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文化祭を目前に控え、浮き足立つ学校内にちらほらとカップルが増えた気がするのは多分気のせいじゃない。毎年のことである。なぜか自分自身にも身に覚えのない噂が立っているが、もちろん彼女なんてできていないので無視していた。苗字に未練たらたらのこんな状況で他の女子と付き合うような図太い神経はさすがの俺も持ち合わせちゃいない。

今日と明日は通常授業は行われず、明後日から始まる文化祭の準備に充てられている。うちのクラスは縁日をやる予定だが、ほとんどの準備は女子主導で進められていて男子は言われた作業をただやるだけだ。下書きされた看板にペタペタと絵の具を塗りながら、あーあさっさと部活の方に顔を出して作業を進めてぇな、抜けたら女子に怒られっかな、なんて考えていたときのことである。

「苗字、他校に彼氏いるってマジなんかな…」

小さくぼやいた男子につられて、教室内の女子グループへちらりと視線をやったがそこに苗字はいなかった。またすぐに手元に視線を戻し気にしていないふりをして手を動かしながら、全神経を右耳に傾ける。

「あ、俺この前一緒に歩いてんの見たわ」
「俺もー」
「えっ!どんな奴だった!?」
「なんか長髪の、ヤンキーみたいな」
「そうそう。髪長くて、背も高めで。顔もかっこよかったと思う」
「えー…苗字ってヤンキー好きなんかな…」

いや、またお前かよ!とよく知る長髪に脳内でツッコミを入れる。まぁ普通にあの2人が一緒にいるところを見たら勘違いするのは分かるけど。特徴からして恐らく千冬のことを言っているわけではないと分かり思わず脱力すると「どうした?」と声をかけられた。

「別に…」
そいつ多分彼氏じゃねーよ、と続けようとしてやめた。この勘違いでこいつが苗字のこと諦めんならそれはそれでいいと思ってしまったからだ。自分の心の狭さに呆れる。自分から振ったくせに苗字が他の誰かのものになるのは気に入らないなんて、随分身勝手だとは思うけれど。

「あの、三ツ谷部長いますか?」

そのとき、自分を呼ぶ声が聞こえて教室の扉の方へ目を向けると、手芸部の後輩がきょろきょろと教室内を覗っているのが見えた。

「三ツ谷くーん、お客さん」
「はいはい」

手芸部の後輩ということは部活の文化祭絡みでの用事だろう。手にしていた筆を他のやつに押しつけて後輩の元へ行くと、緊張が解れたような、ホッとした顔を向けられた。多分他学年の教室の居心地の悪さからだろう。

「どうした?」
「あの、文化祭の作品展示のことで相談があって…」

教室まで来ちゃってすいません…と恥ずかしそうに俯く後輩に「いいよ、家庭科室行くか」と声をかけた。ラッキー、このままクラスの準備を抜けて部活の方へ行こう、なんて考えがバレないように「ちょっと部活の方顔出してくるわ」とあたかも申し訳なさそうなポーズを近くにいたクラスメイトに見せて教室を出る。するとちょうど段ボールを抱えてふらふらと向こうから歩いてきた苗字と目が合った。手伝おうか、と声をかけようとした瞬間、ふいっと目を逸らされた。

「苗字、俺持つよ」
「あ、ありがとう」

教室から出てきた他の男子が苗字の手から段ボールを受け取り、それに柔らかく笑ってお礼を言って2人で教室に入っていく様子を呆然と眺めていると「三ツ谷部長?どうかしましたか?」と隣にいた後輩に声をかけられた。

「いや…なんでもない」

絞り出した声は酷く掠れていた。


結局部活の方が準備に切羽詰まっていて、放課後までほとんど教室には戻れなかった。おかげて手芸部の展示準備はかなり進んだけれど。

「三ツ谷部長、すいません…こんな時間まで付き合わせてしまって…」
「いいって、気にすんなよ」

結局完全下校ぎりぎりまで残って作業していた後輩と2人で家庭科室を出た。「鍵返してくるわ、お疲れ」と声をかけて職員室へ向かおうとした俺の制服の裾をくんっと控えめに引っ張られる。

「あの、部長…」
「…どうした?」
「一緒に帰りたいって言ったら、迷惑ですか?」

前にも一度家の近くまで送って行ったことがある。その時はもう外が真っ暗だったから仕方なく送っただけだったのだが。そして気付く、俺の新しい彼女と噂をされているのがこの後輩であるということに。だから苗字もさっき視線を逸らしたんだと思うと、まだ俺に気持ちがあるのかと少し期待したくなった。迷惑、という言葉を使うのはちょっと卑怯だよなぁと思った。迷惑かそうでないかと言われると、答えはノーだと思う。もうすでに外は暗くなり始めているし、1人で帰すよりは送ってやった方がいい。でもこの後輩が言っているのはそういうことじゃない。気持ちに応えられないなら最初から期待させるべきではない。そんなことはわかっていたはずなのに。

「いいよ」

そう答えてしまったのは、苗字のことを早く吹っ切りたいと思っていたからか、場地と付き合っているなんて噂に対する当てつけか、それともその両方だったのか。ただこの後輩に対する純粋な好意じゃないことだけは確かで、嬉しそうに目尻を下げた顔を見て罪悪感が重くのしかかった。


職員室に家庭科室の鍵を返したあと、後輩と並んで昇降口へ行くと苗字と鉢合わせた。ほんっとに最悪だなと思った。間が悪いにも程がある。俺と苗字の目があった瞬間にピンと張り詰めた空気に、隣にいた後輩は気付いたのだろうか。「わたし靴履き替えてきますね」と小さく言って2年の下駄箱が並ぶ方へと向かった。

「お疲れ、まだ残ってたんだね」
「部活の準備が終わんなくて」

クラスの方戻れなくて悪かった、と続けると小さく首を横に振った苗字が、大変だねと苦笑いした。

「つーか苗字こそこんな時間までいたのかよ」
「あー…えっと、まぁ色々あって…」

そう言って苗字は目線を逸らし言葉を濁した。前に誕生日プレゼントだと言ってカップケーキをもらった時と同じようなシチュエーションと言葉なのに。その後に続く言葉に、俺の心臓は握りつぶされたかのような痛みを覚えた。

「彼氏が迎えにきてくれるの待ってて」

途端に苦しくなる呼吸。何か言わなければと思うのに酸欠に陥ったみたいに脳が上手く働かなかった。汗が噴き出して気持ち悪い。あぁ、もう本当に最悪だ。

「じゃあわたし行くね」
「あ、うん…また明日な」
「また明日」

じゃあね、と軽く手を振り歩き出した苗字の背中を見つめていると、「三ツ谷部長?」と後ろから小さく声をかけられた。

「なんか顔色悪いですけど、大丈夫ですか?」
「あ、悪い。平気」

本当は今すぐ1人になりたかったし、この子と帰るような気分では全くなかったんだけど未だに正常に働かない脳は上手い言い訳を探すこともできなかった。校門を出ると、苗字と千冬が2人で並んで歩いているのが少し遠くに見えた。じゃれつくような2人の距離にどうしようもなく醜い嫉妬が湧き上がってくるのと同時に、やっぱり俺が身を引いて正解だったんだな、という諦めも浮かんできた。
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