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文化祭準備で遅くなる、という名前に「迎えに行こうか?」と言ったのはもちろん単純に暗くなってから1人で帰るのが心配だったからというのもあるけれど、名前の学校の男子に牽制したかったから、というのもあって。我ながら小さい男だと思う。正直こんな提案断られると思っていたのに「え、いいの?」と言った名前がなんだか嬉しそうな顔をしてくれたから、こんなことで喜んでもらえるなら多少遠くても迎えぐらいいくらでも行ってやるって思った。

校門前で待っていると他校の制服だからか、それとも俺の髪色のせいか、出てくるやつにちらちらと見られるのがどうにも居心地が悪い。着替えてから来れば良かったかな、なんて思っていると校舎の方から歩いてきた名前が「お待たせ」と少し恥ずかしそうに眉を下げてへらりと笑った。ほんの些細な違和感だったと思う。でもなんとなく、いつもと違う名前の笑顔が見過ごせなくて、「…なんかあった?」と伺うように聞いてみた。

「そういうの、なんで分かるの?」
「分かるわ。何年一緒にいると思ってんだよ」

名前が俺の些細な変化に気付くように、俺だって名前に何かあったら気付けるぐらいには同じ時間を過ごしてきた。なんか困った顔してる、と名前の頭に手を伸ばしてぐしゃぐしゃと撫でる。もーやめてよ、なんて今にも泣き出しそうな声で言われてもな。そのまま抱き締めてしまいたかったけれど、まだ名前の学校の前だったからやめておいた。

「迎えに来たの、やっぱり嫌だった?」
「全然違う。お迎えは普通に嬉しい」
「…ふーん」
「あ、照れてる」
「うるさい」

くすくす笑った名前がするり、と俺の手を攫ってそのまま歩き出した。一瞬なにが起きているのかわからなくて「は、え?」と思わずまぬけな声を出してしまった。

「三ツ谷くんが、彼女といるところ見ちゃっただけ」
「…あ、そう」
「多分後ろにいると思うから、ちょっと見せつけてもいいですか」

利用してごめんね、と苦笑いして小さく謝った名前の手をぎゅっと握り直す。利用されているだけだとしても、名前と手を繋いで歩けるだけで簡単に喜んでしまう自分に少し呆れてしまうけど、「今千冬が居てくれて良かった」なんて言われたら結局そんなことは全部どうでも良くなってしまう。だって名前が笑ってくれるならそれでいいって思ったのは確かなんだから。

「なんかね、」
「ん?」
「さすがに彼女と一緒にいるところ見たら、ちょっと吹っ切れたっていうか」
「…もしかして俺に気遣ってる?」
「そんなことないよ」

前を向いたまま話す名前の横顔をちらりと盗み見る。確かに以前のように傷付いたような顔はしていなかった。一雨ごとにゆっくりと冷たくなっていく秋の風が2人の間に通り抜け、名前の髪を静かに揺らした。

「完全に忘れられたわけじゃないけどさ、こうやってちょっとずつ消化されていくのかなぁって思った」
「時間が解決してくれる、ってやつ?」
「うん、そんな感じ」

そうなればいいと思う、柔らかく笑ってそう続けた名前の手を、もう一度しっかりと握り直した。




数日前、文化祭で浴衣を着ると聞いて素直に「見たい」と言えば「じゃあ来る?」と返された。平日に行われる公立中学の文化祭なんだから、保護者以外の一般来場は禁止されている。「こっそり入っちゃえば分かんないよ」と平然と言う名前に小さく溜息を吐いた。

「バレたらやべーだろ」

俺は良いとしても名前は今年受験生なんだから、内申とか色々、バレたら不味いなんてもんじゃないだろう。

「ヤンキーなんだからそれぐらいできるでしょ」
「お前ヤンキーをなんだと思ってんだよ」
「でも見たいでしょ?浴衣姿」
「………」
「分かりやす」
「はー、うざ」
「彼女に向かってうざいはなくない?」

この前の仕返しとでも言うように、以前俺が言った言葉をにやにや笑いながら真似された。

「はいはい、うざくない可愛い」
「褒め方が雑、やり直し」
「世界一可愛い名前の浴衣姿見たいし、キスもしたい」
「…それはだめ」

ついでにオネダリもしてみたけれどいつもと同じようにあっさりと躱されてしまったし、困ったように笑ってお預けをする名前は悪魔だと思う。でも「まだ、だめだよ」なんて言葉はずるいにも程があるし、最近俺たちの間には明らかに以前とは違う甘い空気が流れていた。気のせいじゃなければ、だけど。でもこんなの期待すんなってのが無理な話だ。ちょっとずつでいい、少しずつ名前が俺のこと見てくれたら良いって思っていた。でもそんなのは俺の勝手な願望に過ぎなかった。



「ごめん、千冬……ごめんね…っ」

ぼろぼろと泣きながら肩を震わせる名前の身体を静かに抱き締めながら、心臓がどんどん重たくなるのを感じていた。


授業中に震えた携帯を教科書で隠しながら開くと、名前から浴衣姿の写真が届いていた。なんて返事をしようかと少し悩んで『かわいい』とだけ送っておいた。俺が褒めるといつも嬉しそうにはにかむ名前の笑顔が好きだった。思い浮かべた顔に無意識に口元が緩んで、誰に見られているわけでもないのに慌てて隠すように手で口を覆った。この姿を名前と同じ学校の奴らに、というか三ツ谷くんにも見られていると思うと複雑だったけど。それからしばらくして『今から会えない?』というメールと、それから1分もしないうちに『ごめん、冗談。忘れて』というメールが届いた。文化祭中なのに今からって、何言ってんだコイツ…ってそう思ったのは一瞬だけで、数秒後には教室を飛び出して家に帰り、団地の駐輪場に停められていたバイクに飛び乗っていた。名前の学校までかっ飛ばして、テキトーな場所に駐車して乗り越えられそうな塀を探して乗り越えて不法侵入。自分の行動力に我ながらビビる。学校を飛び出してきたこととか、バイク駐禁取られるかもとか、見つかったらやばいとか、そんなことはもうどうでも良かった。

「来たけど」
『え、うそ…』
「今どこ」
『校舎裏の…え、本当に来たの?』
「お前が会いたいつったんだろ」

電話をかけると鼻声の名前が出て、やっぱりなって思った。言われた通りに校舎裏を探すとすぐに膝を抱えて座り込む名前を見つけた。真っ赤に腫れた目が痛々しかった。

「千冬、」
「なにがあった?」
「…ひっ、ぅ…っ、あの、ね…っ」
「あーごめん…落ち着いてからで良いから」

閉じ込めるように抱きしめた俺の腕の中で嗚咽を漏らす名前の背中を出来るだけ優しく撫でながら、きっと三ツ谷くんのことなんだろうなってどこか遠くのことのようにぼんやりと考えていた。分かっていたはずなのに、やっぱり三ツ谷くんのことで泣いている名前を見るのは結構キツいものがあって。しばらくして落ち着いたらしい名前がもう一度、ごめん、と小さく謝って身体を離した。

「無理に話さなくてもいいから」
「……わ、わたしが、悪いの…」
「………」
「わざと三ツ谷くん試すようなこと言ったの…っ」

ずしん、と身体の真ん中で鉛のように重くなった冷たい心臓が苦しくて、上手く息ができない。でも頭の中はやけにクリアで冷静だった。

「わたし、三ツ谷くんのこと…」
「言わなくていい」
「でも…っ」
「それ以上言わないで。ごめん…聞きたくない」
「……っ」

名前の耳を塞いで、唇を重ねた。怒られるかな、と思ったけれどそんなことはなくて。でも怒ってくれた方がよっぽど良かったのかもしれない。罪悪感とか後悔とか、そんな感情ばかりを乗せた初めてのキスは俺たちを苦しめるだけだった。
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