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苗字を離した千冬がちらりとこちらを見た。やっぱあいつ気付いてやってたのかよ…。それから苗字の目尻に触れる千冬の自然な動作や、千冬の手が触れるのに一切抵抗しない苗字を見ているとなぜか酷く惨めな気持ちになった。俺には入れない2人の特別な関係を見せつけられたような気がして。その日は結局そのまま家に帰った。苗字から折り返しの電話がかかってきていたけれど、気付かないフリをした。


翌日、苗字を呼び出した公園はこの夏休み中何度か2人で会うときに使っていた場所だ。お互いの家のちょうど中間辺り。アイスを食べたり花火をしたり…結局一度もちゃんとしたデートはできなかった。公園に着くと苗字は既にベンチに座って待っていた。俺に気付き立ち上がると、夏らしい爽やかなサックスブルーのワンピースの裾がふわりと揺れた。

「昨日はごめん、夏祭り行けなくて」
「ううん、仕方ないよ」

さっきまで苗字が座っていたベンチに2人で並んで腰掛ける。夏休みが始まる前は1人分空いていた距離も0.5人分ぐらいには縮まった。「三ツ谷くんの友達が大変だったって聞いたけど…」と続けた苗字が伺うように俺の顔を上目遣いで覗き込む。多分千冬から聞いたんだろう。

「まぁ…でも手術は成功したしもう大丈夫だって」
「それなら良かった」

ホッとしたような顔をした苗字はふと小さく溜息をついて、視線を足下に落とした。

「男の子ってなんで喧嘩ばっかりするのかな…」
「ほんとにな」
「三ツ谷くんにも言ってるんですけど」
「はは、ごめんって。でも苗字の浴衣姿は見たかったな」

またいつか、見れる日は来るんだろうか。

「あのさ…」

思った以上に自分の声が掠れてしまった気がして少し間を置いた。すっと息を吸い込んで、今度こそしっかりと声を出す。

「付き合うの、やめようか」

苗字は今どんな顔をしているんだろうか。泣きそうなのを我慢しているのか、それとも呆れたような顔をしているのか。できれば傷付いた顔をしていてほしいだなんて歪んだ感情を抱いてしまうほどには俺は苗字のことが好きだった。でもその感情は全部仕舞い込もうと決めた。

「自分勝手なこと言ってごめん」
「…理由、聞いてもいい?」

ちらりとその横顔を伺うも、俯いている苗字の顔に髪がかかって今どんな表情をしているかはよく分からない。でも多分泣いてはいなかったし、声も震えていなかった。

「苗字の考えてること、分んねぇなって思って」

曖昧にはぐらかしてしまった自分が酷く卑怯な人間に思える。でもこれが本音だった。俺のことを好きなはずなのに、いざ手を伸ばすとするりと逃げられてしまう。邪魔者は多分、俺の方なんだと思った。

苗字は俺の言葉に「そっか…」と一言だけ返して、それからしばらく黙り込んだ。少ししてから「学校ではさ、今まで通り話してもいい?」とようやく顔を上げた苗字は困ったように笑っていて、水族館で千冬の話をしたときと同じ表情をしていた。

「それは、もちろん」
「ありがとう」

いつまにか握りしめていた手をゆっくりと解くと、蝉の鳴き声がうるさかったことに初めて気がついた。

「わたしまだここにいるから、三ツ谷くん先帰って」
「…わかった」

ゆっくり立ち上がり苗字の方を軽く振り返る。苗字はやっぱり泣いてはいなかった。

「じゃあ」
「うん、また学校でね」

歩き出してしばらくしてから少しだけ、ほんの少しだけ目の奥が熱くなった。





夏休みが終わり新学期が始まってこれまで通り「おはよ」と隣の席の苗字に声をかけると、苗字も「おはよう」と自然に返してくれた。1学期の初めに「ひぇっ」と言っていたことを考えれば本当に大した進歩だなと思わず笑ってしまった。ほとんど付き合っているのと変わらない2ヶ月を過ごしたのだから当たり前と言えば当たり前なのだけれど。

「え、なに?」
「いや、1学期の最初の頃思い出して」
「やだもう、忘れて…」
「無理」

本当なら気まずくなってもおかしくないのに、今まで通り普通に話せているのは多分苗字のおかげだ。こういうところがやっぱり苗字の良いところだよなぁと思う。赤くなった顔を隠す仕草も可愛くて、あの日仕舞い込むと決めた気持ちが奥からチラチラと顔を出そうとする。本人を前にするとやっぱダメだなって思っていたから、始業式のあとのHRで席替えをすると言った担任の言葉にやけにホッとした。苗字の席は今までとほとんど変わらず、窓際の後ろから2番目。俺は廊下側の1番後ろになった。お互い良い席引き当てたね、と笑う苗字に頷いてそれぞれの席に移動した。

新学期が始まって数日が経つと、俺と苗字が別れたという噂が流れ始めた。

「なー三ツ谷ぁ」
「なに?」
「苗字と別れたってマジ?」
「は?」
「みんな言ってるけど…悪い、違った?」

どうやら周りから俺と苗字は付き合っていると認識されていたらしい。よく一緒に帰っていたからだろう。しかし夏休みが明けて一緒に帰るどころか教室内でもほとんど話さなくなった俺たちは別れたと思われているようだ。

「……そもそも付き合ってねーよ」
「え、そうなん?」

あからさまにホッとしたような顔をして見せたのは、体育祭でも苗字のことを聞いてきた男子だった。なんだか最近苗字の周りに男がいることが増えた、ような気がする。もうすぐ文化祭だと浮かれる教室内で、廊下で、話しかけられているのをよく見かける。面白くはないけれど俺に何かを言う資格はないし、俺自身も手芸部の文化祭の準備で忙しかったから見ないふりをして過ごした。

それからしばらくして、苗字に他校の彼氏ができたという噂と、俺に新しい彼女ができたという噂が流れ始めた。
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