
「自主休校ってやつです」

その言葉を聞いて思わず吹き出すと、え、なに?と少し困ったような顔をした苗字がやっぱり可愛い、なんて思った。でも今こうして普通に話してくれているのはここに場地がいるからで。きっと2人きりになったらまた学校のように避けられてしまうんだろう。



「千冬もあとで来るって言ってたよ」
「あいつ毎日来るんだけど」
「仕方ないよ。千冬は場地さん大好きだから」
「めんどくせー奴」
「嬉しいくせに」
「うるせー」
「…ほんと、馬鹿なことはもうやめてよね」

盗み聞きするつもりはなかった。飲み物を買いに一度病室を出て、戻ったときに聞こえてきた会話に、思わず扉にかけていた手が止まる。

「名前」
「ん?」
「悪かった、千冬のこと」

少しの間を置いて、苗字が鼻を啜る音が聞こえてきた。あぁ、今泣いてんだなって思って、そういえば苗字の泣き顔ってちゃんと見たことないな、なんてぼんやりと考えていた。

「ほ、ほんとにっ、心配した…っ」
「ん、」
「千冬はぼろぼろになって帰ってくるし、なにがあったか聞いても教えてくれないし……場地くんは救急車で運ばれて、助からないかもって言われて…」
「悪ぃ…」
「…もう二度とこんなことしないで」

今度千冬のことぼこぼこにしたらわたしが場地くん殴りに行くから、と泣きながら続けた苗字の言葉に場地は笑っていたけれど、俺は思わずその場に座り込んでしまった。苗字は今千冬のために泣いてるんだと思うと、どうしようもなく胸が苦しくなった。


「…わたしそろそろ帰るね」
「ありがとな」
「また来るよ」

しばらくその場に座り込んでいると聞こえてきた会話に慌てて立ち上がったのと同時に病室の扉が開いた。

「悪い、立ち聞きするつもりはなかったんだけど…」
「…じゃあね、わたしもう帰るから」
「あ、苗字待って」

どうにかして引き留めないと、と思い気が付けば苗字の手首を掴んでいた。

「送ってく」
「いいよそんなの」
「いや、送るっていうか……話があるんだけど」
「…離して」
「離したらお前逃げるだろ」
「わたしは三ツ谷くんと話すことなんてないから」
「俺はあるんだけど」
「……っ、聞きたくないんだってば!」

突然大きな声を出した苗字がハッとしてその場から走って逃げた。慌てて追いかけたけれど、途中で「病院内は走らないでください!」と怒られてしまった。つーか足速ぇんだよアイツ!

「名前!」

そのとき聞こえた声は紛れもなく千冬のもので。その場に立ち尽くす俺を置いて、すぐに苗字のところへ走っていった千冬を純粋に羨ましいと思った。

ずっと羨ましかった。なんの理由もなく苗字の隣にいられる幼馴染という関係も、当たり前のように触れてしまえる距離感も。苗字の"特別"であることが、どうしようもなく羨ましくて妬ましかった。それが自分じゃないのが、悔しくて仕方なかった。好きだから手放したい、なんて俺はただ格好悪いところを見せたくなかっただけだ。自分が振られたくなかっただけ。

でも、そんな取るに足らないプライドはもうどうでもよかった。
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