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文化祭当日、男子の格好は甚平だったり浴衣だったりクラスTシャツだったりと様々だったけれど、ほとんどの女子は浴衣を着ていた。朝からずっと写真を撮ってはしゃいでいる女子たちを見る男子もみんな浴衣姿に内心テンション上がりまくりだったし、浴衣ってなんでこんな可愛く見えんだろーな、とぼそりと呟かれた誰かの一言に男子全員で頷いた。浴衣を着ているだけで3割、いや5増割だ。

苗字は白地に淡い青の花柄の浴衣を着ていて、髪はサイドを編み込みにして下の方で緩くお団子にされていた。あの日見れなかった浴衣姿がこんなにあっさりと見れてしまったことが嬉しいような、ちょっとガッカリしたような…というか、俺以外の男子にも見られているのが気に入らない。やっぱりあの夏祭りの日に俺のために浴衣を着てきた苗字を見たかったし、浴衣姿の苗字と夏祭りに行きたかった、なんて自分から手放したくせに相変わらず胸の内には自己中な考えが浮かんでは消えていく。アイツはもう千冬と付き合っているのに、なんでこんなにも好きなままなんだろう。2人でいるところを見て、なんでそこにいるのは自分じゃないんだろうと思ってしまった俺は末期だと思う。でもやっぱりあのまま苗字と付き合ったとしても上手くいく気がしないのもまた事実で。それは多分俺がどこかでこの2人の間には割って入れないと思っているからだ。いや、認めたくはねぇけど。それぐらい特別な空気が千冬と苗字の間にはあった。

「ね、この写真名前めっちゃ可愛く写ってるよ」
「ほんと?え、それ送って」
「はいはい、噂の彼氏に送るんでしょ?」
「…違うって」
「顔赤いよ」
「ねぇ、彼氏の写真ないの?」
「えー、ないよ…」

ふと聞こえてきた女子たちの会話に、はぁ、とでかいため息を吐いたのとほぼ同時に隣からも大きなため息が聞こえてきた。

「苗字やっぱ可愛いよなー…」

あーあ、彼氏羨まし…という言葉に頷きかけたとき、ピロン、と隣の男子が持つ携帯が鳴った。カメラは明らかに苗字の方を向いている。

「…いや、盗撮はだめだろ」
「見逃せよ!俺ら失恋仲間じゃん!」
「一緒にすんな」

そうだった、俺こいつに体育祭のとき苗字のこと好きかと聞かれて頷いたんだった。うわ、完全に忘れてた。「三ツ谷ってさ、マジで苗字と何もなかったん?」と聞きながら、ちゃっかり浴衣姿の苗字の写真を保存している。くっそ、その写真俺もほしい、なんて口が裂けても言えねぇけど。その代わり、今更効果があるかはイマイチ分からないが牽制だけはさせてもらおう。

「……何もなくはねーけど?」
「えっ、ちょっと詳しく」
「やだね」

椅子から立ち上がり、もう一度ちらりと女子の方を見ると苗字と目が合った。多分。気まずくて視線を逸らしたのは、どっちが先だったかは分からない。





他に飲食ができるクラスが少なかったのか浴衣効果だったのかは分からないが、うちのクラスはなかなかに繁盛していた。引かない客足にみんなが慌ただしく動く中、さすがに部活の方に顔を出していいかとは聞けなくて予定の時間を随分過ぎてから「遅くなってごめん!三ツ谷くん交代していいよ」と文化祭の準備の大凡を仕切っていた女子に声をかけられ奥に引っ込んだ。教室の端のカーテンで仕切られた空間に入ると、苗字が窓に身を預けて携帯を触っていた。ちらりと見えた、小さく緩んだ口元に胸の奥がざらりしたような感覚になる。でもこちらに気付くと軽く振り返った苗字のうなじの後れ毛が可愛くて、今この瞬間を写真に収めたかったな、なんて考えてしまった。

「あ、三ツ谷くん、お疲れ〜」
「お疲れ、休憩?」
「ううん。もう交代」

友達待ってるの、と話す苗字の手の中で携帯が小さく震える。さっきの写真は、もう千冬に送ったんだろうか。

「三ツ谷くんは浴衣じゃないんだね」
「あー、部活も顔出さないといけねーから」
「そっか」

ちょっと見たかったな、なんて彼氏いるくせに俺にそんな顔見せてんじゃねーよ。ピカピカと水色のランプが光る携帯の画面を確認することなく続けられる会話に、ほんの少しホッとする。くそ、だせーな俺。

「つーか髪すげぇな。自分でやったん?」
「まぁ、練習したからね」

誰かさんのために、と悪戯っぽく笑う苗字の中に俺へのわずかな好意を見つけるたびに、胸が高鳴って仕方なかった。だめだろ、こんなの。そんなふうに言われて、隙見せられて、つけ込みたくなる。

「あの日ごめんな」
「もう謝らないでよ」
「俺も苗字の浴衣姿すげぇ見たかった」
「うん」
「似合ってる」
「…ありがとう」

俺が何かを言うたびにちょっとずつ、2人の間の空気が張り詰めていくのが分かった。俯いた苗字が手の中の携帯をぎゅっと握り締める。

「…三ツ谷くんてさ、ずるいよね」
「そうかな」
「わたしが三谷くんのこと好きだって分かってて、デート誘ったり、勝手にキスしたりしたくせに…」
「………」
「自分から振ったくせに、今更こんなこと言うのずるいよ」

震える声で吐き出された言葉が、細い針のようにちくちくと胸に突き刺さる。

「わたしだって、三ツ谷くんがなに考えてるのかわかんない……っ」

一瞬だった。ほんの一瞬、1秒にも満たない時間。布一枚で仕切られた向こう側は相変わらずざわざわとうるさいはずなのに、目に涙を溜めた苗字の小さな吐息の音しか聞こえない。掠め取った唇はやけに冷たく感じた。

「ほんとに分かんない?」

最低、と苗字が言い終わる前にもう一度押しつけた欲は、あまりにも自分勝手な気持ちだった。我ながら本当に最低だなと思う。

「苗字といるとどうしていいか自分でも分からなくなる」
「…なにそれ」
「好きだけど、手放したい」
「じゃあこんなことしないでよ」
「でも好き」
「意味、分かんない…」

異様な胸の高鳴りと、千冬への罪悪感を持て余して再び顔を近付けると「やめて」と顔を背けられた。

「いや?」
「…当たり前でしょ」
「千冬に悪いから?」
「……」
「苗字ってさ、千冬のこと好きなの?」
「何でそんなこと聞くの…」
「俺のことは、もう好きじゃない?」
「……こんなことする三ツ谷くんは嫌い」

退いて、と冷たい声で言われて素直に苗字の前から退くと俺の顔を見ることなく走って教室から出て行った苗字は多分泣いていた。

「はぁ…なにやってんだよ俺……」

途端に襲いかかってくる、今まで感じたことの無いほど大きな罪悪感に押し潰されそうだった。もうしばらくは千冬の顔も、ついでに場地の顔も見れそうにない。
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