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一晩経って冷静になった頭でまず思ったことは名前に謝らないと、だった。距離感を見誤って思わず抱き締めてしまったことや、それを三ツ谷くんに見られてしまったこと。そしてそのことを名前に言わなかったこと。2人が上手くいけばいいなんて思ったことは一度もないけれど、このまま三ツ谷くんに誤解されて名前が悲しむのは嫌だったし、そんなことになったら罪悪感で押し潰されそうだと思ったから。

名前にメールを送っても返事がないのはいつものことだったけれど、電話をしても出ない。仕方なく家まで行くとおばさんに名前は今出掛けていると言われてしまった。「大した荷物は持ってなかったから遠くには行ってないと思うんだけど」そう言われて何故か嫌な予感がした。見つかるはずないと思いながらも名前の家の近くを当てもなく探していると、遊具も何もないただの広場のような公園のベンチに1人で座っている名前を見つけた。

「何してんだよ、こんなとこで」
「…千冬?」

いつからそうしていたんだろうか。ぼーっと焦点の合わない目でどこかを見つめる名前の額には汗で前髪が張り付いている。

「なんでこんなところにいるの」
「…名前が泣いてる気がしたから」
「またそれ?」

泣いてないってば、と小さく笑った名前を見て嫌な予感が当たっていたことを確信する。「熱中症になんぞ」とその腕を引いて立ち上がらせて、そのまま歩き出した俺の後ろを何も言わずについてくる名前に何があったかなんて容易に想像できてしまった。公園の隅にあった自動販売機で水を買って渡すと「ありがとう」と受け取ったくせに飲もうとしない名前がぽつりと小さな声で溢した。

「三ツ谷くんがさ、付き合うのやめようって」
「……」
「苗字が何考えてんのか分かんないって、言われちゃった」
「名前、」

眉を下げて困ったように笑った。名前のよくする顔だ。その顔を見るのは、正直あまり好きじゃない。

「…ごめん、昨日の夜の…多分三ツ谷くんに見られてた」
「そっか…」
「そっかって…お前はそれで良いのかよ」
「仕方ないよ」

2年も片想いした相手と付き合えるかもしれなかったのに。あんなに好きだったくせに。誤解されたままで良いわけがない。しかし名前は「多分、それだけじゃないから」と小さな声でぽつりと溢した。

「そうやって諦めたふりすんのやめろよ」
「…してない」
「してる」
「してないってば」

震える声で否定した名前の目からぽろぽろと涙が溢れ落ちた。一度出てしまった涙はなかなか止まらないらしい。しまいにはしゃくり上げて泣き出した名前の頭を引き寄せるようにして胸に押し付けた。じんわりとTシャツが濡れていくのを感じながら、やっぱり罪悪感と、それと同時にほんの少しだけ喜びとも優越感とも言えない微妙な感情が身体の奥の方に渦巻いた。

「やっぱ泣いてんじゃん」
「千冬のせいだし…」

名前の頭をぽんぽんと撫でるように優しく叩いていると少しずつ落ち着いてきたらしい。「ごめん、もう大丈夫だから」そう言って俺から身体を離そうとした名前の肩を引き寄せて抱き締めた。

「千冬、やめて」
「やだ」
「……今そういうことされると千冬に甘えたくなるからだめ」

俺の胸を押し返す名前の言葉に驚いて思わず腕の力を緩めると、その隙にするりと逃げられてしまった。

「ごめん、俺今名前が三ツ谷くんに振られて正直嬉しいって思ってる」
「…ほんとに正直だね」
「でも名前が泣いてんのはいや。俺以外に泣かされんのなんて見たくない」
「わがまま」

呆れたような顔をして、名前がふっと小さく笑った。その顔に心臓がどきんと大きく高鳴る。

「…甘えればいいじゃん」
「え?」
「俺のこと利用していいから」

夏なのに冷たい名前の指先を熱を持つ手で触れた。一度ビクッと手を引いた名前を今度は逃さないようにと指を絡める。

「俺を選んで」
「ごめん……」

振り解こうとした名前の手をもう一度ぎゅっと握った。

「だめ」
「ねぇ…離して」
「名前が頷くまで離さない」

振り解くのを諦めたのか、力が抜けた手をだらんと下に下ろした名前がズルい、と小さく呟いた。狡くったってこんなチャンス逃すわけにはいかねーだろ。こっちだって必死なんだ。

「わたし、千冬のことそういうふうに見たことない」
「今から見ればいい」
「でもわたしは…」

「三ツ谷くんが、好きだから」

まるで死刑宣告を受けたような、そんな気分だった。絞り出すような声で告げられたこの言葉を名前の口からはっきりと聞いたのはこれが初めてだった。それでも諦めきれないのは、多分名前が今泣いてるから。

「いいよ」
「え…?」
「三ツ谷くんのこと、好きなままでいいから」
「そんなのって…」
「俺が良いって言ってんだからいいんだよ」
「えぇー、横暴…」
「うっせ」
「…わかったよ」

観念したように小さく息を吐いた名前の言葉に一瞬頭の中が真っ白になる。自分で言ってここまでゴリ押ししたけれど、いざ本当にいいと言われるとこれが本当に現実なのかどこか信じられなくなった。急に心臓がばくばくとうるさく鳴り出して、ぶわっと汗が吹き出す。

「………え、マジで?」
「なに、そのリアクション」
「えっ、いや…マジで、いいの」
「千冬が言ったんじゃん。頷くまで離さないって」
「それは…そう、だけど…」

冗談なら手離して、と言われて慌ててぎゅっと握り直す。

「えー、うわ、え、これ2ヶ月待ってとか俺にも言う?」
「まぁ、言っていいなら」
「だめ」
「言うと思った」

馬鹿にしたようにくすくすと笑う名前すら可愛く見える。だって、名前は俺の彼女だから。うわ、うわー…やばい、絶対今口元にやけてる。今更赤くなっているであろう顔を隠すように口元を手で覆った。しかし浮つく俺の気持ちと名前の気持ちは一緒じゃない。そんなことは分かっていたはずなのに。

「ごめん、先に謝っとく」
「なに」
「わたし千冬のことはもちろん好きだけど、そういう意味で好きって思ったことなくて」
「…知ってるわ」

それでも良いと言ったのは自分だし分かっていたことだけど、いざ言葉にされるととんでもない破壊力だなと思った。

「三ツ谷くんと千冬への好きは全然違って…付き合っても千冬のことを今まで以上に傷付けるだけかもしれない。本当にそれでも良いの…?」
「良いって言っただろ」

この選択がたとえ間違ったものだったとしても、この恋の結末が悲惨なものになったとしても、今名前が泣き止んでくれるなら、笑ってくれてるなら、俺はそれで良かった。
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