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ようやくインフルから完全復活した頃、名前に呼び出されたのは駅前のドーナツ屋だった。珍しく外で会おうと言い出した名前は、俺の部屋に来ない辺り多少三ツ谷くんに気を遣っているんだろう。重い足取りで指定された場所へと向かうと既に店内にいた名前の前にはエンゼルフレンチが2つとカフェオレとアイスティーが乗ったトレーが置いてあって、「今日はわたしの奢りだから」と言われた。その優しさが痛かった。あーあ、今から三ツ谷くんと付き合ったとか報告されんのかな…と、思っていたのに。

「はぁ!?ばっかじゃねーの!?」

名前があまりにも予想外の方向へと突き進んでいて、思わず大きな声が出てしまった。名前は俺から気まずそうに目を逸らしてドーナツを齧っている。

なんだよ準備期間って。しかも2ヶ月って。「だって、いきなり付き合うとか無理すぎて…」と話す名前に深い溜息が溢れた。これはさすがに三ツ谷くんが可哀想に思えてくる。いや、ちょっとざまぁみろとも思ったけど。

「…そんなことしてる間に他の女に取られても知らねーぞ」
「少女漫画の読みすぎなんだよ千冬は」

それはそうかもしれないけれど。それにしたってこいつは本物のバカだと思った。

「つーか、いいの?俺と2人で会って」
「あー、うん。それは良いって」
「へぇ…」

なんだよ、余裕かよ。と思っていたら「部屋で2人きりになるのはやめてって言われたけど」と続けた名前の言葉に思わず顔を顰めてしまった。あー、くっそ。懐広いと見せかけておいてぬかりねぇな、三ツ谷くん。

あと2ヶ月経ったら、名前は三ツ谷くんと本当に付き合うんだろうか。いくら今まで通りが良いって言ったって名前に彼氏ができたらそういうわけにはいかないだろう。名前が映画に誘うのは俺じゃなくなるし、名前の鞄に付けられるキーホルダーも多分俺が取ったものじゃなくなる。今までみたいに当たり前に放課後会うこともなくなって、メールは今まで以上に返ってこなくなるんだろう。いつか、それが当たり前になる日が来るんだろうか。でもよく考えたらそれが普通の幼馴染なのかもしれない。周りからしてみれば俺たちの距離感のほうがおかしいんだ。中学生にもなっていつまでも一緒にいる方がおかしい。そんなことは分かっているのに、なんなら既に一度フラれているのに、なんでこんなに諦めきれないんだろう。なんで俺は名前じゃないとだめなんだろう。

「まだ2ヶ月あるんだよな…」
「え?」
「その2ヶ月で名前が俺のこと好きになる可能性もゼロじゃねーし」
「えっ」

覚悟しとけよ、と言うと名前の顔がじわじわと赤くなる。「なんか千冬にそういうこと言われるとすごい照れるんだけど…」と言って、アイスティーに口を付けた名前のそんな顔を見るのは初めてで。照れて顔を赤くする名前の顔がなんかもうとんでもなく可愛く見えてしまった。

「だから、そんな顔されると俺もちょっとは期待すんだけど」
「そんな変な顔したつもりないんだけど」
「変な顔じゃなくて……可愛いって言ってんの」

今度は自分の顔がかぁっと熱くなるのが分かった。今絶対ぇ顔赤い。ダサい顔を見られたくなくて名前から目を逸らした。

「千冬に可愛いって初めて言われた」と恥ずかしそうに、でもちょっと嬉しそうな顔をした名前に今までももっと言えばよかったと後悔した。まぁ心の中では毎日のように言ってたけど。


夏休みが始まって、今年は受験勉強あるからと言う名前と会う回数はこれまでの夏よりは格段に減った。多分勉強だけじゃないんだろうとは思ったけど、どうやら三ツ谷くんともそんなに頻繁に会っているわけでもないらしかった。たまに名前からメールが来て、たまに外で会う。そんなことを続けていると母親に「最近名前ちゃん来ないけど、彼氏でもできたの?」と聞かれた。

「…できてねーし」
「あんたもっと頑張らないとそのうち取られるよ」
「うるせぇ」

もう取られる寸前なんだよ。名前が言っていた2ヶ月の期限まではあと少し。





名前が三ツ谷くんと約束していた夏祭りの日、抗争が起きた。もちろん俺も参加して散々暴れ回って、ドラケンくんの無事を確認してから真っ先に向かったのは名前の家。電話をかけるとすぐに出てきた名前は俺の姿を見て顔を顰めた。

「どうしたの?こんな時間に…っていうか怪我してんじゃん」

千冬も喧嘩してきたの?と少し呆れたように言われた。千冬も、ということは三ツ谷くんが喧嘩していたことも知っているんだろう。俺だってきっと抗争だって言われたら名前との約束より優先させる。それを分かっていて三ツ谷くんを出し抜くような真似をする自分の強かさに自分自身少し驚いた。でもそれだけ必死だってことだ。

「なんか、名前が泣いてる気がしたから」
「…泣いてないし」
「強がるなよ」

この前と同じように名前の頭を撫でるとじわじわと目尻に涙が浮かんできた。

「そりゃちょっとは残念だなとは思ったけど…」
「うん」

だって仕方ないじゃん、と言う名前の腕を引いて静かに抱き締めた。名前は抵抗することなく俺の腕の中に収まったけれど、抱き締め返されることはない。どうしようもなく苦しいのに、触れ合った名前から聞こえてくる鼓動が早くて、そんなことすら嬉しいと思ってしまう。

今更名前が俺に振り向いてくれるなんて奇跡はそう簡単には起こらないことはわかっているけれど、やっぱり諦めきれそうにもなかった。

「名前が、俺のこと好きになればいいのに」

遠くから知ってるバイクの排気音が聞こえてきたことには気付いていた。

絞り出すようにして吐き出された自分の声は酷く掠れていて、そしてとても自分勝手な言葉だった。抱きしめる腕に更に力を込めると、名前の薄い肩が小さく揺れた。
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